あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

曽我梅林ただ今満開

2012年03月21日 09時57分13秒 | 梅散歩
今年の梅の開花は遅れ、梅まつりを延長。でも結局まつりの期間中に見頃にはならなかったようです。
昨日、3月20日に観梅に出かけました。
松田山ハーブガーデンで河津桜を見物した後、松田駅からJR御殿場線で下曽我駅に移動…って!!!
御殿場線は、上りも下りも遅れてました!待ってる間、ご近所の人が嘆いてました。「JRはね、赤字の御殿場線を廃線にしたいんだよ。でもね、東海道線は海際を走ってるから、あっちがダメになった場合のスペアで御殿場線を残してるんだよね。仕方なく。もう削れるとこは全部削ってるから…」
そうなんですよ。JR御殿場線はスイカもPASUMOも使えません。現金のみの支払いです。し~か~も~~っ!!ワンマンカーなんですよ。JR御殿場線は後ろ乗り前降り。つまり、2両目・3両目などは駅に到着してもドアが開かないんですよ。田舎でよくあるボタンを押したら開くシステムの列車あるよね?あれではなく、ワンマンバスのシステムと同じです。30分ー1時間に1本しかないJR御殿場線。当日は松田駅からは満員通勤電車状態です。これで途中駅でちゃんと降りれる人いるのかしら??
さて、愚痴はいい。遅れたJR御殿場線は下曽我駅に12時15分頃到着しました。
んで、そっから別所梅林目指して歩きます。

曽我梅林は満開でした。つーか既に散り初め?

曽我梅林は、曽我別所梅林・中河原梅林・曽我原梅林からなり、その規模は、およそ90ヘクタール、三万本の白梅が植えられており小田原梅の産地です。
主な栽培品種としては、白加賀(梅酒用)、杉田(梅酒梅干し兼用)、十郎(梅干し用)であり、毎年6月から7月初旬にかけて約600-650トンの生梅が収穫されます。
また、この地から見る富士山、箱根連山、丹沢山塊、相模湾などの眺めもすばらしく、景勝の点でも優れています。

梅まつりが終わってしまったから、人が少ないんですよ。全くいないってことはない。まばら程でもない。でもゆったりと梅林を散策出来ました!お昼もここで。いつものお茶&パンをいただきました。
例年なら早咲きの白加賀などは2月に咲きまして、遅咲きといっしょに花をつけることはないんですが…。
今年はこんな感じです。


 
 
殆どは梅干しと梅酒用の白梅です。でも中に鑑賞用の梅も育てられてまして…。
はっきり言って、見て楽しいのはそちらです。


 
ちなみに、こんな奴も風よけなのか、梅林の際に植えられてたりして…。
泣くぞっ!!つーか、マスクの装備は必携!!
これを見ると、杉の枝の先についてる花粉が少なめです。ええ。これでも少ないんです。花粉に塊が丸くないからね。
んで、確認しましたら、飛散は始まってますが、まだ大半の飛散はこれからのようです。花粉の房が小さくて固い感じだからね。梅が遅いように花粉の飛散も遅いんですね。
でもマスクして長時間のお散歩は辛い~~。本当なら、城前寺から宗我神社更に瑞雲寺まで散歩したい所ですが、既に体力削られて限界。下曽我駅へ戻ります。
と、到着したら13時40分で、次の列車がくるまでまだ25分もありました。なので、近くでお土産を購入。
JA製造の曾我梅林!00%を使用した梅ジャムを370円で購入しました。今からいただくのがた~の~し~み~~
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ここだけの話、JR御殿場線は、帰りにもっと酷い遅れになっていた。最早、ダイヤ通りに走らす気はないっ!って感じでした。
松田駅で乗り換え、新松田駅から小田急で帰宅したのですが、車中でおもしろい話を聞きました。
若い男「今週末、奥多摩やりたいんだけど」
先輩「悪い事言わないからもう一週待て!」
若い男「でも今なら人少ないと思いませんか?」
どうやら彼らはトレッカーらしいです。今日も渋沢駅から山を登ってきたようで、
先輩「今日、上霜だらけだったじゃん。あれ、上まだ凍ってるぜ?とけたらぐちゃぐちゃだせ?」
先輩「山をググったら、○○山、まだ1メートルも雪残ってるんだよ。行けねえって」
どうやら、山歩きの方にとっても今年の春は遅いらしい。
先輩「来週は三浦をやろうぜ」
若い男「分かりました」
来週彼らは三浦半島で山歩きするらしい。丹沢歩きの人も小田急を利用する。彼らは服装が違うんですぐに分かります。
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新松田で河津桜満開

