翻訳(英日翻訳を想定してください)なんだから英語が読めなきゃしょうがない(→文系??)けど、やっぱり話がわからないと訳しにくい(→理系??)。と考えると…
←流されて、自分に向く分野に到着する会社員生活
ま、どっちもありなのかな。でも、私は自分が理系なので、やっぱり文脈を追えているほうが強いのではないかと思っていた。
ちょっとした見間違えをしたとき、あるいは文法的には曖昧なのをエイヤと違うほうにかけてしまったとき、頼りになるのは文脈だ。前後を考えてみて「それ、ありえないから!!」とツッコミできれば気がつくでしょう。
でも、「ありえない」系の誤訳を追いかけていくと、文系の人の場合もあるけどビシバシ技術系の人だったりすることもあり、なんかむしろ技術畑上がりの人がすごく勘違いな反論をしてくることもあったりして。まぁ、なんともいえないかしらね、と。
先日、たいへん遅ればせながら「不実な美女か貞淑な醜女か」(米原万理著、新潮文庫)という本を読んだら、おもしろいことが書いてあった。この著者は、日露の同時通訳者で、翻訳と通訳の違いとかの話もとてもおもしろいんだけど、とりあえず理系/文系について。
米原さんも含めて、多数の文系出身通訳者は、もともと理系とか技術系というものが苦手で文系を選んだという人が多い(と、米原さんは書いている)。しかし、通訳となって稼いでいこうとすると、文学とか歴史とか経済などの、なんとか手の届きそうな分野の話はなかなか来なくて、軍事、宇宙開発、原子力、医学、エロクトロニクス、新素材などなど、まったくなじみのない分野をこなしていくしかない。
いくしかない、といっても、もともとまったく知らないわけで、どうするかというと、どんな分野でも
「まず入門書、百科事典から入り、確実な理解を土台に用語を征服していくのが結局は近道になる。その意味では、通訳能力とは、常に新しい分野を勉強していく意思と能力である。」
という。
理系出身の通訳者は、もともと何かしらの得意分野を持っているのだが、大学での専門(あるいは、技術者として働いていた実務経験)などというものはなんというか、たいそう狭い。その狭い中ではもちろん非常に強いのだが、あまりその外へ出ていきたがらない。
「その点、文科系出身者は、怖いもの知らずというか、蛮勇があるというか、平気で怪しげな仕事を請け負ってしまう。」
また別の文系出身通訳者が技術通訳について語って曰く、
「どんな複雑な機器や装置であれ、所詮人間の作ったものである。その人間に対し飽くなき探究心を抱く者にとって、機械だけがどうして無縁で有り得よう。」(小町直美「みみずはオスかメスか 駆け出し技術通訳体験記」)
うーむ、なんだか私と気が合いそう(^^)
そういえば、私も自称理系だけれどもかなりの「なんちゃって」で、専門らしい専門がない(システム基礎科学? なんじゃそら)。学生のときの実習では、電気回路や信号処理みたいなのから、地層の観察、アズキゾウムシを使った実験、電子顕微鏡も見たし原子力発電所も見たし(見ただけ)。なんでも見たけどなんにも「手に職」はない。
でも翻訳というか翻訳チェックするにはこれはまことに具合よく、どんな話でも抵抗なく読めるし、調べられるし、あっち見てこっち見て、サクッと疑問点に吸い寄せられてスムーズに「ダウト」できる。
そうか、あのわけのわからん学科は、翻訳向きだったのか。そんなふうに思っていた人はいないだろうけど。私も思ってなかったけど。人生、何が役に立つかわからないよね~
私にとっては、そのような、どこをとっても使い物にならないくらい浅い知識と理解が「ふわっと」、いろんな分野のつかみに役立つわけだ。
そして、米原さんにとってはなんと「文学」がソレ:
「文学部ほど世間でつぶしのきかない学部はないし、哲学や文学ほど、とりわけ詩文学ほど目先の利益からほど遠い学問はないはずなのだけれど、私は通訳の最中、会議のテーマのいかんにかかわらず、幾度となくまさにいくつもの詩作品の一節に助けられていた。」
瞬時に両言語を往復しなければいけない同時通訳の場合、元の言語にひっぱられてうまい表現が出てこない状態になることがよくあるが、
「そんなとき、まるで天啓のように、遠い昔に覚えた詩の一節の言い回しが、助け船となってくれるのだ。」
おもしろいよね。別に、先にいって何をやりたいかなんて決まってなくてもいい、なにかしら勉強しておけばちゃんと役に立つよ。
