某所で「心のこもった演奏」とは何ぞや、という話題が上がっていたのでつらつらと考えていたのですが…
←自分の感情を乗せるとかそういうことではないと思う
思い出されるのは、私がヤマハでピアノを習っていた期間の後半くらい、先生に「妄想」するよう迫られて(というのは言葉があまり適切ではないかもしれませんが)、何も思い浮かばなくて困って、だんだん嫌になってしまったこと。
妄想というか、ストーリーとか情景のような、音楽を色付け(意味づけ)するような何か。それは何でなくてはいけないというようなものではなくて「自由に」考えればよく、先生としては自分が何かを押し付けたくはないと。好きにやってもらえば、音楽的にNGなときだけ言うから、というような。
自由にといわれましても、妄想の材料もなく柔軟な発想も持ってないタイプなので、ほんとどうにもならなくて。
まぁしかし、そうやって自由に妄想できる人は「心のこもった」演奏をできるのかもしれません。いやほんとうのことをいえば、妄想と実際の演奏をつなぐところにはもう一段階、技術というかスキルというか、何か必要な気もしますが。
自分で勝手に歌詞をつけるという人もいますね…それもたぶん「心のこもった」演奏をする一つの方法なのではないかと。
おゆき先生に習うようになってからは、「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」といってもらって、その代わりというべきか、フレーズの最後は丁寧に、拍感を守ること、緊張と弛緩をとらえること、終わる感じ(終止)を意識すること、きれいな音で弾くこと、ペダルを工夫することなど…様々な具体的な「(楽譜に表された音楽に沿った)弾き方」を教えてもらうことになりました。
そういう、音楽的な表現のあれこれを丁寧に行って、自分でも「きれい」「不思議な響き」…ひとつひとつ感じつつ、音楽の流れに乗り、聞く人を導いていくつもりで弾いていたらたぶんそれは「心のこもった演奏」に聞こえる。具体的なストーリー(そこで太ったおじいさんが登場し…みたいな)を思い浮かべていなくても。
一方、まったくもって「心のこもった演奏」に聞こえないのはどういうときかというと、私のこれまでの経験でいうと
・高級なところでアフタヌーンティーに行ったときに、グランドピアノで生演奏があった。たぶん音大生のバイトか何かで、クラシックのいわゆる超有名曲を次々と弾いていて、下手ではないのだが、そのあまりに心のこもっていない演奏…でありながらそれが間近な生演奏で聞こえてくることに違和感があってどうも気持ちが悪かった。
・アマチュア(オーディションに通った市民)の演奏会に一人だけゲストとして来ていたプロ(音大の先生)。これまたクラシックの超有名曲を…まぁこんなの弾いとけばいいでしょみたいな心無い演奏で(-_-#
つまり、知ってる曲テキトーに弾いておけばいいデショ、みたいな感じで、本人が好きな曲でも、弾きたい曲でもなくて、細かいところまで丁寧に弾こう、曲の魅力を伝えようという気持ちもまったくない。とりあえず音は無事に並んでいるわけですがね。
たぶんですが、心のこもった演奏かどうかって、誰が聞いてもわかってしまう。
でも、いったい物理的な差としては何があって、「心のこもった演奏」かそうでないかの違いが耳に聞こえているのでしょうか?
そして、「妄想」「歌詞」タイプと、楽譜に沿って隅々まで表現タイプと、いずれでもよい結果が得られる(可能性がある)のはなぜでしょうか?
(続く、かもしれない)
-------今日の録音:
ショパン/即興曲第三番(練習)
心をこめて演奏しててもやっぱヘタってことはある
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思い出されるのは、私がヤマハでピアノを習っていた期間の後半くらい、先生に「妄想」するよう迫られて(というのは言葉があまり適切ではないかもしれませんが)、何も思い浮かばなくて困って、だんだん嫌になってしまったこと。
妄想というか、ストーリーとか情景のような、音楽を色付け(意味づけ)するような何か。それは何でなくてはいけないというようなものではなくて「自由に」考えればよく、先生としては自分が何かを押し付けたくはないと。好きにやってもらえば、音楽的にNGなときだけ言うから、というような。
自由にといわれましても、妄想の材料もなく柔軟な発想も持ってないタイプなので、ほんとどうにもならなくて。
まぁしかし、そうやって自由に妄想できる人は「心のこもった」演奏をできるのかもしれません。いやほんとうのことをいえば、妄想と実際の演奏をつなぐところにはもう一段階、技術というかスキルというか、何か必要な気もしますが。
自分で勝手に歌詞をつけるという人もいますね…それもたぶん「心のこもった」演奏をする一つの方法なのではないかと。
おゆき先生に習うようになってからは、「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」といってもらって、その代わりというべきか、フレーズの最後は丁寧に、拍感を守ること、緊張と弛緩をとらえること、終わる感じ(終止)を意識すること、きれいな音で弾くこと、ペダルを工夫することなど…様々な具体的な「(楽譜に表された音楽に沿った)弾き方」を教えてもらうことになりました。
そういう、音楽的な表現のあれこれを丁寧に行って、自分でも「きれい」「不思議な響き」…ひとつひとつ感じつつ、音楽の流れに乗り、聞く人を導いていくつもりで弾いていたらたぶんそれは「心のこもった演奏」に聞こえる。具体的なストーリー(そこで太ったおじいさんが登場し…みたいな)を思い浮かべていなくても。
一方、まったくもって「心のこもった演奏」に聞こえないのはどういうときかというと、私のこれまでの経験でいうと
・高級なところでアフタヌーンティーに行ったときに、グランドピアノで生演奏があった。たぶん音大生のバイトか何かで、クラシックのいわゆる超有名曲を次々と弾いていて、下手ではないのだが、そのあまりに心のこもっていない演奏…でありながらそれが間近な生演奏で聞こえてくることに違和感があってどうも気持ちが悪かった。
・アマチュア(オーディションに通った市民)の演奏会に一人だけゲストとして来ていたプロ(音大の先生)。これまたクラシックの超有名曲を…まぁこんなの弾いとけばいいでしょみたいな心無い演奏で(-_-#
つまり、知ってる曲テキトーに弾いておけばいいデショ、みたいな感じで、本人が好きな曲でも、弾きたい曲でもなくて、細かいところまで丁寧に弾こう、曲の魅力を伝えようという気持ちもまったくない。とりあえず音は無事に並んでいるわけですがね。
たぶんですが、心のこもった演奏かどうかって、誰が聞いてもわかってしまう。
でも、いったい物理的な差としては何があって、「心のこもった演奏」かそうでないかの違いが耳に聞こえているのでしょうか?
そして、「妄想」「歌詞」タイプと、楽譜に沿って隅々まで表現タイプと、いずれでもよい結果が得られる(可能性がある)のはなぜでしょうか?
(続く、かもしれない)
-------今日の録音:
ショパン/即興曲第三番(練習)
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