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(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
子ども時代
私は栃木県の田舎町で6人兄弟の末っ子で育ち、遊ぶことに不自由することはなかった。(略)豊かではなかった貧しい時代、そして戦争もあり、空襲の恐怖体験もしています。昭和20年の夏の夜、終戦間近でしたけれど、アメリカのB29の大編 が、低く垂れこめた空の上をゴーゴーと音を響かせて通過しながら、私の街にあった軍事工場めがけて、無数の焼夷弾をまき散らしました。空が一面、大きな大輪の花火が100発ぐらい同時に破裂したような満天焼夷弾の炎で染まる感じでした。まして、雲が低かったので赤々と反射して、私は防空壕の中にいましたが怖いながらも見てみたくて、ちょっと顔を出したら恐怖に震えました。私の家もこれで終わりかと思ったら、放物線を描いて軍需工場の方に流れていったので直撃は避けられましたが、昼までグラマン戦闘機が機銃掃射をして、近所の家では直撃を受けた若い女性が亡くなるという恐ろしい経験もしました。そういう恐怖体験をしても、それが一生を左右するようなトラウマになりませんでした。子どもたちは時には喧嘩もしますが、仲良くスキンシップもあり、兄弟が多くて、兄弟も幸せなことに母親の影響でとても仲良く、ケンカなどしたことない兄弟でした。親子ゲンカもありませんでした。母親が非常に大きく包んでくれるような存在だったわけです。そういうアタッチメントの豊かな環境の中にいたがゆえに空襲や貧しさ、あるいは食糧難、そういったことがあっても、今まで生きてこられたなあということを感じるんですね。
こんにち、子どもを取り巻く環境が非常に危機的な中にあって、それを乗り越える道はないのか。克服する道はないのか。克服する道はないのか。(略) 私は作家として言葉を使って表現活動をする立場にあります。その中で自分が幼いころどんな経験をしたのか振り返ると、非常に温かい人間関係、スキンシップのある素晴らしい環境、自然の中でのびのびと遊べた。そしてもう1つ、田舎では本のある家は少なかったけれど、たまたま父親が学校の教師をしていたので、絵本や物語の本がありました。
(略)
戦争が終わって父が結核で亡くなりました。私が10歳の時でした。そのため家が貧しくなって、母親が手内職をする。手内職を手伝うと月に一冊本を買える小遣いをもらえました。その本を一冊買うということがとても嬉しくて楽しみでした。本を読むと、心の中にずんずんと入ってくるんです。いろんなものを読みました。シャーロックホームズ、ルパン三世、怪傑黒ずきん、さらには名作全集で1年生の頃に読んだような簡単なものではなくて、もっと全訳を読むとか。特にマロという人の家なき子は相当な長編で、それを4年生か5年生の時に読破した時の充実感っていうのは未だに忘れないですね。」