たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『レ・ミゼラブル』バルジャンたちが生きた時代

2015年01月16日 17時44分32秒 | ミュージカル・舞台・映画
「1815年、ツーロン。ジャン・バルジャンは19年の刑期を終え、仮釈放されます。
住むところも働き口もないバルジャンは、司教から銀の食器を盗み警察に捕まりそうになりますが、司教に救われ改心を誓います。
1823年モントルイユ・シュール・メール。バルジャンは過去を隠して市長になり、
工場を経営しています。バルジャンは、騒ぎを起こしてジャベールに逮捕されそうになっていたファンティーヌに出会いますが、彼女はほどなくして病に倒れます。バルジャンは病床で、彼女の一人娘のコゼットを育てていく決心をし、ファンティーヌを看取ります。バルジャンの過去を知るジャベールは彼を執拗に追いかけますが、バルジャンはファンティーヌとの約束を果たすため、ジャベールから逃げ続けます。
1832年、パリ。街は混沌とし、テナルディエ夫妻が悪事を働いています。
娘のエポニーヌは学生マリウスに恋をしていますが、マリウスはテナルディエに襲われそうになっていたコゼットに一目ぼれします。その頃、学生たちはアンジョルラスをリーダーに集会を開き、政府軍に立ち向かうことを決心していました。
動き始めたそれぞれの運命。バルジャンはジャベールから逃げ続けられるか?」


「『レ・ミゼラブル』の舞台は19世紀前半のフランス。フランス革命後の政情は非常に不安定なものであり、共和政(国民主権)→帝政(ナポレオン)→第一次王政(ルイ18世)→第二次王政(ルイ=フィリップ)と、次々と国の主権が入れ替わっていきました。
ルイ18世の王政は、貴族や聖職者を優遇した、まったく民衆の生活を無視したものでした。
貧しい家に生まれた者の暮らしは厳しく、18世紀末の肉体労働者の平均時給は2スー(100円)。パンの値段は5スー(250円)ですから、失業は即、飢えを意味していました。経済面での市民の不満が高まると他国へ戦争を仕掛けるのは今も昔も変わったことではなく、ルイの後を継いだシャルルは、1830年にアルジェリアを侵略。これが更に市民の不満を高め、「七月革命」が起きます。
これは、『レ・ミゼラブル』第二幕最大の見せ場となる1832年の「六月暴動」へと繋がっていきます。ちなみに、ドラクロワ作『民衆を導く自由の女神』の絵で銃を持った少年は、子供ながら自ら革命に参加するガブローシュのモデルになったと言われています。」

(「レ・ミゼラブルを5分で10倍楽しむガイド」より引用しました。)


オリジナル版最終公演を観劇した時のキャストを振り返ってみるとこんな感じでした。
いろいろと思い出しますが、また別の機会にします。
別所さんと今井さん、それぞれ舞台の上で生き抜いたバルジャン、
KENTAROさんジャベールの執拗さと冷徹さなど心に残っています。
三波さんのティナルディエはどうして今までやっていなかったの?と不思議なぐらいのいやらしさでした。マダム・ティナルディエは阿知波さんでした。
エミリちゃんのコゼットは可愛らしく、上原さんのアンジョルラスはあまりにも似合いすぎていてかっこよかった・・・などきりがありません。



2011年5月14日帝国劇場夜の部

バルジャン:別所哲也
ジャベール:KENTARO
エポニーヌ:笹本玲奈
ファンテーヌ:新妻聖子
コゼット:中山エミリ
マリウス:野島直人
テナルディエ:三波豊和
テナルディエの妻:阿知波悟美
アンジョルラス:上原理生


2011年6月7日帝国劇場夜の部

バルジャン:今井清隆
ジャベール:今拓哉
エポニーヌ:笹本玲奈
ファンティーヌ:新妻聖子
コゼット:中山エミリ
マリウス:山崎育三郎
テナルディエ:駒田一
テナルディエの妻:阿知波悟美
アンジョルラス:上原理生


