子どもを三人も産んでおいて何をといわれるかもしれないが、「子どもがなかなかできない」と焦っていたことがあった。今となっては馬鹿馬鹿しい話だけど…
←そんなすぐってすぐできるもんじゃなかろ
そんなことを思い出したのは、Mixiニュースで
「出産「しなければ」という重圧…ドラマ「母になる」 賛否呼んだ「あのセリフ」 女性プロデューサーの思い」
という記事を読んだからで、なんでも
<あの子がいることで、もう誰からも『子供産まないんですか?』(中略)『女性なら産まなきゃ』『いつになったら子供を産むの?』と言われなくなったこと>
<あの子を手に入れたことで私は初めて自由になれたんです……>
というセリフが反響を呼んだんですって。つまり「産め」プレッシャーに悩まされた女性が多いってことなんですかね(もう21世紀なのにね)
出産プレッシャーの前には結婚プレッシャーなんてのもある。私は22歳で早々結婚したのだからそんなものとは無縁だったと思われるかもしれないけどそんなことはない。もちろん世間様からは重圧をかけられるヒマもなかったけれど、元々結婚を急いだのは母からのプレッシャーとか刷り込みとかいろいろあってのことなので。
母にとって、この世で一番恐ろしいことは「娘がいきおくれる」ことだったらしく、いわゆるクリスマスケーキ(24歳)までに結婚させることはほかの何はさておき至上命題だった。それで、大学も理系へいくことに賛成したというか薦めたわけだが(笑)その結果首尾よく(?)私が、結婚する意志を持った男性(よしぞう)をつれてきたとき母は言った。
「大学院を出て就職するのを待っていたら、状況や気持ちがどう変わるかわからない。そんな不確かなものは待てない」
なにしろ、就職するあたりまで待っていてもし破局したりすると、もう24になっているし学生生活は終わっているしで詰んでいる(爆)というわけだ。それでまぁ学生結婚でいいから今という主張になり、よしぞう父も大反対の末、結果的には折れてくれて大学四年を卒業するとき結婚したんだけれども。
経済力がないわけだから、生活費はバイトするとしても、家は私の実家の持ち家をタダで借りて住んでいた。これはあまり健全な体勢とはいえないので、結婚自体によしぞう父が反対したのはもっともだといえる。
まぁとにかく二年間の大学院生活を親の持ち家で過ごし、その後は二人とも就職してアパート借りるって段取りのつもりだったんだけど、院生活の終わりが見えてきたころ母が提案してきた。
「子どもがすぐできるようだったらこのままこの家に住んでいいからここで育てたら?」
つまり、私は腰掛で就職してマンションの頭金を作って出産退職することを目指していたのだが、今すぐ子どもができるならばもうその段取りをスキップすることにして、家は提供しましょうというのである。
…太っ腹!? 当時はバブルなので家購入というのはすごく値の張るもので、経済的にこの申し出の魅力はぶっちゃけ巨大だった。なにしろ中央線国立駅徒歩8分の一戸建てである。もちろん、タダより高いものはないというかいろいろと危険であることは(多少は)わかっていたんだけど(でも若気の至りというか、100%わかっていたとは言い難い)
そのときは子どもを作ろうとしたができず、とはいえチャレンジしたのはほんの三ヶ月程度のものだったのだが、それで「できなかったね」というので当初の予定どおり就職&アパート路線にしようとしたところ、母は
「なんでできないのかしら。病院に行ってみたほうがいいわよ」といった。
えっ三ヶ月で(o_o)
それで、そんなもんじゃふつう不妊とは呼ばないことを本なぞ見せて説明にこれ努めたのだけど、母は「私はすぐできた」と主張して譲らない。そんなサンプル1(注: 私は一人っ子だ)で確信持って語られましても。しかし医学的にどうあれそんなことは関係なく、私に産む機能がないような言われようで、あんまり言われていると私も別に実際に子ども産んだことはないのでなんか気分的に自信がなくなってきて散々でしたよ。
で、その他いろいろ、アパートに移るころにはたいへん険悪でありました。
でも、結果的には、あのとき子どもができなくて、「家」にキャプチャーされなくて、ほんとにほんとによかったよ…
出産とか家とか実母とか。ひっからまるとほんと怖い。祟ります。
自分と夫でローン組んで家を買って、そこで子ども産んだあとは、ずいぶん人生が楽になったと思う。子どもも大きなキーだけど、むしろ家がキーかな? 対「親」の関係についていえば。
そしてそののち結局、出産退職しそこねたんだけどな。どうしてこうなった…
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
