shig書庫に入り込んで片端から本をめくっていたら、一冊の本から目が離せなくなった(o_o)
←モッタイナイの精神
「読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会」(茂木大輔)
頼んで借りて帰りました(^^)
この本には、茂木さんが、本屋で見かけた「のだめ」漫画の音楽的リアリティと、漫画としてのおもしろさにのめりこみ、協力を申し出てから、どんどん、どんどん、雪だるまのように展開していく様子が勢いよく描かれています。
全体が、文化祭のノリ(^^;;
そこまでしなくてもという、こだわりと本気と、ボランティア精神で一気になだれ込んでいってます。
そもそも、茂木さんが「のだめ」に目をとめたのって、表紙絵のオーボエがあまりリアルに描かれていたからなんです。「のだめ」の中で、楽器そのものも、そしてそれを弾く動作も、これでもかというほど緻密に描かれていますよね。でもこれは、著者がもともと楽器と音楽を熟知していたからではなくて、取材と、面倒な作業の積み重ねなわけです。
楽器は、まず拡大して描いてから、縮小してハメ込むんだそうで。ピアノを弾いている手とかも、弾ける人に弾いてもらったら、ビデオ撮りぃの、カメラで撮りぃの、そこから起こしていきます。
「のだめ」漫画がバカ売れしたり、茂木ブレーンがついたりする前から、そのボランティア的なこだわり。
そこに、音楽のプロが本気で応えたら、どうなったか。
まず、「のだめ」が「講談社漫画賞」をもらったときの受賞パーティー。
最初は、単に茂木さんが招待されただけの話なんだけど、そこへ茂木さんは、ボランティアのオケをまるごと連れて行って演奏したんです。しかもすごい面子で…。別に、音楽に関心がある人が集まったパーティーじゃないんですから、最初みんな無関心。「BGM雇ったのかな」くらいなもんで談笑してます。けど、モーツァルトのオーボエ協奏曲あたりからどんどん聴衆を巻き込んでいきます。その後、ブラ1、ベト7で一気に観客を熱狂させます。
「すべては、この晩に始まった」のです。
その後、「のだめコンサート」の企画・指揮、さらには、ドラマ、映画へと進んでいきます。
ドラマの中の音楽がすばらしくて、俳優さんたちがまたそれをちゃんと演じている、ということが作りこまれるまでにどれだけのたくさんの人の努力と技術とセンスがつぎこまれているのかを考えると戦慄が走ります。
それぞれの人が、仕事としてはプロのクオリティーを持っていても、その場その場できちんと対価が支払われるということを求めずに本気を出したからこその大きな潮流です。
その結果どうなったかは誰でも知っていますが、
・漫画・ドラマ・映画・アニメは売れ、
・クラシックで楽しむ人が増え、
・クラシック音楽業界が(やや)うるおった。
WIN-WIN-WINの関係です。いったいどこからそんなエネルギーが噴出して全体にばらまかれたのでしょうか。
もちろん、大勢の製作者と音楽家がばりばり本気を出したからではあるのですが、
膨大な「音楽の素養」が地下に眠っていて、それが噴出したという気がします。
いろんな趣味の世界がそうですが、音楽の世界も、楽しむためにはそれまでの蓄積が効いてきます。
特に、小さいころに音楽に触れて、基礎をだいたい身に着けておくことで、楽しみがぐぐっと増えて、厚みが増すのです。
非クラシックファン読者の、音楽の素養がゼロだったら、いくら掘っても爆発的噴出までは無理だったでしょう。
音楽の授業、あるいは習い事として、音楽に相当な時間を注ぎ込み…
その後、せっかくのその「投資」を生かしてリターンを得ることをせずに…
活用されない「素養」が眠っている。
ここを掘り起こしたところに重要な意味がありました。
でも、まだまだあると思うんですよね。
私も、非常~に微力ながら、鉱床掘り起こしに協力したいんです。だって、寿命いっぱい、大勢でわいわいワクワク楽しみたいもの。