写真は2013年新演出版の清史郎君ガブローシュ。
(東宝の公式ツィッターより転用しています。)
子役ながら役者魂を感じさせてくれます。帝劇凱旋公演のチラシにも使われました。
2011年の初舞台の時は、小さい体で精一杯すばしっこくパリの街を駆け回るガブローシュを体現している感じでしたが、2013年の舞台では、『エリザベート』の子ルドルフを経て、歌がすごく上手になり、「パリの街はガブローシュに任せておけよ」とすごく大人なガブローシュでした。もう観ることができなくて少しさびしいです。大きくなってまた戻ってきてほしいな。


今年の春の公演に向けてキャストが発表になっていることもあり、すごくまたレミゼに心が戻っているこの頃です。


これからもささやかに

2015年01月15日 17時32分09秒 | 祈り
腰のすわらない落ち着かない日々が続いています。
ずっと極度の緊張感の中で過ごしてきたせいか、緊張する癖がすっかり抜けなくなってしまいました。まだきつい場面を乗り越えてもいかなければならないので、考えていると自ずとやっぱり肩に力が入ってしまいます。
そんなこんなで、なんとなくここに書く文章も落ち着かない感じになってしまっているような気がしますが書き切れないこともたくさんあって苦しいところです。
最近テンプレートとレイアウトを変更してみました。見やすくなったのか、かえって見づらくなってしまったのか、自分ではよくわかっていません。


ブログを始めようか、どうしようかと迷っていた頃の自分の手帳を読み返してみました。

「2013年5月18日(土)

昨日はようやく国立西洋美術館のラファエロ展へ。(久しぶりの有給休暇)
今日は「赤毛のアン」を原文で読むセミナーの22章。
それぞれに心豊かな時間を過ごせるが、連日の状況はきつい。
疲れがきているなあ。

乳幼児精神保健学会のW先生が励ましてくださった。
個人史を還元していこう。
私は母を憎んだ。ちゃんと憎むこと、
それも大事なことだとおっしゃった。
憎んだ時間があるから今がある。
心を病むことの深さを教えられた。
結果的にそれは母との最後の出会いとなった。
私がこうして今自分の足でちゃんと立っていること。
それはお母さんがそういうふうに育ててくれたからだよ。
伝えたい今はこの世にはいない。
天に向かって伝えたいと思う。」


思い返せば、母との突然のお別れから一年あまりが過ぎた頃、自分の気持ちの中でのたうちまわるように過ごしてきた日々にひとくぎりついた感があり、それまでカウンセラーの先生やエンカウンターグループなどの特定の場でしか語ることのなかった思い、限られた特定の人や場所でしか語ることはできないとずっと自分のなかに閉じ込め続けてきた思いを外に向かって発信していきたいという気持ちから、このブログはスタートしました。

最初は、プリンス・エドワード島の写真と共に妹とのお別れの後の日記を読み返しながらその時の思いを綴ったりしていくつもりでしたが、書いているうちにどんどんとテーマが広がって行き、旅日記、ミュージカルの観劇日記、心に留まった本の一頁など、いろいろと書くようになりました。書いているうちにどんどん思いがあふれてきてしまい、止まらなくなってしまったことも何度もありました。
疲れ果ててへばっている週末も一回一回魂を込めて書いてきました。

ささやかだけれども、同じように喪失体験をしている方、だいじな人を失くされた方の目に留まって読んでいただけることもあれば、おこがましいですがほんの少しばかりでも励みになれることもあればという気持ちも込めて書いています。
私自身が過去の自分に励まされたり、エネルギーをもらったりすることもあります。
テーマが広がっても、喪失体験をした私が先に逝った人と共に生きている、という根っこは変わりません。
共に生きている私が予想もしなかった混乱の中に身を置いてから、一連の流れの中で自分の気持ちとどう向き合いながらどう動いてきたかは、別のかたちで伝えていければと思います。苦しいものを背負っている人間は決して弱くないです。きっと背中を押してくれている、妹の分まで生きなければという思いに支えられてここまできました。

