なぜに日本橋を目指したハズが深川不動尊なのか??
新生堂さんを後に、途中で腹ごしらえ。日向名物、鳥の唐揚げ南蛮はおいしかったです。鳥の唐揚げ南蛮にタルタルソースは定番なのでしょうか?『ロケみつ』で稲垣早季ちゃんが鳥南蛮を連呼してたアレですね。
さて、昼食と言う名前の休憩を取り、向かった先は都営大江戸線汐留駅でした。
乗車後路線図を見て気づいた…。大江戸線は日本橋駅がない…。
やっちゃいました~。大江戸線汐留駅から日本橋駅へ行く場合、大門駅へ戻り都営浅草線に乗り換えるのが近道なんです。
でもっでも~~~っ!!徒歩でようやく到着した汐留駅を出発駅の大門駅に地下鉄で戻るのは嫌過ぎるっ!!
んで~。大江戸線で向かったのは門前仲町駅でした。そこで東西線に乗り換え…。あれ?都営1日まるごときっぷが通らない??なぜに~~??
駅員さんに聞いてみた。「これは都営地下鉄のきっぷです。東西線は東京メトロです」
そ、そうなのかぁ~東西線は都営地下鉄じゃないのかぁ~~
やっちゃったよ~。やっちゃいました~。小田急使いなので、接続してるのは東京メトロ千代田線。大概東京メトロしか使ってないからこんなことに…。
こうなれば、東京メトロの切符を買うか、それとも都営まるごと1日きっぷでいくならば大門駅へ引き返すしか道はない。
同行者のあっこさんに相談してみる。
「実はさあ~、深川不動尊&富岡八幡宮って2月3日の節分巡りの時に立ち寄ろうと思ってたんだけどね。最寄り駅って門前仲町なんだよ~。今日の所は日本橋を諦めて、こっちにしませんか?」と。お願いしてみた。あっこさん、苦笑い?や。快くOK!していただきまして、深川不動尊へ向かいました。
深川不動尊到着~。時刻は既に13時49分でした。
やばい~~。時間が予定より押してる~。
深川不動尊は以前訪問したことがあります。
>深川不動尊(2010年7月11日)の記事 サッカー日本代表のお護りあります。
この時工事中だった本堂の工事が終わってました。
以前見た時、この建物も工事中で、外の黒&金色は工事幕と思ってましたが、よ~く見るとこれって金属?しかも模様じゃなくて、1個1個梵字ではないの~~!!気づかなかった~。
中はこんな感じ。あ。履物は脱ぎます。
なんか、凄かった!ここ、なんか劇場みたいだった。参拝客席が円形劇場みたいになってて、舞台に祭壇が設えてあります。もうすぐ祈祷が始まるので、僧侶が準備を進めてました。祭壇の奥に売店。更に奥に十二支本尊とか、近代的なホログラムの四国八十八ヶ所巡拝所とか、巨大な如来の天井画とかとかとか~~。おまけに超近代的なトイレもあった。もう数十年先の未来のお寺を見た気がする。
ちなみに、深川不贈尊とは…江戸の初め、歌舞伎役者の市川団十郎が不動明王が登場する芝居をヒットさせ、成田山の不動明王を見たい・お参りしたいと江戸っ子達が熱望した。それを受け元禄16年(1703)、成田不動の出張秘仏公開が富岡八幡宮の別当・永代寺で行われた。これが深川不動尊の始まり。
ちなみに~。これが実現したのは庶民の願いもあっただろうが、五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院が「成田山の不動明王を江戸で参拝したい」と言い出し実現したとか…。
成田山出発の総勢は300人を超える行列を組み、江戸まで1週間余りをかけて秘仏を運んだ。健脚の江戸の人が、江戸城から小田原までなら1日かからず歩いてたことを考えると、おそらく道中ですら見せ物のごとく大騒ぎしたんでしょうねえ~。江戸時代は庶民を楽しませるアレコレが目白押しでした。
江戸時代、成田不動の江戸での秘仏公開は計12回行われ、うち11回が深川永代寺が会場だった。
明治維新後、神仏分離令で永代寺は廃寺となったが、不動尊信仰は継続。明治11年(1878)に現在の場所に深川不動堂として存続が認められた。
本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたり焼失したが、本尊は焼失を免れた。
ちなみに、門前仲町は永代寺の門前町の意味。
一杯一杯になって外に出たら、こんなんが境内脇にあった。
これ、以前来た時にもあったなあ~。昭和の生活道具遺産のような、どこかの資料館に納まってても不思議ないですが、現役の屋台のようです。屋根の上にちんまり納まってる4脚の椅子がまたいい味出してるでしょ?