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そんなことを思い出したのは、Mixiニュースで
「出産「しなければ」という重圧…ドラマ「母になる」 賛否呼んだ「あのセリフ」 女性プロデューサーの思い」
という記事を読んだからで、なんでも
<あの子がいることで、もう誰からも『子供産まないんですか?』(中略)『女性なら産まなきゃ』『いつになったら子供を産むの?』と言われなくなったこと>
<あの子を手に入れたことで私は初めて自由になれたんです……>
というセリフが反響を呼んだんですって。つまり「産め」プレッシャーに悩まされた女性が多いってことなんですかね(もう21世紀なのにね)
出産プレッシャーの前には結婚プレッシャーなんてのもある。私は22歳で早々結婚したのだからそんなものとは無縁だったと思われるかもしれないけどそんなことはない。もちろん世間様からは重圧をかけられるヒマもなかったけれど、元々結婚を急いだのは母からのプレッシャーとか刷り込みとかいろいろあってのことなので。
母にとって、この世で一番恐ろしいことは「娘がいきおくれる」ことだったらしく、いわゆるクリスマスケーキ(24歳)までに結婚させることはほかの何はさておき至上命題だった。それで、大学も理系へいくことに賛成したというか薦めたわけだが(笑)その結果首尾よく(?)私が、結婚する意志を持った男性(よしぞう)をつれてきたとき母は言った。
「大学院を出て就職するのを待っていたら、状況や気持ちがどう変わるかわからない。そんな不確かなものは待てない」
なにしろ、就職するあたりまで待っていてもし破局したりすると、もう24になっているし学生生活は終わっているしで詰んでいる(爆)というわけだ。それでまぁ学生結婚でいいから今という主張になり、よしぞう父も大反対の末、結果的には折れてくれて大学四年を卒業するとき結婚したんだけれども。
経済力がないわけだから、生活費はバイトするとしても、家は私の実家の持ち家をタダで借りて住んでいた。これはあまり健全な体勢とはいえないので、結婚自体によしぞう父が反対したのはもっともだといえる。
まぁとにかく二年間の大学院生活を親の持ち家で過ごし、その後は二人とも就職してアパート借りるって段取りのつもりだったんだけど、院生活の終わりが見えてきたころ母が提案してきた。
「子どもがすぐできるようだったらこのままこの家に住んでいいからここで育てたら?」
つまり、私は腰掛で就職してマンションの頭金を作って出産退職することを目指していたのだが、今すぐ子どもができるならばもうその段取りをスキップすることにして、家は提供しましょうというのである。
…太っ腹!? 当時はバブルなので家購入というのはすごく値の張るもので、経済的にこの申し出の魅力はぶっちゃけ巨大だった。なにしろ中央線国立駅徒歩8分の一戸建てである。もちろん、タダより高いものはないというかいろいろと危険であることは(多少は)わかっていたんだけど(でも若気の至りというか、100%わかっていたとは言い難い)
そのときは子どもを作ろうとしたができず、とはいえチャレンジしたのはほんの三ヶ月程度のものだったのだが、それで「できなかったね」というので当初の予定どおり就職&アパート路線にしようとしたところ、母は
「なんでできないのかしら。病院に行ってみたほうがいいわよ」といった。
えっ三ヶ月で(o_o)
それで、そんなもんじゃふつう不妊とは呼ばないことを本なぞ見せて説明にこれ努めたのだけど、母は「私はすぐできた」と主張して譲らない。そんなサンプル1(注: 私は一人っ子だ)で確信持って語られましても。しかし医学的にどうあれそんなことは関係なく、私に産む機能がないような言われようで、あんまり言われていると私も別に実際に子ども産んだことはないのでなんか気分的に自信がなくなってきて散々でしたよ。
で、その他いろいろ、アパートに移るころにはたいへん険悪でありました。
でも、結果的には、あのとき子どもができなくて、「家」にキャプチャーされなくて、ほんとにほんとによかったよ…
出産とか家とか実母とか。ひっからまるとほんと怖い。祟ります。
自分と夫でローン組んで家を買って、そこで子ども産んだあとは、ずいぶん人生が楽になったと思う。子どもも大きなキーだけど、むしろ家がキーかな? 対「親」の関係についていえば。
そしてそののち結局、出産退職しそこねたんだけどな。どうしてこうなった…
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社