ささやかですが、こういう私でもこうしてどうにかこうにか生きているということを伝えたいので、これからもあれやこれや、ぼちぼちと書き続けていこうと思います。

一昨日、ミレー展に行ってきました。
ミレーが描いたのは19世紀の終わり頃の農民。『レ・ミゼラブル』に描かれる世界の少しあとぐらいということになるでしょうか。下層階級の人々は本当に貧しくつましい暮らしだったんだろうな、今のように暖房器具があるわけでもない時代に、フランスの寒さの厳しい冬をどうやって過ごし乗り越えていたのだろう、絵をみながらそんなことをつらつらと思いました。
人の多さには疲れましたが、日常生活の時間を離れて、しばし違う時間軸に思いを馳せる貴重なひとときだっと思います。
寒い毎日が続いていますが、美術館の中庭を眺めてみると梅の花が開きはじめようとしているのに気がつきました。季節は少しずつ流れていっているんですね。
まだまだ落ち着かない日々は続いていきそうですが、自分の足元を見失うことなく歩いていければと思います。
よろしければまた訪問してください。





ミュージカルとしての『レ・ミゼラブル』

2015年01月11日 18時12分50秒 | ミュージカル・舞台・映画
「作詞家アラン・ブーブリルと作曲家クロード=ミッシェル・シェーンベルクにとって、「レ・ミゼラブル」は最初から用意されていた企画ではありませんでした。オペラに強いシェーンベルクと、ミュージカルに強いブーブリルが、「その二つのジャンルを結び付けて新作を」、と試行錯誤した結果たどり着いたのが、フランス人ならだれでも読んだことがあるというこの作品でした。

初演は1980年のパリ、ロベール・オッセンの演出で行われました。フランス人はみな「レ・ミゼラブル」の筋を知っているので、皆さんがご覧になる日本版の、プロローグにあたる部分はありませんでした。
次に上演されたのはイギリスのロンドンでした。ロンドンからはプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが加わり、原作になじみの薄いイギリスの観客のために音楽が増え、上演時間は一時間延びました。
バルジャンがバリケードの中で、マリウスの将来を案じて歌う「彼を帰して」は、ロンドン版のバルジャン役のコルム・ウィルキンソンが高音を得意とする歌手であったため加えられたナンバーです。

パリ・ロンドンでの成功を経て、ブロードウェイでの上演が決定しました。前述の通り、アメリカのミュージカルはドラマと歌と踊りがあるのが基本だったので、ダンスシーンがなく、歌と台詞が混然一体となった構成は観客を驚かせました。第41回トニー賞では最優秀ミュージカル賞ほか8部門を受賞し、『レ・ミゼラブル』の人気は不動のものとなりました。

日本での初演は1987年6月17日、以来、2400回以上も各地で上演されてきました。
日本公演で特徴的だったのは、全役をオーディションで選ぶ、という試みでした。また、稽古の段階からどの役者も平等に扱われ、それぞれの役に見せ場があり、その分高いレベルが求められました。
この方針は、従来の、スターの役者で観客を呼ぶようなシステムを覆しました。
「『レ・ミゼラブル』はスターが出るミュージカルではなく、スターを作るミュージカルなのです」
という演出家の言葉通り、「レ・ミゼラブル」は今も数多くのスターを輩出しています。」

(「『レ・ミゼラブル』を5分で10倍楽しむガイド」より引用しました。)

上の舞台写真は、2011年6月12日の帝国劇場、オリジナル版千秋楽、「げきぴあ」より転用しています。



2011年6月7日に帝国劇場で撮った写真です。
以前の携帯で撮っているので解像度が低いですが、よかったらご覧ください。

大震災の混乱さめやらぬ頃でした。
私の心の中も、それまで経験したことのない緊張感にずっと包まれていたことを思い出します。色んなことがありすぎてすごく時間が流れたような気がします。
「どんな闇夜もやがて朝が・・・」
心の中で繰り返し歌っています。
生きていくことは困難の連続で、経験値でははかれない緊張を繰り返し経験することになっていますが、希望の光を見失わないように生きていきたいです。












