日本経済新聞 (2004/03/13)
6月9日は
小説家 有島武郎
(1878~1923)が
亡くなった日
(星座忌・武郎忌)
有島武郎は
1878(明治11)年3月4日
小石川水道町52番地
(現・水道1‐12‐7)生まれる。
1896(明治29)年
新渡戸稲造を慕って
札幌農学校に進学、
初め新渡戸家に寄宿し
夫人メリーの世話になる。
在学中稲造の創設した
遠友夜学校に関係し
貧しい子女の教育にあたる。
1903(明治36)年
アメリカに留学、
帰国後母校で教鞭をとる。
1910 (明治43)年4月
発刊の「白樺」同人となる。
1923(大正12)年6月9日、
軽井沢三笠山の別荘(浄月庵)で
人妻で婦人公論記者の
波多野秋子と情死。
有島武郎の住居跡が
東京新宿区にある。
所在地 新宿区原町2-71
説明文には
「新宿区指定史跡
有島武郎旧居跡
平成3年(1991)12月6日指定
白樺派の中心的作家で、
大正期の小説界に
大きな足跡を残した
有島武郎(1878~1923)が、
最晩年の大正11年(1922)3月から
1年間を過ごした住居の跡である。
武郎は、明治11年(1878)
東京は小石川水道町に生れた。
7人兄弟の長男で、
次男は洋画家・小説家の有島生馬、
四男は小説家の里見弴である。
学習院中等科を経て
札幌農学校を卒業。
明治36年(1903)
ハーバード大学に留学後、
ヨーロッパ各地に遊学、
明治40年(1907)帰国した。
明治43年(1910)
「白樺」の創刊に加わり、
本格的なリアリズムの
作風で文壇での地位を確立した。
代表作に『或女』『カインの末裔』
『生れ出づる悩み』がある。
この地では、戯曲『ドモ叉の死』を
書いたほか、個人雑誌「泉」が
刊行されたが、
翌大正12年(1923)6月9日
軽井沢の別荘で死去した。
平成4年(1992)1月
東京都新宿区教育委員会 」