「オウムからの帰還」を書いた高橋英利さんは、私とほぼ同年齢の人だが、この人がオウムに出家したのは1994年春ということで、考えてみればずいぶん遅い。
←人材を大量に吸い込んで、破壊に使ったオウム
遅いというのは二つの意味があって、まずひとつは、1994年というともう我々にとっては結婚もして就職もして家も買って、またろうも生まれて子育て奮闘真っ最中という時期だから、その年に「まだ揺れる青春真っ最中?」ということ。もうひとつは、そのころすでにオウムが犯罪集団ではないかということが巷で言われるようになっていたのではないかということ。
私とよしぞうは同じ学科に所属していたのだが、それは同じ学年の人があと三人しかいない小さな学科で、その中からひとり、オウムに出家してしまった人がいる。彼がなぜオウムに取り込まれてしまったのか、そしてなぜ今に至るまで帰ってこないのかということはずっとどこかにひっかかっており、なのでこの本はものすごく彼と重なるところが多く一気に読んでしまった。
彼がいっていた「ハルマゲドンが来るので急がないと(=出家)いけない」というような、オウムの外側にいる人からすれば荒唐無稽に聞こえる言葉のいくつかも、この本を読んだらそれが彼らにどう受け止められていたかがずいぶん詳しくわかった。
論理的思考能力もあり、とてもまじめで、勉学にも優れている、そして科学についてもいろんな面からよく知っているはずの学生が、どういう経路をたどって、戻りようなくオウムに取り込まれてしまったのか、ということは、ずっと疑問だったが、この本を読むとどういう人がそうなりやすいのか、どんな出来事が流れを支えると、とまらずにそちらへいってしまうのかということもかなり見えてきた気がする。
彼と高橋さんはすごく似ている部分があると思う。人生とは?? 自分は何をなすべきか?? についてとことん考えてしまうところとか。
けれど、高橋さんは帰還して、彼は帰ってこなかった(現在はアレフの幹部らしい)。その違いはどこから生まれたのか。
まず非常に重要なことは、サリンの事件があったときまでに、高橋さんはまだ出家して一年くらいで日が浅かったということ。日が浅ければ傷も浅い。「傷」という表現が適当かどうかわからないが、要するに、世間(現世)での常識をどのくらい保っているかどうかが違うと思う。
そして、ふつう日が浅ければ、出家信者としてもぺーぺー、駆け出しであり、行動の自由が少なく、脱出するきっかけもチャンスもない。周囲から「揺れている(オウムのあり方に疑問を持っている)」と勘ぐられたら拷問まがいの「治療」をされるおそれもある(高橋さんも電気にかけられたりはしたがそれ以上追及されなかった)。
高橋さんの場合は、まず専門分野(天文)をみこまれて、駆け出し信者なのに重要な「ワーク(オウムの中で分担する職種)」を与えられた。なんと、占星術ソフトの開発である。これは、超重要ミッションであったし、麻原と接する機会も破格に多かった。
「ぼくたちのつくっていた占星術ソフトは、市販のさまざまな本を参考にしてつくりあげたもので、出生の年月日・時間と出世居場所の東経・北緯までを特定してホロスコープを作成するものだった。」
…そんなんで当たるのかどうかたいへん疑わしいが、少なくともそのソフトで麻原のホロスコープを出すととんでもない「星の下」に生まれていて、特徴は(危険であるという部分も含めて)たいへん当たっていたそうである。
さらに高橋さんは、地質学をやっていた経験もあるので「地震占星術」をやるように麻原から特命を受け、1995年の年頭に行われたラジオ放送で、「神戸」に地震が起きるという占いを出した。そのソフトでやったら、神戸の場所(東経・北緯)が出てきたので、地図を見て「神戸」と口に出してしまったのだが、地震学の常識からいって神戸はないだろうと高橋さんは思っていて、とんでもないことを言ってしまったとずいぶん気に病んでいたらしい。しかし実際に…
つまり、高橋さんは大成果を挙げたことになり、さらに開発を進めるために、行動の自由が与えられるなりゆきとなった。資金を持って自分で自動車を運転して、ひとりで東京の本屋街にいくようなことである。高橋さんはそこで、ふだんは入手できない新聞を買って読み漁るなど、ふつうは出家信者ができない情報入手ができることになった。
最後に脱出するときも、見咎められそうになったのを、特命であるといってふりきっている。
そこまでの偶然がかさなって、ようやく抜けられる人がいたのだ…