『レ・ミゼラブル』オリジナル版

2015年01月09日 20時28分43秒 | ミュージカル・舞台・映画


荷物を整理していたら、『レ・ミゼラブル』日本初演時のチラシと再会しました。
中学時代の友人と二人で観にいきました。
滝田栄さんと鹿賀丈史さんのお二人がバルジャンとジャベールの二役、
岩崎宏美さんのファンティーヌ、その頃は物語の奥深さをわかっていなかったですが、島田歌穂さんの歌声に心がふるえたことを今でもおぼえています。マリウスは野口五郎さんでした。
もう一度観てみたいですね。
わかりやすくなってスピード感のある新演出も素晴らしいですが、照明を控えめにして、バリケードが盆の上に乗っかったまま回転するオリジナル演出も余韻を残してやはり忘れがたいです。

「旧演出のレミぜは白黒、アンティーク、暗いと言われたのは、照明も小さな劇場で使うようなシンプルで地味なもの、光をかなり落としていた。演出家のジョン・ケアードのこだわり。シェイクスピアの手法をとりいれている。さすが、ロイヤルシェイクスピアカンパニーの演出家・・・」

2013年9月27日の朝日カルチャーセンターでの、バルジャン役吉原光夫さんのお話でした。


「レ・ミゼラブル」の舞台装置は廻り舞台の「盆」(Revolution Stage)を使用しています。
盆の前方にいたものもステージが半回転すれば闇に包まれ、暗闇にいたものは半回転して光を浴びます。これはちょうど、バルジャンとジャベールが、囚人と看守という関係から、市長と警部という関係に「逆転」することや、コゼットとエポニーヌの関係の変化を表現しています。そして、学生たちは権力者に対して「革命」を起こすために盆の上のバリケードで戦います。
「暗闇の世界にいる者も、光の世界に導き出せる」という、ユゴーが「レ・ミゼラブル」に込めたメッセージを、舞台を回転させることによって演出しているのです。
もう一つの見どころは巨大装置。
第一幕ではパリの貧民街を描き出し、第二幕では、これが横倒しにされ合体、バリケードとして登場します。この巨大装置は鉄骨と木材で作られており、樽や柵、ドアなどが組み合わされています。どこに何があるか探してみるのも面白いかもしれません。このような舞台装置は、もともと帝国劇場にはないものであり、「レ・ミゼラブル」のためだけに舞台が設置されます。」

「「レ・ミゼラブル」は照明にも様々な秘密が盛り込まれています。特徴的なのは、役者に対して客席方向から真正面にあてる照明がないことです。そのかわりに、舞台のサイド6方向から角度が変えられる「フォロースポット」が、陰影をはっきり表現します。このフォロースポットは、7色のプリズムが中に入っており、その角度を変えることで色の表現を多彩にします。
登場人物が死ぬシーンでは、役者の体から白色光が飛び立ち、まるで魂が天国にのぼるような効果をもたらしています。もう一つの仕掛けは舞台上空に設置された「ライト・カーテン」。
小さな証明が列をなし、20色のフィルターにより一つ一つの色彩を変えています。
また、スモークマシーンで煙を焚いており、証明と合わさって刑務所や貧民街、パリの下水道の雰囲気を巧みに演出しています。」

2011年6月に帝国劇場でもらった「レ・ミゼラブルを5分で10倍楽しむガイド」より引用しました。



写真は2011年6月12日の帝国劇場、オリジナル演出千秋楽公演、初演時のキャストの皆さんが帝国劇場100周年を記念して出演された時のもので、げきぴあから転用しています。