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頼んで借りて帰りました(^^)
この本には、茂木さんが、本屋で見かけた「のだめ」漫画の音楽的リアリティと、漫画としてのおもしろさにのめりこみ、協力を申し出てから、どんどん、どんどん、雪だるまのように展開していく様子が勢いよく描かれています。
全体が、文化祭のノリ(^^;;
そこまでしなくてもという、こだわりと本気と、ボランティア精神で一気になだれ込んでいってます。
そもそも、茂木さんが「のだめ」に目をとめたのって、表紙絵のオーボエがあまりリアルに描かれていたからなんです。「のだめ」の中で、楽器そのものも、そしてそれを弾く動作も、これでもかというほど緻密に描かれていますよね。でもこれは、著者がもともと楽器と音楽を熟知していたからではなくて、取材と、面倒な作業の積み重ねなわけです。
楽器は、まず拡大して描いてから、縮小してハメ込むんだそうで。ピアノを弾いている手とかも、弾ける人に弾いてもらったら、ビデオ撮りぃの、カメラで撮りぃの、そこから起こしていきます。
「のだめ」漫画がバカ売れしたり、茂木ブレーンがついたりする前から、そのボランティア的なこだわり。
そこに、音楽のプロが本気で応えたら、どうなったか。
まず、「のだめ」が「講談社漫画賞」をもらったときの受賞パーティー。
最初は、単に茂木さんが招待されただけの話なんだけど、そこへ茂木さんは、ボランティアのオケをまるごと連れて行って演奏したんです。しかもすごい面子で…。別に、音楽に関心がある人が集まったパーティーじゃないんですから、最初みんな無関心。「BGM雇ったのかな」くらいなもんで談笑してます。けど、モーツァルトのオーボエ協奏曲あたりからどんどん聴衆を巻き込んでいきます。その後、ブラ1、ベト7で一気に観客を熱狂させます。
「すべては、この晩に始まった」のです。
その後、「のだめコンサート」の企画・指揮、さらには、ドラマ、映画へと進んでいきます。
ドラマの中の音楽がすばらしくて、俳優さんたちがまたそれをちゃんと演じている、ということが作りこまれるまでにどれだけのたくさんの人の努力と技術とセンスがつぎこまれているのかを考えると戦慄が走ります。
それぞれの人が、仕事としてはプロのクオリティーを持っていても、その場その場できちんと対価が支払われるということを求めずに本気を出したからこその大きな潮流です。
その結果どうなったかは誰でも知っていますが、
・漫画・ドラマ・映画・アニメは売れ、
・クラシックで楽しむ人が増え、
・クラシック音楽業界が(やや)うるおった。
WIN-WIN-WINの関係です。いったいどこからそんなエネルギーが噴出して全体にばらまかれたのでしょうか。
もちろん、大勢の製作者と音楽家がばりばり本気を出したからではあるのですが、
膨大な「音楽の素養」が地下に眠っていて、それが噴出したという気がします。
いろんな趣味の世界がそうですが、音楽の世界も、楽しむためにはそれまでの蓄積が効いてきます。
特に、小さいころに音楽に触れて、基礎をだいたい身に着けておくことで、楽しみがぐぐっと増えて、厚みが増すのです。
非クラシックファン読者の、音楽の素養がゼロだったら、いくら掘っても爆発的噴出までは無理だったでしょう。
音楽の授業、あるいは習い事として、音楽に相当な時間を注ぎ込み…
その後、せっかくのその「投資」を生かしてリターンを得ることをせずに…
活用されない「素養」が眠っている。
ここを掘り起こしたところに重要な意味がありました。
でも、まだまだあると思うんですよね。
私も、非常~に微力ながら、鉱床掘り起こしに協力したいんです。だって、寿命いっぱい、大勢でわいわいワクワク楽しみたいもの。
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