『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』より-「フォーカシング」
「ロジャースの面接で最も有名なのが、このグロリアのケースです。
「サイコセラピィへの三つのアプローチ」という16ミリフィルムが1964年に作成され、グロリアという女性のクライエントがロジャーズ、ゲシュタルト・セラピィのパールズ、論理療法の3人にセラピィを受ける様子が記録されています。日本でも『グロリアと3人のセラピスト』という題で市販されており、観られた方もいることと思います。
3人の一番手で登場するのがロジャーズ。30歳位の魅力的なシングル・マザーであるグロリアは、自分の性行動と、それについて9歳の娘パミーに嘘をついていることに罪悪感を抱きます。最初、グロリアは自分の性行動が娘に与える影響を気にかけてロジャーズに答えを求めますが、次第に自分自身の感情に目を向けていきます。
グロリア
私は、自分がどんなことをしても、いい気持ちでいたいんです。パミーはほんとうのことを言わなくても、まだわからないんだからと安心していたい。でもそうできないんです。私は、正直でいたいんですけれど、同時に自分で受け入れることのできないものがあるようにも感じています。
ロジャーズ
自分の中にあるその部分を、自分でも受け入れることができない。なのにそのことをバミーに話してもいい気持ちでいられるなんてことがあるのかしらと、そう思うんですね。
グロリア
そうです。
ロジャーズ
でも自分の中には、こんな欲望や、あんな気持ちも確かにあって、それがいいものとは思えない。
グロリア
そうです。でも、先生はただそこに座っているだけで、私はだんだん混乱していっている気がします。私は、先生にもっと何かをしてほしい。私が罪の意識から逃れられるよう手助けしてほしいんです。嘘をついたり、男の人と寝ても罪の意識を感じなくなれば、もっと楽な気持ちになれるはずでしょう。
ロジャーズ
「いいえ、あなたを混乱させたいなんて思ってはいませんよ」と言いたい気もしますが、またこの問題はとてもプライベイトな問題だから、私があなたに代わって答えてあげることなんてできないような気もしているんです。でもとにかく、あなたが答えを求めていくのを助けてあげたいとは思っています。こんなことを言って意味があるかどうかはわかりませんけれど、私はそう思ってるんです。
グロリアはいったん、何も答えを与えてくれないロジャーズに対して、「先生はただそこに座っているだけ。私はだんだん混乱していっている」と詰め寄って、関係が危機にさらされます。これに対してロジャーズは、「とにかくあなたの力になりたいんだ」と自分の気持ちをストレートに語ることで危機を脱しています。「一致」「純粋さ」と呼ばれるものの具体的な表現です。面接の後半部分からも、二箇所紹介しましょう。
ロジャーズ
そんなユートピアの瞬間に、あなたは全体を感じるんですね。ひとつのかけらの中にもすべてを感じるっていうか。
グロリア
ええでも、そんなふうに言われると息が詰まるような感じがします。というのも、そんなにいつも感じているわけではありませんから。でも、私はその全体の感じがとても好き。それは私にとってほんとうに大切なもの。
ロジャーズ
その感じをそんなにしょっちゅう感じることができる人なんていないと思いますよ。でも、とってもわかる気がします。(沈黙。涙が流れる)それはあなたをほんとうに感動させるんですね。
グロリア
ええ。今、私、まったく違うことを考えていたんですけど、おわかりですか。おかしなことなんですけど、先生とお話ししていて突然、こう思ったんです。「なんてうまく話ができてるんだろう。私は先生に私を認めてほしいし、先生のことは尊敬できる。でも、父は先生みたいに私に話をしてくれなかった」って。「ああ、先生が私のお父さんだったらな」って、そう言いたい気持ちなんです。どうして、そんな気持ちになったのかわかりませんけど。
ロジャース
わたしには、あなたがとてもよい娘のように思えます。でおも、お父さんに自分の気持ちを話せなかったことを本当に残念に思ってるんですね。
ロジャースはここでグロリアに、「私には、あなたがとてもよい娘のように思えます」と言い、これによりさらに面接は深められていきます。面接のふり返りでロジャーズは、これを「逆転移」という言葉で解釈することもできるけれど、それは真実の関係の世界について言葉遊びをしているにすぎない、と言ってそれを退けます。
終結部分はこうです。
グロリア
父は、わたしがほんとうに好きになれるタイプの人ではないんです。私はもっと理解力があって、愛情のある人が好き。父はたしかに可愛いがってはくれましたけど、でもそれは、協力しあえたり通じあえたり、というやり方ではなかったんです。
