あられの日記

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杉並さんぽ10-1 コンドル設計の鉄門

2018年06月16日 05時56分28秒 | レトロ建築
東京都は毎年11月の第1週を文化財公開ウィークとして、都内にある文化財を一斉公開してます。特別公開・通年公開・企画事業と区別はありますが、人々に文化財を身近に感じていただくため行われるイベントは歴史好きな私には好都合。いつだったか公開事業の古民家を訪問した時に、東京文化財通年公開編・特別公開編の冊子をいただきました。お花散歩とか展覧会見物のついでに少しづつ訪問してます。未訪問の中に杉並区堀ノ内にある重要文化財(建造物)妙法寺鉄門がありました。
杉並の尾崎熊野神社さんの巨木クロマツを訪問しようと計画を立てた時に、距離的にも小田急東京メトロ1日券を使えば妙法寺鉄門もついでに行ける!と気づきました。それだけではもったいないなあ〜と杉並区内のウォーキングプランを立てて角川庭園・大田黒公園・荻外荘などあれこれ追加しすぎてしまい、妙法寺に着く頃にはヘロヘロになってました。まさに計画倒れ寸前です。でもジョサイア・コンドル設計の鉄門がそこにあるなら見たいやろ!その一念で足を動かし、ようやく妙法寺さんに到着したのは16時を回ってました。
ついてびっくり。妙法寺さんは大きかった!

まず境内図で鉄門の位置を確認。
派手〜。
 

 


説明板発見:重要文化財『鉄門の由来』
この鉄門は明治11年に完成した、洋風の意匠を基調とし一部に加味した折衷の鉄門である。
我国の近代建築家養成の恩師と言われている英国人教師コンドル氏の設計遺構で、明治建築史上貴重な存在である。
昭和48年重要文化財に指定された。
門柱左右の7文字の漢詩は、当時の身延山第74世吉川日鑑法主の筆跡である。

「花は浄界に飛んで 香りは雨と成る。
金を祇園に布(しい)て 福は田にあり」
ちなみに鉄門の背後の建物は書院で奥に御成の間(東京都文化財指定)があります。

パンフレットによりますと「徳川時代、歴代将軍が野遊の時に使用された部屋で、天井・床の間・腰障子には狩野探幽・常信の絵が描かれてる」そうです。
パンフレットの側に東京都文化財ウィークの絵葉書が3種置かれていたのでいただいてきました。これによりますと「重要文化財(建造物)妙法寺鉄門(指定:昭和46年6月2日)
寺院の門として異彩を放つこの洋風意匠を基調とした鋳鉄製の門は、妙法寺が明治10年(1877)に工部省赤羽工作分局に設計施工を依頼し、翌明治11年(1878)に完成しました。
設計は、明治10年に工部省のお雇い外国人として来日し、工部大学造家学科教師であったジョサイア・コンドル(1852−1920)が担当しました。コンドルの来日年代から、来日第一昨ではないかといわれています。
門は幅(門柱真々)4、3メートル。全高4、96メートルの規模で、両開きの扉が付き、左右に袖柵を設けています。門柱は4枚の鋳鉄製側板を接合し、基部に牡丹模様の香狭間・唐獅子付き腰額縁、中央に銘文額縁、上部に井桁橘文様付き額縁を設えています。柱頭には、青銅鋳造の童子(東側女性・西側男性)を安置しています。
門扉を吊り込んだのき上には、彩色された鳳凰を冠し、5個のアカンサス装飾(地中海地方のキツネノマゴ科の葉をモチーフとした装飾)付きの灯篭を付設しています。門扉はアカンサス唐草文様を主に、橘花と井桁橘文を幾何学的に配置しています。
洋風を基調としながらも、日本古来のモチーフを散りばめた折衷様式ですが、異なる様式を優れた力量でまとめています」
ちなみにwikiによりますと、現存するジョサイア・コンドル設計作品は
神田のニコライ堂(重要文化財)ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)2012年4月1日の記事
丸の内の三菱一号館 三菱一号館(2010年11月17日)の記事
台東区湯島の旧岩崎庭園本館及び撞球室 旧岩崎邸庭園の大銀杏(2017年12月26日)の記事
高輪の三菱関東閣(非公開) 
三田の綱町三井倶楽部(非公開) 綱町三井倶楽部から東京タワーへ(2017年12月17日)の記事 画像は外観のみ
五反田の清泉女子大学本館(旧島津家袖ケ崎邸) 旧島津公爵邸見学(2017年4月1日)の記事
北区の旧古河庭園本館 旧古河庭園の紅葉(2017年12月21日)の記事
世田谷区の岩崎家廟
など。 岩崎家廟(2013年1月14日)の記事
コメント
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