鹿賀さんジャベール、



岩崎さんファンティーヌ、



島田さんエポニーヌ、



鳳蘭さんのマダム・テナルディエ



ガブローシュは清史郎君、初舞台で小さかったです。


『眠られる夜のために』より

2015年01月08日 17時59分40秒 | 本あれこれ
「人生は、老年にいたって、ますます美しく、立派になることができ、またなるべきものである。しかし、より安楽になるわけではない。それどころか、前には生活に楽しさを添えてくれた多くの人びとがいなくなり、さまざまの興味も消えうせてゆく。そしてヨハネによる福音書21の28でイエスがペテロに語った言葉を思い出させるような、多くの事柄がおしよせてくる。たしかにわれわれは連れて行かれるのだ。しかもしばしば、自分が欲しないところへ、であって、決してのんびりした俗人たちのいだく老後の理想のように、仕合わせな子や孫たちに囲まれた心地よい安らかな生活へ、ではない。けれども、おそらく、ますます広い、すぐれた見識へ、と導かれるであろう。かくて「多くの人を怖れさせる死も、つねにわれらを元気づけ、目ざめさす呼び声」であり、慰め手であって、怖るべき姿をして現れるわけではない。」

「人間の生活は、神の恵みによって、また恵みの中にあって、堅固になっていないかぎり、えてして傲慢になりやすく、また意気沮喪しやすいものであって、しばしばこの一方の極端から直ちに他の極端へ移りさえするということは、まぎれもない事実である。だから、つねに祈りにたよって、自分の力を頼まぬことが、すべての地上の道のうちで、最も確実な道である。人間存在の一切の謎を解明し、しかも人生を一つの課題と見なし、それに満足すべき、結局幸福な解決を与えられうるような哲学など、決して発見されないであろう。人生は断じてそういうものではなく、まただれにとってもそれはそうではない。人生のかなりの部分はつねに暗く、かつ困難なものであって、この点について、だれも思いちがいをしてはいけない。そこで神への信仰がこの欠陥を埋めねばならない。ただこの信仰によってのみ、心の平安が生じ、真の幸福感が得られるのである。」

(ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために(第二部)』17-18頁より引用しています。)


まだ漠然としていますが小冊子を作ろうかと思います。
その時はよろしければ協力お願いします。

気持ち揺れ動きながら・・・

2015年01月07日 22時28分01秒 | 日記
気持ち揺れ動きながら日々過ごしています。
生身の人間ですから、当然ですね。はがねのようにかっちりと固まって動かないなんてこと
あり得ません。
出だし遅かった感ありですが、少しずつ手さぐりはスタートしました。
いくつかのことが同時進行になりますが、膨大な業務量を一人でこなしながら
誰にも言うことなく国家試験に合格した私にやれないはずがない、そう自分に
言いきかせます。
あきらめたくないことがいくつかあります。
欲張りかもしれないけれど、どれもやりたい。

一人で考え込んでいると、どうしても堂々巡りになってしまうので、久しぶりにコミュニティハウスに顔を出したら、元気の出る話に出会うことができました。
やりたことをやっていくために自分で手さぐりしながらも、新しいことをスタートさせた方々がいらっしゃいます。「私にもやれますか?」「できますよ」「そうなんだ、やろうと思えばできるんだ・・・」

自分の気持ちと向き合って、グチャグチャ状態を整理しようとした日々が決して無駄ではなかったと思いたいです。きっとこれからの糧になっていくはず。見なくていいことを見ることになり、知らなければ知らないですんだことをたくさん見て、たくさん知ることになりました。それが私にとって、正解だったのかどうかはわからないです。
過ぎた時間は戻らないので、どうすることもできません。
すごく不安と背中合わせだけれど、ふんばってみます。

旅日記やミュージカルのことがなかなか書けないままですが、よろしかったら気長に
お待ちいただければと思います。

写真は、オーウエルコーナー歴史村を出た所で撮りました。
日本の12月のような寒さの中で、高い高い空の、雲を見上げたことを思い出します。




ここまできたけれど・・・

2015年01月06日 22時56分00秒 | 日記
ようやく少しずつ自分の中で気持ちが整理され始めてきて、切り替えて行こうと
動き始めましたがすぐになにか見つかってうまくいくはずなんてないですね。
本当は一定の結果で混乱が終結すれば、少しボランティアしながら手さぐりしていきたかった
けれど全く甘かったです。こんなに生きてきているのに、なんだかまだまだです。
生活を支えながら今思っていることをちゃんとやり遂げていけるのかなあ。