ロジャーズ
「私は永遠にあざむかれている」そう思ってるんですね。
グロリア
それで代わりの人を求めてしまうと思うんです。先生と話をするのが好きなように、私は、尊敬できる男の人が好き。先生がたに対して深いところで本当に近く感じるのは、父の代わりのようなものですね。
ロジャーズ
それは、偽りではないと思いますよ。
グロリア
でも、先生はほんとうは父ではありません。
ロジャーズ
ええ。でも、ほんとうに親密な関係です。
グロリア
ええわかります。でも、やっぱり偽りのように思います。だって、先生が私をほんとうに親密に感じてくれるはずありませんもの。先生はまだ、私のこと、そんなに知らないから。
ロジャーズ
私にわかるのは、私がそんなふうに感じているっていうこと。今この瞬間、私があなたをほんとうに親密に感じているということです。
この終結部分についていは、評価が分かれることでしょう。たった一回きりの面接、それもわずか30分の面接を映像にとられ、パールズやエリスのそれと比較されることもあって、かなり力んでいたのではないでしょうか。伊藤博(1992)は、このグロリアと最初に紹介したブライアンのケースにおけるロジャーズの発言数を比較し、前者は後者の二倍半であることを指摘して、「ロジャーズはしゃべりすぎではないか」と言っています。
私も、このグロリアとの面接全体に、どこか強引さのようなものを感じてしまい、あまり好きになれません。「自然体のロジャーズ」ではないように感じるのです。もっともロジャーズ自身は、この面接について、実に満足のいくものだったと語っていますが。
ツィムリング(1996)によれば、このグロリアとの面接で、ロジャーズは驚くほど頻繁に自分の人生観を語っており、クライエントの感情への共感よりも自分自身の感情や価値観の表明に重点が置かれた応答は、実に20にも上ると言います。しかもこのうちの約半分は、グロリアからの質問に答えたものですが、後の半分は、自分のほうから語り始めたものだというのです。そしてロジャーズのこれらの応答の多くは、グロリアの注意を彼女自身の感情の流れから逸らすことになってしまっている、と言います。
その具体例としてツィムリングは、フィルムが止められた後の二人の短い会話を引用しています。「誰かに父親のように愛されたい」という気持ちを語り続けるグロリア。でも自分が実際に遊んでいるのは、皮肉にも自分が尊敬できないタイプの男たちなのだ、と彼女は言います。その後の二人の会話。
ロジャーズ
あなたはお父さんに肘鉄砲を食らわしているのですね。
グロリア
え?大人の男を求めながら、ですか。
ロジャーズ
いいえ。あなたが本当には求めていないタイプの男と遊びに出かけることによってです。
グロリア
でも私はそんなことはしたくない。どうしてそんなタイプの男ばかり私の側にやってくるのか、私にはわからないんです。
ツィムリングも言うように、ここでもロジャーズはたしかに、グロリアの感情に共感するのでなく、自分自身の枠組みから言葉を発しています。このケースにおけるロジャーズの応答には、グロリアの体験過程のレヴェルを下げてしまったものも多いと指摘する研究もあります。
このように、グロリアのケースにおけるロジャーズの応答は、決してスマートなものではありません。「クライエント中心」の典型的な応答とはかなり違うものです。
にもかかわらずこの後、グロリアとロジャーズの間には、長い間かなり親密な関係が維持されていきました。ロジャーズ、エリス、パールズの3人の面接を終えた直後、インタビュアーから質問されたグロリアは、次に会うとしたらパールズに会いたい、と言っています。しかし実際には、この面接の二年後グロリアはロジャーズのワークショップに参加します。そしてそれ以降、彼女が若くして不慮の死をとげるまでの15年間、グロリアはロジャーズ夫妻を精神的な両親とみなして、連絡を取り続けていったのです。
何がグロリアをしてロジャーズのもとに向かわせてたのでしょうか。この謎から、「ロジャーズとグロリアー物議をかもすフィルムと継続する関係」というタイトルの論文も書かれているほどです。いわゆる「クライエント中心」というより、この頃のロジャーズがしきりに強調していた「実存的な出会い」の要素がよく伝わってくるこの面接は、これらかも貴重な研究資料として論議の的になり続けることでしょう。」
(諸富祥彦『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』1997年10月10日大一刷発行コスモス・ライブラリー、255~261頁)