2012年03月21日 09時10分27秒 | 桜散歩
昨日の祝日、旦那が休日出勤だったので普段通りに早起きし、5時に降圧剤&花粉症のアレルギー薬を飲んでお出かけしました。
最寄り駅は小田急線の新松田駅。もしくはJR御殿場線の松田駅です。
到着したのは9時40分頃でしたが、既に松田駅から出るシャトルバスは長蛇の列。でもバスは次々とくるので、さほど待つこともなく乗車出来ました。シャトルバス乗車料金は片道150円です。
や。駅から近いので徒歩でも20分程度なんですが、なにしろ松田山ハーブガーデンは里山の急斜面に桜が咲いてるんで、降圧剤の副作用の頻脈・動悸・息切れ時間中は無理出来ないんですね。だからして、シャトルバスを利用しました。

朝、松田山ハーブガーデンのライブカメラで確認した時は綺麗に見えてた富士山でしたが、到着したら雲に包まれてました。
こ、こんなに晴れてるのに~~~っ。残念無念。

今年の梅の開花は例年に比べ1ヶ月遅れでしたが、河津桜の開花も遅れてました。ようやく見頃!ってなことです。上の画像の撮影時間は、午前10時です。画像を見てくださると分かるんですけど、ほぼ満開でした。既に散り始めてる桜の木はなかったものの、今年の花はパッと咲いてパッと散る運命にあるみたい。これからお出かけの方は急いで松田山ハーブガーデンに駆けつけて下さい。
お子様には、園内列車が走ってます。

こんな感じで、桜の向こうに地上が見下ろせます。

急斜面なので、斜面の下から桜と菜の花を見上げることも出来ます。

ここの素晴らしさをご存知の方が、押すな押すなで詰めかけております。駅から徒歩でやって来た方々が、下から途切れることなくやって来るのです。
 こんな感じです。急斜面でしょ?
ちなみに、桜に隣接して、ハーブガーデンがあり、帰りはそちらから降りるコースの方が楽かもしれません。
ハーブガーデンでは現在クリスマスローズとミツマタが見頃です。
クリスマスローズかぁ。麻溝公園のクリスマスローズも見頃かも?
ぜんぜん紹介されてませんが、麻溝公園のクリスマスローズのお花畑はちょっとしたものなのですよ。
クリスマスローズのお花畑(2010年3月30日)の記事です。

そんなこんなで、JR御殿場線松田駅のホームから松田山ハーブガーデンを撮影しました。
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さっき、相模大野へ昨日撮影したフィルムを出しに行きますと、信号が壊れてました!
や~マジでぇ??
相模大野の交差点って結構な交通量です。ヤバいんじゃないかな?通報すべきか??などと悩みつつ写真屋へ着いたらば、停電してた!!
信号は壊れたんじゃなくて、停電中だったのです。
フィルムを預け、小田急の駅ビルへ向かいましたらば、次の信号も停電してました!
でも素早い警察の対応で、手信号で車や通行人をさばいてます。
んで、牛丼のチェーン店では、照明が点灯してないのにもかかわらず、何事もなく客が牛丼をかっこんでました。ええ、店内は暗いんですよ?
入り口では店員が停電中を伝えた上で客に対応してます。
一見なんのトラブルも起きてない。
わしらは去年の計画停電を経験し、咄嗟のトラブル位じゃ動じないスキルを獲得したんです。
駅ビルで目当ての本をゲット出来ず、肩を落として戻って来ましたらば、既に東京電力がお詫びの拡声器放送をやってました!
素早い~~。
危機管理マニュアルを咄嗟に活用出来ちゃうのね。私ら。
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徳川家光の奥さんの墓

