あられの日記

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杉並さんぽ5 荻外荘(近衛文麿旧宅)

2018年06月11日 05時27分07秒 | 歴史散歩
説明板発見:「国指定史跡 荻外荘(てきがいそう)は、昭和前期に総理大臣を3度務めた政治家、近衛文麿の邸宅です。
当初は、昭和2(1927)年に、大正天皇の侍医を務めた医師の入澤達吉が、義弟で建築家の伊東忠太に設計を依頼して建てた邸宅でした。昭和12年(1937)に近衛文麿が入澤から邸宅を譲り受け、その後、西園寺公望が、「荻外荘」と命名しました。近衛は、ここで政治会談や第二次・第三次近衛内閣の組閣を行うなど、荻外荘は、近衛の主要な政治の場となりました。特に、昭和15(1940)年の「荻窪会談」は、第二次近衛内閣の基本方針が確認された会談として有名です。戦後、昭和20(1945)年12月16日に近衛は邸内の書斎で自決しました。
平成28(2016)年3月1日、昭和期の政治の転換点となる重要な会議が行われた場所として、国の史跡に認定されました。
現在、建物部分は非公開ですが、史跡指定の趣旨に基づき、文化財として適切な復原整備と活用に向けた検討を進めています」

建物は非公開。

現在は旧近衛文磨の邸宅を南の芝生公園から見上げるのみ。

公園の真ん中に、手押しポンプつき井戸が残っている。芝生部分はかつては池があった。

南の道路際には大木がある。親子連れが木のそばで休んでいる。木の大きさがわかるかと。

木の樹齢などを示すプレートはない。
wikiで調べたところ「旧近衛文麿の旧宅は戦災を免れたので、近衛の死後、一時近衛家から家を借りてたのが吉田茂だったとある。
1960(昭和35)年に荻窪会談が開かれた応接室を含む木造平屋建ての一部を、豊島区巣鴨の天理教東京教務支庁の敷地へ移転。今年度より復元工事を始めるもよう」
復元後公開されたら再訪したい。 
時刻は14時2分、移動です。まずは善福寺川を渡り対岸に行きたい。ラッキーなことに、角川庭園・幻戯書房訪問時にすぎなみ景観区ある区見マップ(荻窪南)のウォーキングマップを手に入れた。それによりますと、近所には他に与謝野鉄幹・晶子旧居跡など見所盛りだくさんですが、ここは当初計画通り、次は中道寺に向かいましょう。
ウォーキングマップには、松見橋のそばにカルガモと書いてあるけども、松見橋からカルガモは見えない。残念に思ってると橋の反対側からやってきた年配の男性が「この川は善福寺川ですか?」と聞かれた。おおう!そうだとは思うけども、私は観光客。念のためにウォーキングマップを確認。
そこには間違いなく「善福寺川」と書いてあった。この善福寺川は杉並区内を蛇行して流れてまして、この後何回か渡ることになりました。
14時11分、中道寺に到着。
コメント
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