たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2019年台北_故宮博物院(1)

2019年06月01日 21時06分38秒 | 小さな旅の思い出
 昨夜無事に台湾から帰国しました。桃園国際空港も飛行機多すぎて渋滞していました。管制塔から離陸の指示が出るのが定刻よりも20分ぐらいおしました。帰りの飛行時間は2時間10分、あっという間でした。あまり揺れることもなく、往路も復路も隣が空いていたので快適でした。昨今は空港も自動化が進んでいるんですね。久しぶりの海外渡航でびっくりでした。空港を出た後、自宅の最寄り駅までの切符を購入するのに、日本語なのにやり方がわからず後ろに列をつくってしまいました。普段もわかりづらいのに、特別な場合もさらにわかりづらい。おまけに最寄り駅はやっぱり田舎で不便なんだと実感。もう愛着をもつ気持ちはあきらめました。わたしには住みづらい。という早速のぐちはおいておいて、台湾、エネルギッシュでした。勧められて断りきれなかったお茶の購入や全身マッサージの延長は、東日本大震災で真っ先に援助の手を差し伸べてくれた台湾へのお礼の気持ち。台北の家賃は日本と同じぐらいなのに、お給料は半分ぐらいとすごく安く共働きでないと暮らしていくことができないという現地ガイドさんのお話。なので隣の新北から台北に通勤する人も多いとのこと。夜は家族で安く食事できる店がたくさんあるという話も。食事やお弁当を用意する時間はないとのこと。夏は日本以上に湿度が高いようだし、暮らしていくには厳しい街だと感じました。みんな逞しい、車の駐車場がすごく高いのでバイクに乗るひとがすごく多い。街中はバイクであふれ、信号待ちの間に物売りのおばちゃんが声をかけたりしていました。ほんとは違法行為。排気ガスはすごかったなあ。海外でマスクするのもどうかなと思ってマスクはしませんでしたがちょっと喉いためてしまったかも・・・。

 二日目に先ず訪れたのが故宮博物院。北京の紫禁城よりも華やかで美しい品物が並んでいました。全部蒋介石が中国から盗んできたもの、展示されていないものは山の中に保管されている、もし戦争になっても山の中なら品物を守ることができるという理由からだと、現地ガイドさんが説明してくれました。

https://www.travel.co.jp/guide/article/5018/

「故宮博物院は清朝最後の皇帝、溥儀が北京の紫禁城(故宮)から退去した後の1925年に、歴代皇帝が所有していた美術品を一般公開したのが始まりです。1931年に満州事変による戦火を避けるために南京に移され、1937年に日中戦争が勃発すると3つのルートに分けられて四川省に疎開し、戦争終結後に再び南京に戻されました。

その後、毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の間で内戦が起こり、形勢が不利になった国民党は台湾移転を決定。同時に故宮から精選した第一級の文物も1948年から3回にわたって台北に運ばれました。

1965年、それらを収蔵する故宮博物院が台北近郊の外双渓に完成し、皇帝私有の宝は晴れて世界中が衆目する公の宝となりました。」

 急に決めたのでなんの予備知識もなく行ってしまいましたが、もっとも有名だという「翠玉白菜」をみることができました。貸し出されていたのが戻ってきたばかりのタイミングとのこと。

写真と日本語の解説。実物は置物と台座を離して展示しているので、写真はセットになっています。







実物。







 すごく綺麗でした。「肉形石」もみることができました。書けるのはずっと先のことになるかもしれません。


https://www.travel.co.jp/guide/article/5018/


「まずは故宮博物院の2大シンボル「翠玉白菜」と「肉形石」。「翠玉白菜」は清の第11代皇帝光緒帝の后、瑾妃の嫁入道具として紫禁城の永和宮に飾られていたもので、清廉潔白を意味する白菜の上に子孫繁栄と多産を意味するキリギリスとイナゴが配されています。色が分離したヒスイ輝石の形と天然の色合いを活かし、白い部分を茎、エメラルド色の部分を葉に見立て、みずみずしい質感までも見事に表現しています。

「肉形石」は清の第5代皇帝雍正帝の寝宮であった養心殿に置かれていたもので、3層に分かれた天然石に彩色と加工を施し、豚の角煮そっくりに仕上げた傑作です。自然の筋目と色の変化を利用して皮、脂身、赤身肉に似せ、皮の表面には細かな毛穴を設けるなど卓越した技巧が見られます。」