ここまでがんばってきていることが自分にとって正解だったのか今もまだわかりません。
どこでどうやって暮らして行けばいいのか、答えは簡単ではないです。

気持ちが休まらないので、少しもだらだらできない、何かしていないと落ち着かないので
いつもがんばってしまいます。
きつい日々を過ごしてきているつもりですが自分は甘かったとあらためて思わざるを得ません。むずかしいです。

「夢みる力」

2015年01月04日 17時10分16秒 | 本あれこれ
 仕事机のそばの電話が小さな音をたてて鳴りました。
「萌さんですか?」聞き覚えのない若い女の人の声です。
「はい」「妖精って本当にいるのでしょうか?」
「えっ、何ですか?1」「あの・・・」
口ごもりながら、その人はもう一度言いました。
「妖精って本当にいると萌さんは信じていらっしゃるのですか?」
一瞬、いたずら電話かしら?という思いが頭をよぎりました。でも、言葉づかいはていねいだし、声の調子はとても真剣です。
「私はいると思っていますよ。あなたはどうですか?」
私はまじめに答えました。声の人は緊張がとけたようにホッとした様子で、
「はい。私もそう思っています。」
突然の質問に、とまどった私も、ようやく体勢をたてなおし、
「どちらさまですか?」「あっごめんなさい。私・・・」
兵庫県に住む高校三年生だと、その人は答えました。
進路を決めなければいけない時期に、そういう現実がとても重荷に思えて、
いつまでも物語の世界に住んでいたいという気持ちが日増しに強くなっていくのだとか・・・
受験をひかえて殺気立った教室の中で、彼女はきっと一風変わった存在なのでしょう。

「ボーイフレンドはスポーツマンで明るい人なんです。
でも最近、私のことをどこかおかしいって言うんです」
現実と空想の境い目を見きわめるほど、大人になっていないのかその声は
細くて頼りなげ気で、そんな彼女を前にした日焼けした少年のとまどいの目の色が
見えるようでした。
「私は小さい時から童話や絵本が好きで、あなたのように、自分もその中の登場人物の
ひとりだと思っていたの。でもね。大人になるとだんだんその世界が遠のいていってしまって・・・私が遠くまで歩いてきてしまったからなのでしょうね。もう私には妖精たちが
みえなくなってしまったの。だからいろいろなことを忘れてしまわないうちに、
絵を描きておきたいなって思うようになったなの。」
「はい。」「私が妖精ばかり描いているのは、妖精の世界にはもう住めないからなのかもしれないわね。」「はい・・・」
二十分ほど、そんな話をしたでしょうか。
「ありがとうございました。」
そう言って電話は切れました。少しは彼女の役に立ったのでしょうか。
なんとなく仕事をつづける気にもなれなくて、私はぼんやり考えていました。
あんなふうに電話をもらうのははじめてですが、手紙ではよく似た内容の相談を
うけることがあります。夢見る人というのは往々にして、はためいわくな存在なのでしょうね。歩調を乱すとでもいうか、どこか調子を狂わせるところがあるようです。
そんな少女たちに、夢を見ることと現実から逃げることとは、まったく違うということを
どうやって説明してあげたらいいのでしょう。
本当の意味の夢見る力は、現実の困難の中の、かすかな希望の光を見つけて、それを信じて
歩いていく勇気をあたえてくれるものだということを、どうすればわかってもらえるのでしょう。そんなことを伝えたいと絵を描いている私なのに、私の絵は、私の気持ちを語るには、
まだじゅうぶんではないのかもしれませんね。

 あれこれ考え込んでしまった冬晴れの朝です。そばでは息子のはるかが、母親の感傷などどこ吹く風と、右手を食べてみようと口の中に押し込むのに夢中です。

 はるか、君が大きくなったら、そんな女の子の気持ちを大切にする男の子にならなきゃいけませんよ。

(永田萌著『花待月に』1986年3月、偕成社刊、40頁より引用しています。)

OTTVA「第2の開局記念」ガラ・コンサート

2015年01月03日 23時52分22秒 | ミュージカル・舞台・映画
2014年11月7日にOTTVA「第2の開局記念」ガラ・コンサートに行きました。
場所はめぐろパーシモンホール。

OTTVAは4月1日に突然の放送休止発表。エーッ!?