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ま、どっちもありなのかな。でも、私は自分が理系なので、やっぱり文脈を追えているほうが強いのではないかと思っていた。
ちょっとした見間違えをしたとき、あるいは文法的には曖昧なのをエイヤと違うほうにかけてしまったとき、頼りになるのは文脈だ。前後を考えてみて「それ、ありえないから!!」とツッコミできれば気がつくでしょう。
でも、「ありえない」系の誤訳を追いかけていくと、文系の人の場合もあるけどビシバシ技術系の人だったりすることもあり、なんかむしろ技術畑上がりの人がすごく勘違いな反論をしてくることもあったりして。まぁ、なんともいえないかしらね、と。
先日、たいへん遅ればせながら「不実な美女か貞淑な醜女か」(米原万理著、新潮文庫)という本を読んだら、おもしろいことが書いてあった。この著者は、日露の同時通訳者で、翻訳と通訳の違いとかの話もとてもおもしろいんだけど、とりあえず理系/文系について。
米原さんも含めて、多数の文系出身通訳者は、もともと理系とか技術系というものが苦手で文系を選んだという人が多い(と、米原さんは書いている)。しかし、通訳となって稼いでいこうとすると、文学とか歴史とか経済などの、なんとか手の届きそうな分野の話はなかなか来なくて、軍事、宇宙開発、原子力、医学、エロクトロニクス、新素材などなど、まったくなじみのない分野をこなしていくしかない。
いくしかない、といっても、もともとまったく知らないわけで、どうするかというと、どんな分野でも
「まず入門書、百科事典から入り、確実な理解を土台に用語を征服していくのが結局は近道になる。その意味では、通訳能力とは、常に新しい分野を勉強していく意思と能力である。」
という。
理系出身の通訳者は、もともと何かしらの得意分野を持っているのだが、大学での専門(あるいは、技術者として働いていた実務経験)などというものはなんというか、たいそう狭い。その狭い中ではもちろん非常に強いのだが、あまりその外へ出ていきたがらない。
「その点、文科系出身者は、怖いもの知らずというか、蛮勇があるというか、平気で怪しげな仕事を請け負ってしまう。」
また別の文系出身通訳者が技術通訳について語って曰く、
「どんな複雑な機器や装置であれ、所詮人間の作ったものである。その人間に対し飽くなき探究心を抱く者にとって、機械だけがどうして無縁で有り得よう。」(小町直美「みみずはオスかメスか 駆け出し技術通訳体験記」)
うーむ、なんだか私と気が合いそう(^^)
そういえば、私も自称理系だけれどもかなりの「なんちゃって」で、専門らしい専門がない(システム基礎科学? なんじゃそら)。学生のときの実習では、電気回路や信号処理みたいなのから、地層の観察、アズキゾウムシを使った実験、電子顕微鏡も見たし原子力発電所も見たし(見ただけ)。なんでも見たけどなんにも「手に職」はない。
でも翻訳というか翻訳チェックするにはこれはまことに具合よく、どんな話でも抵抗なく読めるし、調べられるし、あっち見てこっち見て、サクッと疑問点に吸い寄せられてスムーズに「ダウト」できる。
そうか、あのわけのわからん学科は、翻訳向きだったのか。そんなふうに思っていた人はいないだろうけど。私も思ってなかったけど。人生、何が役に立つかわからないよね~
私にとっては、そのような、どこをとっても使い物にならないくらい浅い知識と理解が「ふわっと」、いろんな分野のつかみに役立つわけだ。
そして、米原さんにとってはなんと「文学」がソレ:
「文学部ほど世間でつぶしのきかない学部はないし、哲学や文学ほど、とりわけ詩文学ほど目先の利益からほど遠い学問はないはずなのだけれど、私は通訳の最中、会議のテーマのいかんにかかわらず、幾度となくまさにいくつもの詩作品の一節に助けられていた。」
瞬時に両言語を往復しなければいけない同時通訳の場合、元の言語にひっぱられてうまい表現が出てこない状態になることがよくあるが、
「そんなとき、まるで天啓のように、遠い昔に覚えた詩の一節の言い回しが、助け船となってくれるのだ。」
おもしろいよね。別に、先にいって何をやりたいかなんて決まってなくてもいい、なにかしら勉強しておけばちゃんと役に立つよ。
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