『エリザベートガラコンサート』花組バージョン-ライブ配信(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cc56f1a738718148d467b7da3d3f3f1d
(2012年『輝ける皇妃エリザベート展』公式カタログより)
「バート・イシュルの避暑地で若きフランツ・ヨーゼフがたたずんでいるところへ、バイエルンからやってきた三人の黒服の女神たちが馬車から降り立ったのだった。ルドヴィカ、ネネ、シシィの三人は叔母の一人が亡くなったため、喪服を着ていた。
皇帝フランツ・ヨーゼフの弟カール・ルートヴィヒは後になって母親に「自分はすぐにピントときた」と語っている。「皇帝がシシィを見たとたんとても満足な表情が浮かんだので、誰を選ぶことになるのか、もう疑いようもなかった」。フランツ・ヨーゼフは母親たちの思惑どおりの姉ヘレーネではなく、そのやんちゃな妹に一目惚れをしてしまった。
ルドヴィカはその日の夜、自分の娘のうちの”選ばれしもの”と真剣な話し合いをした。「オーストリア皇帝を振る人なんていない」と、迷うエリザベートの疑念を全て振り払ったのだった。
この時から後に、エリザベートが
「馬車につながれた馬のよう」
と語る日常が始まったのだった。悲しみに沈み、重圧に負けそうな15歳の少女が、時の皇帝の婚約者となったのである。シシィは一夜にしていわば世間の見せ物となってしまった。中年の女性が身につけてでさえも大げさと思われる豪華絢爛な宝石や、眩しくきらびやかな彼女の装飾を、人々は好奇の目で眺めた。
エリザベートとフランツ・ヨーゼフはいとこ同士であった。しかし、いとこ同士の結婚を許可するための教皇の赦免状は、単に形式的な問題であって、すぐに温情をもって届けられた。
画家や素描家たちの商売は繁盛した。世界中の新聞がこれまで無名だったバイエルン公女エリザベート、のちのオーストリア皇后、ハンガー女王、そして19世紀で最も有名な女性となったひとの肖像をこぞって掲載した。
両家の母親たちは、皇后となるべき娘はもっと勉強しなければならないと決めていた。歴史、フランス語、オーストリア帝国内のさまざまな言語、宗教、舞踏、礼儀作法などなど。エリザベートは
「あの人が仕立て屋だったらよかったのに」
と嘆いた。」
「1898年9月10日、無政府主義者ルイジ・ルケーニは湖畔のプロムナードでモントルーへの蒸気船に乗ろうとしていた皇妃に忍び寄り、そして手にしていた鋭いヤスリで彼女の左の胸を一付き刺した。
その狙いはぴたりと正確で、ほとんど見えないような外傷しか残さず、皇妃はしばらく気を失ったあとすぐに立ち上がり、傷などないかのように歩いて船に乗ることができた。しかし、そこで皇妃は倒れ、そして帰らぬ人となった。
皇妃の身近にあった多くの人々の目には、病気や苦しみの期間が長く続くことのなかったこの急な死は、逆に皇妃にとっては、次第に無意味さを増していた晩年の人生からの解放と映った。
皇妃はそのころ、よく自分の死について人に話していた。60歳であったにもかかわらず、エリザベートは、自分は、
「まるで80歳のように感じるの」と語ったという。」
4月16日の蘭ちゃんのブログ。こんなふうに自分の弱さをさらけ出した蘭ちゃんシシィの孤独に共鳴しました。フランツが自分をみつめていることなど全く気づいていないやんちゃな少女時代のはつらつとした可愛いシシィから、孤独の海を泳ぐように生きる晩年までの人生を細い歌声にのせて美しくみせてくれたと思います。ドクトルゼーブルガーの場面、「英雄色を好むだろ」というトートにフランツが自分を裏切るはずがないと自信たっぷりに口元歪めでフンって笑ったところから、寝室の写真をみせられて裏切りを知ったことで孤独を受け入れていったのかもしれません。トートはシシィの内なる存在、内なる存在たる死=トートと常に葛藤しあがないながら生きた人生、精神病院訪問の場面ではすでに静かに孤独をたたえながら生きているように見えました。「あなたの方が自由~♪」、花ちゃんシシィとはまた違う美しい声でした。死が突然訪れ、トートが迎えにくるとやんちゃな少女時代の、何の憂いもない笑顔でトートに抱きついていったとき、ようやく人生という旅が終わったのだという安堵感がありました。田舎貴族の娘が皇后になってしまったシシィ、共感しづらいはずなのにものすごく心に入りやすいシシィだと思いました。
