あかない日記

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経営者 土光敏夫

2021-08-04 | 人物忌


 (BS朝日・昭和偉人伝から)

 

8月4日は 
経営者 土光敏夫が亡くなった日

土光敏夫は 石川島播磨元社長
東京芝浦電気(東芝)を再建し
経団連会長も務め 
“財界の荒法師”
“ミスター合理化” とも呼ばれた。


また 赤字国債が82兆円にまで
膨れあがっていた

昭和50年代、財政を立て直すため
鈴木内閣のもと結成された
第二次臨時行政調査会の会長を務めた。


土光は

1896(M29)年
 岡山県御津郡大野村
 (現・岡山市北区)に生まれる。
1920(T9)年
 東京高等工業学校
 (現・東京工業大学)機械科を卒業し

  石川島造船所入社。
1936(S11)年 石川島芝浦タービン技術部長
1946(S21)年 同社社長
1950(S25)年 石川島重工業に社長として復帰
1960(S35)年 石川島播磨重工業(現IHI)社長
 1964~1972年 同社会長
1965(S40)年
 石坂泰三(1886-1975)に
 請われ業績の悪化した

 東京芝浦電気(現・東芝)の社長に就任し
 再建に努力、率先垂範して
 同社の立て直しにあたる。
1968(S43)年
 経済団体連合会
 (現・日本経済団体連合会)副会長

1972(S47)年
 東京芝浦電気の会長となる。

1974~80年
 経団連第4代会長として
 「行動する経団連」を実践(名誉会長)

1981(S56)年
 第二次臨時行政調査会会長となり
 行革問題に取り組む。
1981~83年
 第2次臨時行政調査会の会長として

「増税なき財政再建」を目指し
 日本国有鉄道をはじめとする
 3公社の民営化など
 一連の行政改革に指導的役割を果たした。
1983~86年
 臨時行政改革推進審議会の
 会長として行政改革実現に力を尽くし
 ”日本を再建した男”とも。

1988(S63)年8月4日 死去 91歳



   (BS朝日 昭和偉人伝から)

また土光の母 登美が 
1942(S17)年に創立した 
橘学苑(中・高校)の理事長として
女子教育に尽力した。


「簡素」「シンプル・ライフ」が信条で
個人は質素に 社会は豊かに。
思想(おもい)は高く 暮しは低く。