2012年03月21日 05時45分46秒 | 墓所巡り
伝通院の徳川家の人びとのお墓の続きです。
家康の母於大の方、秀忠・お江夫妻の娘千姫に続いて紹介するのは、徳川三代将軍徳川家光の正室、鷹司孝子のお墓です。
墓石で探しますと、「本理院殿照誉円光徹心大禅定尼」です。ええ。気づいたんですが、墓の特定するには法名を調べておかないと、とてもでないけど場所の特定は出来ません。
さて、徳川家光はあちこちの作品で取り上げられてますが、彼の正室って覚えてます?印象薄いよね?それも当たり前。家光の時代から『大奥』がでばってくるんですよ。
つーか、この所池上本門寺芝増上寺とブログを書く為に、江戸時代の特に女性の生涯をだいぶん調べました。その中で気づいたんですが、徳川将軍家で正室から産まれた将軍っていないんですよ。かろうじて、徳川秀忠・お江夫妻から生まれた三代家光が継室(後妻)の子でした。わかりにくい?お江は秀忠の正室じゃなくて後妻なんですよ。
んで、家光以外の将軍み~んな側室もしくは将軍の親戚の子です。そんで、家光と奥さん鷹司孝子さんはと言うと…。これがもう最悪!政略結婚とはいえ、酷過ぎる。どっちが悪かったんだろう…。
鷹司孝子の墓近景
WIKIで検索すると、鷹司孝子の父は京の公卿。つまり家光から徳川将軍の正室は京都の公家さんという形が出来たんですね。んで、22才の寛永元年(1624)に家光と祝言して江戸城に入ってます。が。もう結婚当初から家光との中は悪かったようで、結婚してすぐ事実上の離婚。当然二人の間に子どもはいない、
でも政策上京へ返す訳にいかないから、彼女は江戸城の片隅に造った邸宅で軟禁生活を送ってます。家光は死去する際、形見分けとして孝子にわずか50両しか送らなかったとかなんとか。更に息子達に彼女と養子縁組しないようにしていたとかなんとか…。
どんだけ嫌いだったら、生涯飼い殺しにする程の扱いが出来るのか?
ちなみに、家光は慶安4年(1651)に死去してます。んで、孝子は4代将軍徳川家綱の御代の延宝2年(1674)に死去。享年73歳。
ひええ~~~でしょ?
だからですかねえ?家光のお墓は日光にあるんですよ。この時代なら正室の墓は夫の近くにあるものなんですけど…。せめて伝通院に葬ったのは時の将軍の配慮か…。哀れな…。
徳川亀松の墓
帰宅してからwikiで調べました。
徳川亀松は三代将軍徳川家光の次男です。(1643-1647)長生きしてたら5代将軍だったかもしれませんね。法名:月渓院殿。母は側室まさ(尾張藩家老の娘)。
ちなみに亀松の兄・長男が4代将軍徳川家綱。弟・三男が徳川綱重(6代将軍の父)。弟・四男が五代将軍徳川綱吉となってます。

現地ではこんな感じなので、法名は絶対に書き控えて行って下さいね。たどりつけません。

調べて行ってもこんなことになってたりするし、江戸時代の墓の隙間に現代の墓が連なってる場所もあるのだ。
お奈津の方の墓
お奈津の方は徳川家康の側室。於奈津。法名:清雲院殿。(1581-1660)長谷川藤直の娘
他、画像撮影してませんが、作家・柴田錬三郎さんの墓、罰末の浪士組の創始者清河八郎の墓、藤井紋太夫の墓があります。
最後の藤井紋太夫って水戸徳川家の家老だった人で、水戸黄門・徳川光圀に刺殺されてるんだよね。何やったんだろう?ちなみに、徳川水戸藩の屋敷は伝通院のすぐ側にありました。今の中央大学・小石川後楽園は水戸藩の屋敷ですもん。

伝通院の墓地には古いお墓がそこそこありまして…。もうね。墓の特定は家に帰ってすることにして、取りあえず撮影。ポイントは法名。
このお墓は「雲鏡院殿国誉れ智照慧高大姉」という方のもの。
どうやって調べれば…。取りあえず「雲鏡院」で検索。
そこそこヒット!でもヒットするのはみんな男性でした。この法名は最後に大姉ってあるから女性のハズ…。ってな感じで計画は早々に頓挫しちゃいました。
う~ん。やっぱり墓所巡りは難しいなあ…。いくら古くとも墓をたくさん撮影するのもどうかと思うし…。ちょっと対策を考えないとイカンなぁ~。

さて。時刻は……。ムっ!!既に15時を過ぎてるじゃないの~~~~。て、撤収じゃ!!
善光寺坂を降りながら、あっこさんと相談する。
「この後どうする?」
「日本橋?」
「そう。今から移動すると、帰宅時にラッシュに巻き込まれるかもしれん…」
「でもここでパスしたら、いつになるか?」
そうなんだよね。1月27日の赤穂浪士散歩で既にパス1回してるのね。
「…いくか?」
「日本橋だけ」
「三越・三井本店・日本銀行はパスの方向で」
「そだね。『麒麟の翼』の旬のうちだしね」
ってな事で、都営地下鉄大江戸線へ戻ります。

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