「不思議なもので、エリザベートという演目では自分の課題が全部盛りでやってきます。
激しい自己否定から他の誰かと自分を比べて悲しくなったり、冒頭のように不安症が爆発して自意識過剰になって極度に緊張したり。
大阪初日も緊張してしまい終演後に落ち込みましたが、今回違ったのは、"ちゃんと落ち込めた"ことでした。
楽屋が一緒だったちゃぴ(愛希れいかさん)が心境を聞いてくれて彼女が励ましてくれました。面倒だし恥ずかしい先輩ですね。
<落ち込み・吐露し・背中をさすって励ましてもらう>
これは今まで望んではいけない事だと思っていたことでした。でも、ずっと私には必要だったのです。
そうして適切に落ち込んで、慰め励ましてもらったことで私は花組フルコスチューム初日までにメンタル面を立て直すことができました。
あの瞬間、偶然でしたが一緒にいてくれたちゃぴには本当に感謝しています。」
https://lineblog.me/ranno_hana/archives/2696286.html
次の東宝エリザのシシィの一人はみりおちゃんなのかな、男役のよろいがとれたみりおちゃん、ものすごい美人さん。こんなに細いのに筋肉がついているから娘役さんをリフトできたのねと納得。男役ではなくなったことで歌声のひろがりがどんどん進化しているように思います。どこまでいくのか。いっちゃん(一路真輝さん)のように、トートとシシィのどちらも違和感なく声と衣装で自由自在に行き来できるようになっていくのかな。できるだけ、みりおちゃんが年を重ねながら進化していく姿を見届けねば。
#明日海りお スペシャルインタビュー 】進化するトップスターの素顔と本音。ますます好きになる!
https://baila.hpplus.jp/41596/1
ベートーヴェン、エリザベート、モーツァルトと感情が忙しいです。全く違うそれぞれの人生、共通しているのは、もがき葛藤しながら壮絶な人生を生きたということでしょうか。
蘭ちゃんシシィに共鳴したことを書きたかったのですが、長々と書いているわりには、Windowsの更新でWIFI接続の不具合もあり思うようにうまく書けませんでしたがこれにて。読んでくださった方、ありがとうございます。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cc56f1a738718148d467b7da3d3f3f1d
(2012年『輝ける皇妃エリザベート展』公式カタログより)
「バート・イシュルの避暑地で若きフランツ・ヨーゼフがたたずんでいるところへ、バイエルンからやってきた三人の黒服の女神たちが馬車から降り立ったのだった。ルドヴィカ、ネネ、シシィの三人は叔母の一人が亡くなったため、喪服を着ていた。
皇帝フランツ・ヨーゼフの弟カール・ルートヴィヒは後になって母親に「自分はすぐにピントときた」と語っている。「皇帝がシシィを見たとたんとても満足な表情が浮かんだので、誰を選ぶことになるのか、もう疑いようもなかった」。フランツ・ヨーゼフは母親たちの思惑どおりの姉ヘレーネではなく、そのやんちゃな妹に一目惚れをしてしまった。
ルドヴィカはその日の夜、自分の娘のうちの”選ばれしもの”と真剣な話し合いをした。「オーストリア皇帝を振る人なんていない」と、迷うエリザベートの疑念を全て振り払ったのだった。
この時から後に、エリザベートが
「馬車につながれた馬のよう」
と語る日常が始まったのだった。悲しみに沈み、重圧に負けそうな15歳の少女が、時の皇帝の婚約者となったのである。シシィは一夜にしていわば世間の見せ物となってしまった。中年の女性が身につけてでさえも大げさと思われる豪華絢爛な宝石や、眩しくきらびやかな彼女の装飾を、人々は好奇の目で眺めた。
エリザベートとフランツ・ヨーゼフはいとこ同士であった。しかし、いとこ同士の結婚を許可するための教皇の赦免状は、単に形式的な問題であって、すぐに温情をもって届けられた。
画家や素描家たちの商売は繁盛した。世界中の新聞がこれまで無名だったバイエルン公女エリザベート、のちのオーストリア皇后、ハンガー女王、そして19世紀で最も有名な女性となったひとの肖像をこぞって掲載した。
両家の母親たちは、皇后となるべき娘はもっと勉強しなければならないと決めていた。歴史、フランス語、オーストリア帝国内のさまざまな言語、宗教、舞踏、礼儀作法などなど。エリザベートは
