いつまで引っ張るんだか…うちには熱心にピアノ弾いてる子どももおらんのに(笑)
←そろそろこの話題終わらせないとほかの話が書けない
昨日の記事で書いたように、小さいうちにコンクール出まくり(そして入賞!!)ということに問題点があるとすればそれは
・ピアノを弾くことの価値が競争・評価というものに置き換わってしまうと回復が難しい
・子どもの演奏が評価されることに親が入れ込みすぎて、自分の(親力の?)評価と感じてしまうようになると問題の根が深すぎて以下略(怖) (*)
・親がつきっきりで教え込むスタイルが固定すると、親の限界が即子どもの限界、子どもが親なしで進歩しにくくなる
というところが大きいのではないかと。
この問題はそれぞれ大きいです。決して小さくはない。
でもそういう人間関係や価値観の問題をひとまずおいとくとして、純粋にメソッドの比較として、うまくなるならないについてはどうなのかと。
「コンクール弾き」とかでいろいろ検索した範囲でいうと、
・やたら難しい、凝った曲を弾くことになる。
・課題曲を長期間練習する必要があるため、ほかの曲を弾く余裕がない。
・派手なアクションで「表現してます」アピール(^^;;
というあたりがコンクールの弊害、問題点と考えられているようですね。
あと、小さくて力もあまりないうちから、メリハリを強調した演奏をするために、力強いんだか乱暴なんだか紙一重な演奏をする癖がついたりということを指摘してる人もいました。
すると、あぁ…某ピアノ競争番組で、小さいころコンクールで賞いろいろとったとかいう人が、乱暴な演奏してて、でもその演奏がいいという人もいて、ということがありましたね。あれが「コンクール弾き」の末路なのかと考えると、確かにちょっとどんよりした気持ちになります。
でもね、ここ数日でいろんな記事を見てきて、コンクール弾きを非難する人って妙に偏屈レベルまで基礎にこだわってストイックで、それもちょっと違和感あるんですよ。
例:「バスティンの簡単な楽譜のなかで読み取れる理論は一つも落とさない。」
「基礎」は大事だろうけど、それと「弾いてて楽しい、聞いてて楽しい演奏」がリンクしていなかったらやっぱり意味はないんだから。曲もあれこれ弾きながら、基礎も大事にしながら、折衷案的に進めていったら十分じゃないでしょうか。
書き方が過激でなく、比較的納得のいく内容だった記事
→「ピアノ曲の進度と実力は本当に比例する?」
ゆっくり進む子のほうが、うまく弾けるようになる、という実感をこの指導者は持っているようです。もちろん、ゆっくり進む子がしっかりした基礎を活かして大輪の花を咲かせる、ということはあると思うのですが、ちょっと不思議に思うところもあります。
昔、私の母は街のピアノ教室をやっていて、特段の(子どもの)才能や(親の)熱意があったりするわけでもないふつうの子をたくさん教えていましたが、だいたいにおいて、「早く進む子が最終的にもうまくなる子」でした。逆転現象はほとんど見当たらなかったくらいです。
なにせ昔のピアノメソッドですから、バイエル→ブルグミュラー→ソナチネなどなど、進行はほぼまっしぐらで、「誰がどの地点にいるか」は一目瞭然です。このシンプルな道筋の中で、早く進む子はうまくなる子。中学生、高校生と続けて、結局音大行ったり。一方、進みの悪い子というのはやはり、ピアノに向いていないというか同じ曲を弾いてもあまりよい演奏にならず、本人も結局そんなに好きにならず、どこかの時点でやめていくんです。
このズレはどこから来るのか??
