「クラクフ郊外通り」から西に
ピウスツキ広場にある ”十字架” を見る。
この十字架は 共産主義時代に
ポーランド出身のローマ教皇
ヨハネパウロ 2世が里帰りし
ミサを行った記念に建てられた。
教皇が就任(1978年10月16日)した
8ヶ月後に 初めての故国訪問をしたが
熱狂的歓迎をもって迎えられ
ビウスツキ元帥広場に集まった人々に
「恐れることはない」
と訴えた。
その 4ヶ月後
「独立自主管理労働組合「連帯」」が
率いたストライキなどを経て
政権は 妥協路線を走り始めた。
この教皇の言葉が
1980年代後半以降の東欧の民主化運動において
” 精神的支柱の役割 ”
を果たしたともいわれている。
因みに 教皇は 1981年2月23日から26日まで
日本も訪れている。
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