あかない日記

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剱岳

2020-06-20 | 出来事・行事


 (写真:深田久弥「日本百名山・剣岳」から)

 

前回に続き「剱岳」に触れる。

深田久弥の「日本百名山」
(新潮文庫 1964年)で

48番目に取り上げられている。


「北アルプスの南の重鎮を
穂高とすれば、
北の俊英は剣岳であろう。

その豪宕(ごうとう)、
峻烈、高邁の風格は、
この両巨峰に相通じる
ものがある。・・・・」

とある。

飛騨山脈北部の立山連峰にある
標高2,999mの山で
富山県の
上市町と立山町に属している。

アルピニストからは
「雪と岩の殿堂」とも呼ばれ
憧れの山の一つになっている。


「日本百名山」では
標高が2,998mになっているが

2004年 国土地理院によって
3等三角点が埋設され

GPS(人工衛星を使った
全地球方位システム)により
測定され
1m上がって
2,999mに改定された。

 

また 山名表記も
「剱岳」「剱嶽」「剣岳」などと
不統一であっため

2003年に 国土地理院によって
剱岳」に統一されている。

 


(国土地理院・測量と地図の科学館 掲示)

 

「日本百名山」には

「明治40年(1907年)7月13日、
陸地測量部の一行によって、
遂にその頂上が踏まれた。

ところが人跡未踏と思われていた
その絶頂に初めて立ったのは
彼等ではなかった。

測量部一行は頂上で
槍の穂と錫杖の頭 を
発見したのである。・・・」

とある。

その後の調査で 
奈良時代後期から
平安時代初期のものと判明し

この時代既に山岳霊場として
修行者が登頂していたことになる。


なお 出土品2点は
国の重要文化財に指定され

現在 富山県立立山博物館に
保管・展示されている。


更に「日本百名山」には

「この発見から二年後に、
純粋な登山を目的とする
4人のパーティによって登頂されたが、
それを案内したのは、
前の測量隊に同伴した
宇治長次郎であった。

そしてこの時一行の登路に
採った雪渓に長次郎谷という
名が与えられた。

宇治長次郎と並んで、
わが国近代登山黎明期の越中の
名ガイドと呼ばれた 佐伯平蔵は、
やはり剱岳東面の雪渓に
平蔵谷 の名を遺した。

そして長次郎谷と平蔵谷とを
分つ岩稜は、やはり
名ガイドの一人の名を採って
源次郎尾根 と呼ばれている。」

と上の写真のとおり。

 

 

 

 

 



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