(というわけでなぜだかまだつづく)
(*) この路線で超~怖くても、世界のMidoriとして大成する人もいるわけですが。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
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昨日の記事で書いたように、小さいうちにコンクール出まくり(そして入賞!!)ということに問題点があるとすればそれは
・ピアノを弾くことの価値が競争・評価というものに置き換わってしまうと回復が難しい
・子どもの演奏が評価されることに親が入れ込みすぎて、自分の(親力の?)評価と感じてしまうようになると問題の根が深すぎて以下略(怖) (*)
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というところが大きいのではないかと。
この問題はそれぞれ大きいです。決して小さくはない。
でもそういう人間関係や価値観の問題をひとまずおいとくとして、純粋にメソッドの比較として、うまくなるならないについてはどうなのかと。
「コンクール弾き」とかでいろいろ検索した範囲でいうと、
・やたら難しい、凝った曲を弾くことになる。
・課題曲を長期間練習する必要があるため、ほかの曲を弾く余裕がない。
・派手なアクションで「表現してます」アピール(^^;;
というあたりがコンクールの弊害、問題点と考えられているようですね。
あと、小さくて力もあまりないうちから、メリハリを強調した演奏をするために、力強いんだか乱暴なんだか紙一重な演奏をする癖がついたりということを指摘してる人もいました。
すると、あぁ…某ピアノ競争番組で、小さいころコンクールで賞いろいろとったとかいう人が、乱暴な演奏してて、でもその演奏がいいという人もいて、ということがありましたね。あれが「コンクール弾き」の末路なのかと考えると、確かにちょっとどんよりした気持ちになります。
でもね、ここ数日でいろんな記事を見てきて、コンクール弾きを非難する人って妙に偏屈レベルまで基礎にこだわってストイックで、それもちょっと違和感あるんですよ。
例:「バスティンの簡単な楽譜のなかで読み取れる理論は一つも落とさない。」
「基礎」は大事だろうけど、それと「弾いてて楽しい、聞いてて楽しい演奏」がリンクしていなかったらやっぱり意味はないんだから。曲もあれこれ弾きながら、基礎も大事にしながら、折衷案的に進めていったら十分じゃないでしょうか。
書き方が過激でなく、比較的納得のいく内容だった記事
→「ピアノ曲の進度と実力は本当に比例する?」
ゆっくり進む子のほうが、うまく弾けるようになる、という実感をこの指導者は持っているようです。もちろん、ゆっくり進む子がしっかりした基礎を活かして大輪の花を咲かせる、ということはあると思うのですが、ちょっと不思議に思うところもあります。
昔、私の母は街のピアノ教室をやっていて、特段の(子どもの)才能や(親の)熱意があったりするわけでもないふつうの子をたくさん教えていましたが、だいたいにおいて、「早く進む子が最終的にもうまくなる子」でした。逆転現象はほとんど見当たらなかったくらいです。
なにせ昔のピアノメソッドですから、バイエル→ブルグミュラー→ソナチネなどなど、進行はほぼまっしぐらで、「誰がどの地点にいるか」は一目瞭然です。このシンプルな道筋の中で、早く進む子はうまくなる子。中学生、高校生と続けて、結局音大行ったり。一方、進みの悪い子というのはやはり、ピアノに向いていないというか同じ曲を弾いてもあまりよい演奏にならず、本人も結局そんなに好きにならず、どこかの時点でやめていくんです。
このズレはどこから来るのか??
(というわけでなぜだかまだつづく)
(*) この路線で超~怖くても、世界のMidoriとして大成する人もいるわけですが。
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(今回もイラストはまたろう)
「ゆっくり進む子の方がうまく弾けるという実感」というのはおそらく、お母様の「ふつう」の教室において「早く進む子」だけを集めた中で、その中で「ゆっくり進む子」を指しているんだと思います。
「ふつう」の教室で「遅い子」は、最初から眼中にない、と。議論に入ってもいないのではないか、と。
「ふつう」の教室ではコンクールなんてあまり目指しませんよね……
バリバリコンクール出場者が何人もいる、そんな「ハイレベル」な教室の中では、「遅い子」の方が、音楽的に優れた演奏をするようになるんだ……というような話なんじゃないか、と思いました。
「うまく」の意味というか定義も、はっきりさせておかないといけませんね。
難しい曲を間違えずにバリバリ弾く能力のことなのか、音楽的に人を魅了し感動してもらえる演奏のことなのか……
しばし、これら二つは矛盾して相対立することがありますよね。
松任谷由実さんは、ライブで聴くとすごく歌が下手なんだそうです。
でも、強烈な個性で多くの人を魅了します。
最近テレビ番組で、カラオケで点数を競うものがありましたが、あれにも、うまいけど魅力がない人が出てきますね。
技術と、音楽性(芸術性? 感動? 魅力?)はまた別物のようです。
的外れな意見でしたら、すみません。
> 「早く進む子」だけを集めた中で、
それはそうじゃないようなので、詳細は次の記事をご覧ください。どちらも「ふつうの」子の通う教室の話です。
早い/遅いの基準も
「うまく」の定義も
曖昧なままでは話が混乱しますね(^^;;
> しばし、これら二つは矛盾して相対立することがありますよね。
そうですね~
元来、別に矛盾するわけじゃないと思うんですがね。
ちゃんとこの2つを統合した人が一流のピアニストになってるんだと思うし…
でも、一般人がピアノ習ってるときって、ともすればバランス悪く偏っちゃうことが多いような気はしますね。
> 松任谷由実さんは、ライブで聴くとすごく歌が下手なんだそうです。
そんなこともあるかも。
YouTubeで白黒・録音悪い往年の名バイオリニストの映像を見たりすると、テクニック的にはすごくアバウトというか、ヒラリー・ハーンの正確さの足元にも及ばないんですが(笑) でもいい演奏なんです。あれはあれで好き。