「あの人が仕立て屋だったらよかったのに」
と嘆いた。」
「1898年9月10日、無政府主義者ルイジ・ルケーニは湖畔のプロムナードでモントルーへの蒸気船に乗ろうとしていた皇妃に忍び寄り、そして手にしていた鋭いヤスリで彼女の左の胸を一付き刺した。
その狙いはぴたりと正確で、ほとんど見えないような外傷しか残さず、皇妃はしばらく気を失ったあとすぐに立ち上がり、傷などないかのように歩いて船に乗ることができた。しかし、そこで皇妃は倒れ、そして帰らぬ人となった。
皇妃の身近にあった多くの人々の目には、病気や苦しみの期間が長く続くことのなかったこの急な死は、逆に皇妃にとっては、次第に無意味さを増していた晩年の人生からの解放と映った。
皇妃はそのころ、よく自分の死について人に話していた。60歳であったにもかかわらず、エリザベートは、自分は、
「まるで80歳のように感じるの」と語ったという。」
4月16日の蘭ちゃんのブログ。こんなふうに自分の弱さをさらけ出した蘭ちゃんシシィの孤独に共鳴しました。フランツが自分をみつめていることなど全く気づいていないやんちゃな少女時代のはつらつとした可愛いシシィから、孤独の海を泳ぐように生きる晩年までの人生を細い歌声にのせて美しくみせてくれたと思います。ドクトルゼーブルガーの場面、「英雄色を好むだろ」というトートにフランツが自分を裏切るはずがないと自信たっぷりに口元歪めでフンって笑ったところから、寝室の写真をみせられて裏切りを知ったことで孤独を受け入れていったのかもしれません。トートはシシィの内なる存在、内なる存在たる死=トートと常に葛藤しあがないながら生きた人生、精神病院訪問の場面ではすでに静かに孤独をたたえながら生きているように見えました。「あなたの方が自由~♪」、花ちゃんシシィとはまた違う美しい声でした。死が突然訪れ、トートが迎えにくるとやんちゃな少女時代の、何の憂いもない笑顔でトートに抱きついていったとき、ようやく人生という旅が終わったのだという安堵感がありました。田舎貴族の娘が皇后になってしまったシシィ、共感しづらいはずなのにものすごく心に入りやすいシシィだと思いました。
「不思議なもので、エリザベートという演目では自分の課題が全部盛りでやってきます。
激しい自己否定から他の誰かと自分を比べて悲しくなったり、冒頭のように不安症が爆発して自意識過剰になって極度に緊張したり。
大阪初日も緊張してしまい終演後に落ち込みましたが、今回違ったのは、"ちゃんと落ち込めた"ことでした。
楽屋が一緒だったちゃぴ(愛希れいかさん)が心境を聞いてくれて彼女が励ましてくれました。面倒だし恥ずかしい先輩ですね。
<落ち込み・吐露し・背中をさすって励ましてもらう>
これは今まで望んではいけない事だと思っていたことでした。でも、ずっと私には必要だったのです。
そうして適切に落ち込んで、慰め励ましてもらったことで私は花組フルコスチューム初日までにメンタル面を立て直すことができました。
あの瞬間、偶然でしたが一緒にいてくれたちゃぴには本当に感謝しています。」
https://lineblog.me/ranno_hana/archives/2696286.html
次の東宝エリザのシシィの一人はみりおちゃんなのかな、男役のよろいがとれたみりおちゃん、ものすごい美人さん。こんなに細いのに筋肉がついているから娘役さんをリフトできたのねと納得。男役ではなくなったことで歌声のひろがりがどんどん進化しているように思います。どこまでいくのか。いっちゃん(一路真輝さん)のように、トートとシシィのどちらも違和感なく声と衣装で自由自在に行き来できるようになっていくのかな。できるだけ、みりおちゃんが年を重ねながら進化していく姿を見届けねば。
#明日海りお スペシャルインタビュー 】進化するトップスターの素顔と本音。ますます好きになる!
https://baila.hpplus.jp/41596/1
ベートーヴェン、エリザベート、モーツァルトと感情が忙しいです。全く違うそれぞれの人生、共通しているのは、もがき葛藤しながら壮絶な人生を生きたということでしょうか。
蘭ちゃんシシィに共鳴したことを書きたかったのですが、長々と書いているわりには、Windowsの更新でWIFI接続の不具合もあり思うようにうまく書けませんでしたがこれにて。読んでくださった方、ありがとうございます。