それから一転、放送休止を惜しむたくさんのリスナーさんからの声に押されて
継続が決まりました。6月30日をもって大会社のテレビ局の傘下から離れ、
7月1日から新たな小舟として船出。それから三ヶ月の準備期間を経て10月1日より
正式に小舟は新たに漕ぎだしました。その船出をお祝いするコンサートでした。

なんだか自分の状況とかぶるようで、迷いましたが行かずにはいられませんでした。
たくさんの苦しい朝背中を押してもらったり、疲れ果てた夜プレゼンターさんの声に
元気をもらったり、一晩中パソコンつけっぱなしで音量をしぼって流し続けたり、
全部のプログラムを聴くことは無理で聞き流し専門でしたが、苦しい日々をずいぶんと
救われました。

コンサートは、数えきれないほどの苦しい朝背中をおしてくれたピアニストの本田聖嗣さんが
何度も登場する大活躍で、福間洸太朗さんとの「二台のピアノのための組曲(ラフマニノフ)」は聴きごたえがありました。この時、若手の福間さんの楽譜はデジタル。

福間さんが譜面をみることなく「火の鳥」を演奏されたのも印象的でした。

劇団四季出身の村田恵理子さんと柳瀬大輔さんの「オペラ座の怪人」のナンバーも嬉しかったです。四季時代に、クリスティーヌ役、ラウル役をそれぞれ繰り返し演じられたんですね。

NAOTOさんのバイオリンは、今までのバイオリニストのイメージを打ち破ってくれて、
かっこよかったです。

公演時間を大幅にオーバーしてしまったようで、終わったのは10時近く。
大急ぎで会場を出なければなりませんでした。

ラストは観客も一緒になって、会場全体でウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの最後に
必ず演奏される「ラデッキ-行進曲」。私も手拍子しました。元気をもらえました。
混乱の真っただ中。こんな時間はやはり必要でした。

新たな船出は大きなエネルギーが要るので私はまだ踏み出すことができていません。
足踏み状態のまま、その時々の目の前のことを一生懸命にやってきた生き方はまちがっていたのか、社会の仕組みに気づかないままきてしまった自分が愚かだったのか、今も問いかけは続いています。
お前が甘かったんだと言われればそれまでなのかもしれないですが、自分の力だけではどうすることもできなことがたくさんあって、がんばればその結果がついてくるわけではないこともたくさんあって、全部が自己責任に集約されてしまうのはつらいです。
自己責任だけではどうしようもないこと、たくさん、たくさん・・・。

元旦のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで「ラデッキ-行進曲」を聴いて、
この時の楽しかった空気感を思い出しました。

ずっと、ずっと、がんばってきた、でもまだ、いや、さらにがんばらなければならない。
混乱の精算が終わらないことにいつまでも甘えていてはいけない。
新たな船出を、と気持ちだけでも舵とりの方向を変えて行くと、おのずとみえてくるものなのか、わからないまま立ちすくみつづけている私がいます。
自分の感性を信じるしかないのだと言いきかせ続けています。

今日も寒かったですね・・・。

3月29日には、仙台でOTTVA主催の東日本大震災復興支援コンサート、混乱が望むかたちで
終結すれば行きたいですが無理かな・・・。











寒い新年になりました

2015年01月02日 22時58分37秒 | ミュージカル・舞台・映画
雪のちらちらと舞い散る、寒い新年になりましたね。
まだ今年の手帳を購入しておらず、購入しようという気持ちになることもできずに
います。

加藤清史郎君が好きなのですが、今日初日を迎えた舞台の写真がアップされていて嬉しくなりました。元気をもらえます。

断捨離に一生懸命になっているので今日はこんなつぶやきだけです。

心配して訪問してくださる方、ありがとうございます。

(写真はnews.merumoから転用しています。)