8月15日が来る度に、太平洋戦争の特番が放送されるが、今年は防衛力の強化が話題となった。尖閣問題が日中の間で起きて以来、防衛力の強化へと世論を誘導する得体の知れな力が働いているような気がしてならない。太平洋戦争への突入ではマスコミの世論誘導が大きな役割を果たしたことは山本五十六の映画を見ても明らかだ。現実に、防衛力強化を唱える人々は沖縄の普天間基地を自分たちの町に移そうと云うことになると反対する。沖縄の負担を少しでも軽減することを先ず第一に考えてもらいたい。基地がなければ防衛自体がおぼつかない。
以前このブログで敗戦色濃い中、赤坂で母の背に背負われ、焼夷弾が雨あられと落下する中、九死に一生を得たことを書いた。(2011年6月30日)母の自分史を読んでいたらその空襲の前の日常の一コマが紹介されていたので掲載する。普通の庶民の家庭で、父が招集された家族の思いが出ている。
「今日が最後の面会日になるかもしれない、と思いながら横須賀まで何回通ったでしょうか。それにしてもこの電車はトンネルが多すぎ、背中の長男はその度に奇声ををあげて喜ぶのです。横須賀駅を出ると、この街は海軍の兵隊さんばかりです。兵門に入れば面会の家族でごった返しでムンムンしていて、それでも主人はこの中から私たちをすぐ見つけてくれました。街を歩けば敬礼責めで、手を顔の横に上げっぱなしなので大変なのかいつも宿をとってくれました。宿の名は今忘れてしまいましたがそんなことはどうでも良いとその時は場所さえも覚えていませんでした。親子のつかの間の逢瀬で明日の命さえお互いに保障されない時世でした。駅のホームでいつまでも見送る主人の顔、これが最後の別れになるかもしれぬとその度に思ったものでした」