当ブログで 以前「赤い靴」
(1992・大正11年 雨情作詞・本居長世作曲)の話題
2011年7月4・5日 静岡紀行(21・22)で
「赤い靴」は 大正11(1922)年
野口雨情 作詩 本居長世 作曲で発表された。
きみちゃんと 母・かよの 母子を 81年ぶりに 故郷の清水へ
里帰り再会させ 母子の永遠のやすらぎを 母子像にたくした
とのことだそうだ。
この地に 童謡「赤い靴」が 関係していることを 初めて知った。
定説では この地出身の未婚の母・かよ は その娘・きみ を
育てていたが 後に北海道に渡り結婚し 平民農場に入植する。
しかし生活苦から 娘・きみを アメリカ宣教師に養育をたくした。
その後 宣教師が帰国することになるが 娘・きみは結核に
冒されていて 米国に連れて行くことができず 東京の孤児院
に預けられ 9歳で亡くなった。
母・かよは 米国に行ったものと思い 娘・きみ が東京で
亡くなったことは知らないまま 一生を過ごした。
この話から 「赤い靴」が作詩されたという。
と取り上げたが
ここ記念館にその写真像の大集成があった。
(BSテレ東:#238「武田鉄矢の昭和は輝いていた・童謡100年」から)
更に この12月7日BS放送
「武田鉄矢の昭和は輝いていた・童謡100年」
が放映されていた。
その中で 先に話題にした内容のほか
実の妹が 昭和48年新聞に
後日談として投稿されていたことも明かされていた。
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