さて、時刻は既に14時15分!先を急ぐよっ。何しろ1月の日没は早いからねっ。
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新生堂さんを後に、途中で腹ごしらえ。日向名物、鳥の唐揚げ南蛮はおいしかったです。鳥の唐揚げ南蛮にタルタルソースは定番なのでしょうか?『ロケみつ』で稲垣早季ちゃんが鳥南蛮を連呼してたアレですね。
さて、昼食と言う名前の休憩を取り、向かった先は都営大江戸線汐留駅でした。
乗車後路線図を見て気づいた…。大江戸線は日本橋駅がない…。
やっちゃいました~。大江戸線汐留駅から日本橋駅へ行く場合、大門駅へ戻り都営浅草線に乗り換えるのが近道なんです。
でもっでも~~~っ!!徒歩でようやく到着した汐留駅を出発駅の大門駅に地下鉄で戻るのは嫌過ぎるっ!!
んで~。大江戸線で向かったのは門前仲町駅でした。そこで東西線に乗り換え…。あれ?都営1日まるごときっぷが通らない??なぜに~~??
駅員さんに聞いてみた。「これは都営地下鉄のきっぷです。東西線は東京メトロです」
そ、そうなのかぁ~東西線は都営地下鉄じゃないのかぁ~~
やっちゃったよ~。やっちゃいました~。小田急使いなので、接続してるのは東京メトロ千代田線。大概東京メトロしか使ってないからこんなことに…。
こうなれば、東京メトロの切符を買うか、それとも都営まるごと1日きっぷでいくならば大門駅へ引き返すしか道はない。
同行者のあっこさんに相談してみる。
「実はさあ~、深川不動尊&富岡八幡宮って2月3日の節分巡りの時に立ち寄ろうと思ってたんだけどね。最寄り駅って門前仲町なんだよ~。今日の所は日本橋を諦めて、こっちにしませんか?」と。お願いしてみた。あっこさん、苦笑い?や。快くOK!していただきまして、深川不動尊へ向かいました。
深川不動尊到着~。時刻は既に13時49分でした。
やばい~~。時間が予定より押してる~。
深川不動尊は以前訪問したことがあります。
>深川不動尊(2010年7月11日)の記事 サッカー日本代表のお護りあります。
この時工事中だった本堂の工事が終わってました。
以前見た時、この建物も工事中で、外の黒&金色は工事幕と思ってましたが、よ~く見るとこれって金属?しかも模様じゃなくて、1個1個梵字ではないの~~!!気づかなかった~。
中はこんな感じ。あ。履物は脱ぎます。
なんか、凄かった!ここ、なんか劇場みたいだった。参拝客席が円形劇場みたいになってて、舞台に祭壇が設えてあります。もうすぐ祈祷が始まるので、僧侶が準備を進めてました。祭壇の奥に売店。更に奥に十二支本尊とか、近代的なホログラムの四国八十八ヶ所巡拝所とか、巨大な如来の天井画とかとかとか~~。おまけに超近代的なトイレもあった。もう数十年先の未来のお寺を見た気がする。
ちなみに、深川不贈尊とは…江戸の初め、歌舞伎役者の市川団十郎が不動明王が登場する芝居をヒットさせ、成田山の不動明王を見たい・お参りしたいと江戸っ子達が熱望した。それを受け元禄16年(1703)、成田不動の出張秘仏公開が富岡八幡宮の別当・永代寺で行われた。これが深川不動尊の始まり。
ちなみに~。これが実現したのは庶民の願いもあっただろうが、五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院が「成田山の不動明王を江戸で参拝したい」と言い出し実現したとか…。
成田山出発の総勢は300人を超える行列を組み、江戸まで1週間余りをかけて秘仏を運んだ。健脚の江戸の人が、江戸城から小田原までなら1日かからず歩いてたことを考えると、おそらく道中ですら見せ物のごとく大騒ぎしたんでしょうねえ~。江戸時代は庶民を楽しませるアレコレが目白押しでした。
江戸時代、成田不動の江戸での秘仏公開は計12回行われ、うち11回が深川永代寺が会場だった。
明治維新後、神仏分離令で永代寺は廃寺となったが、不動尊信仰は継続。明治11年(1878)に現在の場所に深川不動堂として存続が認められた。
本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたり焼失したが、本尊は焼失を免れた。
ちなみに、門前仲町は永代寺の門前町の意味。
一杯一杯になって外に出たら、こんなんが境内脇にあった。
これ、以前来た時にもあったなあ~。昭和の生活道具遺産のような、どこかの資料館に納まってても不思議ないですが、現役の屋台のようです。屋根の上にちんまり納まってる4脚の椅子がまたいい味出してるでしょ?
さて、時刻は既に14時15分!先を急ぐよっ。何しろ1月の日没は早いからねっ。
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