(Goo古地図・明治期から)
左側は旧岩崎家の石垣
無縁坂
前回 森鴎外に続き
作品「雁」(1911年)の
舞台「無縁坂」に触れる。
無縁坂の説明文には
「 無縁坂
「御府内備考」に、
「称仰院前通りより本郷筋へ
往来の坂にて、往古 坂上に
無縁寺有候に付
右様相唱候旨申伝・・・」とある。
団子坂(汐見坂とも)に住んだ、
森鴎外の作品「雁」の
主人公岡田青年の散歩道ということで、
多くの人びとに親しまれる坂となった。
その「雁」に次のような一節がある。
「岡田の日々の散歩は大抵道筋が
極まっていた。
寂しい無縁坂を降りて、
藍染川のお歯黒のような水の流れこむ
不忍の池の北側を廻って、
上野の山をぶらつく。・・・」
(以下省略)
文京区教育委員会 昭和55年1月
鷗外の「雁」は
1880(M13)年 東京大学鉄門の真向かいの
下宿・上条に住む学生岡田と、無縁坂の女
お玉の物語だが 鴎外が49歳の時の作品
登場人物は
「僕」主人公
「岡田」僕の下宿先の隣人
大学のボート部員
「お玉」末造の愛人
「末造」高利貸し お玉の妾
なお 実際に鴎外は
1880(M13)年
本郷龍岡町の下宿屋「上条」に移る。
翌年3月 下宿先で火災に遭い
講義ノートなどを失っている。
また 鴎外の妹
小金井喜美子(1870-1956)の
「鴎外の思い出」(1956)に
鉄門や下宿の様子が描かれている。
坂上には東京大学の「鉄門」がある。
「鉄門の由来」によれば
明治期の大学は「医科大学」前の
「鉄門」(1879・M12年造)が
正門であった。
後に 法・理・文の3学部が
神田一ツ橋から移転してき
共通の公式門として本郷通りに
正門(1912・M45年)ができた。
しかしながら 大正期に鉄門前の民有地が
構内に取り込まれたため鉄門は撤去された。
2006(H18)年 東大医学部創立150周年を
記念して復元された。
なお 復元された鉄門は東に30mほど
移動しており、下宿屋「上条」も
大学構内となり当時と違っている。
また「鉄門」は
東京大学医学部の通称になっている。
追)「赤門」は
加賀藩前田家上屋敷時代
(1827・文政10年)に造られたものだが
1903(M36)年に15mほど通りよりに
移築されて現在に位置にある。