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←人材を大量に吸い込んで、破壊に使ったオウム
遅いというのは二つの意味があって、まずひとつは、1994年というともう我々にとっては結婚もして就職もして家も買って、またろうも生まれて子育て奮闘真っ最中という時期だから、その年に「まだ揺れる青春真っ最中?」ということ。もうひとつは、そのころすでにオウムが犯罪集団ではないかということが巷で言われるようになっていたのではないかということ。
私とよしぞうは同じ学科に所属していたのだが、それは同じ学年の人があと三人しかいない小さな学科で、その中からひとり、オウムに出家してしまった人がいる。彼がなぜオウムに取り込まれてしまったのか、そしてなぜ今に至るまで帰ってこないのかということはずっとどこかにひっかかっており、なのでこの本はものすごく彼と重なるところが多く一気に読んでしまった。
彼がいっていた「ハルマゲドンが来るので急がないと(=出家)いけない」というような、オウムの外側にいる人からすれば荒唐無稽に聞こえる言葉のいくつかも、この本を読んだらそれが彼らにどう受け止められていたかがずいぶん詳しくわかった。
論理的思考能力もあり、とてもまじめで、勉学にも優れている、そして科学についてもいろんな面からよく知っているはずの学生が、どういう経路をたどって、戻りようなくオウムに取り込まれてしまったのか、ということは、ずっと疑問だったが、この本を読むとどういう人がそうなりやすいのか、どんな出来事が流れを支えると、とまらずにそちらへいってしまうのかということもかなり見えてきた気がする。
彼と高橋さんはすごく似ている部分があると思う。人生とは?? 自分は何をなすべきか?? についてとことん考えてしまうところとか。
けれど、高橋さんは帰還して、彼は帰ってこなかった(現在はアレフの幹部らしい)。その違いはどこから生まれたのか。
まず非常に重要なことは、サリンの事件があったときまでに、高橋さんはまだ出家して一年くらいで日が浅かったということ。日が浅ければ傷も浅い。「傷」という表現が適当かどうかわからないが、要するに、世間(現世)での常識をどのくらい保っているかどうかが違うと思う。
そして、ふつう日が浅ければ、出家信者としてもぺーぺー、駆け出しであり、行動の自由が少なく、脱出するきっかけもチャンスもない。周囲から「揺れている(オウムのあり方に疑問を持っている)」と勘ぐられたら拷問まがいの「治療」をされるおそれもある(高橋さんも電気にかけられたりはしたがそれ以上追及されなかった)。
高橋さんの場合は、まず専門分野(天文)をみこまれて、駆け出し信者なのに重要な「ワーク(オウムの中で分担する職種)」を与えられた。なんと、占星術ソフトの開発である。これは、超重要ミッションであったし、麻原と接する機会も破格に多かった。
「ぼくたちのつくっていた占星術ソフトは、市販のさまざまな本を参考にしてつくりあげたもので、出生の年月日・時間と出世居場所の東経・北緯までを特定してホロスコープを作成するものだった。」
…そんなんで当たるのかどうかたいへん疑わしいが、少なくともそのソフトで麻原のホロスコープを出すととんでもない「星の下」に生まれていて、特徴は(危険であるという部分も含めて)たいへん当たっていたそうである。
さらに高橋さんは、地質学をやっていた経験もあるので「地震占星術」をやるように麻原から特命を受け、1995年の年頭に行われたラジオ放送で、「神戸」に地震が起きるという占いを出した。そのソフトでやったら、神戸の場所(東経・北緯)が出てきたので、地図を見て「神戸」と口に出してしまったのだが、地震学の常識からいって神戸はないだろうと高橋さんは思っていて、とんでもないことを言ってしまったとずいぶん気に病んでいたらしい。しかし実際に…
つまり、高橋さんは大成果を挙げたことになり、さらに開発を進めるために、行動の自由が与えられるなりゆきとなった。資金を持って自分で自動車を運転して、ひとりで東京の本屋街にいくようなことである。高橋さんはそこで、ふだんは入手できない新聞を買って読み漁るなど、ふつうは出家信者ができない情報入手ができることになった。
最後に脱出するときも、見咎められそうになったのを、特命であるといってふりきっている。
そこまでの偶然がかさなって、ようやく抜けられる人がいたのだ…
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