行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

追悼、草野忠義さん

2012-03-10 10:39:47 | Weblog

30年来の労働運動の同志で、ひつじ会の重鎮だった草野さんが急逝した。このところ、笹森、鷲尾、と連合のトップOBの訃報が続き、ショックの連続だ。草野さんは2000年、金属労協議長を1年務めたあと連合の事務局長に就任。たった1年だったが金属労協で議長ー事務局長のコンビを組んだので、国際金属労連の会議で欧州やアジア諸国へご一緒させてもらった。

草野さんは日産出身ということもあり、2001年だったかベニスでの会議の帰路、ベンツのスマートの工場を見たいというので、ドイツ金属労組にたのんだところ、スマートはベンツの車ではない、作っているのもフランス・ストラスブールだからと、小型車Aクラスの工場に案内された。日本の工場と違い、全員組合員(正社員)で組み立て、モジュールはとなりの関連会社工場で作りコンベアでAクラスの生産現場に運ぶという厳格さに感心していた。

私が国際労働財団専務理事となり、草野連合事務局長へのコンタクトをとることが多かったが、分刻みのスケジュールでアポを取るのが難しかった。かれはスーパーマンのごとく深夜まで諸案件を処理したが、仕事の性格上、飲みながら人と会う機会が多かった。連合事務局長を辞めても休む間もなく連合総研の理事長をやりながら、政府の行革委員や国家公務員倫理審査委員などもこなし、激務が命を縮めたとしかいいようが無い。

5年前、韓国労働財団の招きでのんびりとソウルを訪れ、休ませてやろうとしたが、草野さんはスケジュールを切り上げて帰国してしまった。剣道の達人ではあったが気遣いが細やかでその分頼まれたことは断れなかったのだろう。                                                                                                                      合掌
       

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