あかない日記

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原 敬

2020-08-28 | 出来事・行事

 

 

前回 浜口雄幸の
暗殺現場について触れたが

これに似た事件が その9年前の
1921(大正10)年11月4日に
同じ東京駅構内で起こっている。

 

丸の内南口の北東面左端付近の
遭難現場には 壁にプレート
床面には円内に6角形の
マークが埋め込まれている。


壁の説明文には

「原首相遭難現場

大正10年11月4日 午後7時20分、
内閣総理大臣原敬は、
京都で開かれる
政友会京都支部大会に
おもむくため、丸の内南口の
改札口に向かっていた。

そのとき、一人の青年が
飛び出してきて案内に
あたっていた高橋善一駅長
(初代)の肩をかすめ、
いきなり刃わたり5寸の
短刀で原首相の右胸部を刺した。
原首相は その場に倒れ、
駅長室で手当てを受けたが、
すでに絶命していた。

犯人は 原首相の率いる
政友会内閣の強引な施策に
不満を抱いて凶行に
およんだと供述し、
背後関係は不明であった。」

 

原 敬 は 
1856(安政3)年 岩手県に生まれる。

司法省法学校中退。
改進党系の記者を経て
官僚派の大東日報の主筆となる。

井上馨 陸奥宗光の知遇を得て
外務省の次官まで進んだ。

退官後 大阪毎日新聞社社長。
1900(明治33)年
 立憲政友会創立に参画し
 逓相・内相を歴任後  総裁に就任。

1918(大正7)年
 米騒動で倒れた寺内内閣の
 あとを受けて 平民宰相として
 初の政党内閣を組織し
 交通の整備   教育の拡張など
 積極政策を行った。

 しかし 政友会の絶対多数を
 背景に強硬施策を行い
 世論の非難をあびた。

1921(大正10)年
  東京駅頭で大塚駅員により
    暗殺される。

 

 



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