2018.6.17参拝。再訪です。前回の訪問は本堂の改修工事期間でした。綺麗になったら印象がかなり変わりました。
説明板発見:伊勢原市指定重要文化財 史跡 宝城坊境内 指定:昭和48年3月23日
日向・宝城坊は一般的には日向薬師と呼ばれています。霊亀2年(716)に行基が開創したと言われているのが霊山寺で、その中の一坊である宝城坊だけが現存しています。
この霊山寺には天暦6年(852)に村上天皇の発願により梵鐘が納められました。その後、歌人として有名な相模守、大江公資(きみより)の妻相模が、眼病平癒を祈って参詣しています。また、仁平3年(1153)には鳥羽法皇の院宣で銅鐘が改鋳されています。建久5年(1194)には源頼朝が娘、大姫の病気治癒を祈って参詣し、その後は頼朝の妻北条政子、鎌倉公方足利基氏、小田原北条氏などが参詣しています。また、修験場としても有名で、文明18年(1486)に本山派修験の棟梁、聖護院准后道興が奥州巡錫のさいに逗留しています。
境内中央には、国指定重要文化財の本堂。東側には市指定重要文化財の鐘堂、県指定重要文化財の二本杉、西側には国指定重要文化財を収蔵する宝殿があります」
本堂トップ画像です。
国指定重要文化財 間口20メートル、奥行き17メートル、高さ10メートルの規模を持つ、単層茅葺の荘厳な建物です。
万治3年(1660)に旧本堂の部材を利用して建てられたもの。
老朽化と虫害のため、2011年11月より5年以上かけて本堂の大修理が行われた。大修理は350年ぶり3回目。
銅鐘(訪問時、鐘楼は入り口に鎖を張り立ち入り禁止になってました。二本杉のそばにあります)
国指定重要文化財 銘文によると、天暦6年(952)に村上天皇が納めたものを仁平3年(1153)に改鋳し、暦応3年(1340)に豪海僧都が勧進して、物部光連が鋳たものが現存しています。
12本柱の鐘堂は、市指定重要文化財です。
仏像 宝殿には、国指定重要文化財で平安時代の薬師如来像及び両脇侍像、鎌倉時代から室町時代初期の阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像、四天王立像、12神将立像など数多くの仏像があります。本堂内には県指定重要文化財でッヘイアン時代の12神将立像があります。
残念ながら、本堂内の撮影は禁止です。入って右側手前に、賓頭盧尊者像がありまして、なで仏です。右足が痛い私はお賽銭をした後撫でさすりました。
二本杉 県指定天然記念物 14世紀に鎌倉公方足利基氏が錦幡を奉納し、それをこの杉にかけたことから「幡掛けの杉」とも呼ばれています。
この錦幡とそれを収納する唐櫃は県指定重要文化財です。
大太鼓 県指定重要文化財 建久5年(1194)に源頼朝が娘の大姫の病気治癒のために納めたといわれています。
寺林 県指定天然記念物 仁王門から本堂の裏まで、木立がうっそうと茂っています。
日向薬師の寺林について昨日・一昨日と記事投稿済みです。幽玄な参道をご覧ください。
以上が説明板の全文ですが、二本杉と鐘堂の並びに虚空蔵菩薩像があります。
wikiによりますと、虚空蔵菩薩像はかつて日向山奥の院に祀られていたが、のちに境内の幹が空洞になった霊樹の中へ移された。とありました。
見上げると、空洞の面積が広く、よく木が生きてられるものだなあ。と感動的。
そしていつもの絵馬チェック。
やはり本堂と杉の絵馬が一押しです。
さて、表参道の寺林を眺めつつ降りてもいいのですが、訪問した6月17日は梅雨空でして、石段も岩を削って作った古い階段も滑りやすい。タウンシューズで来てる私は転けたくないので表参道を回避しました。
日向薬師のすぐそばまで駐車場とアスファルトの道路整備されています。バス停からそちらの道を使い参拝するのが楽な道ですが、それをやると表参道は使いません。あの!レトロ感たっぷりの幽玄な道をダンナにぜひとも味わって欲しくてわざわざ表参道を上がったのですよ。しかし、さすがに転けやすいコンディションなので表参道を降りるのを諦めました。
11時42分、日向薬師を出発。
勾配の緩いアスファルト道をゆっくりと、時折聞こえるウグイスの鳴き声を楽しみつつ降りました。
右手の斜面下に小川があるようで、水音もします。普段から湿度も高いようで、左手の路肩の石垣はこんな。
元はコンクリートなのに、苔が覆っています。
うおっ!これは〜、来年の春に向けスタンバイしてるヒノキ花粉ですね。杉じゃないと思うけども。どうだろ?
12時4分、日向薬師のアスファルトの坂道終了。野生動物の食害がひどいのか、田んぼの周囲には動物避けが巡らせてありました。
説明板発見:伊勢原市指定重要文化財 史跡 宝城坊境内 指定:昭和48年3月23日
日向・宝城坊は一般的には日向薬師と呼ばれています。霊亀2年(716)に行基が開創したと言われているのが霊山寺で、その中の一坊である宝城坊だけが現存しています。
この霊山寺には天暦6年(852)に村上天皇の発願により梵鐘が納められました。その後、歌人として有名な相模守、大江公資(きみより)の妻相模が、眼病平癒を祈って参詣しています。また、仁平3年(1153)には鳥羽法皇の院宣で銅鐘が改鋳されています。建久5年(1194)には源頼朝が娘、大姫の病気治癒を祈って参詣し、その後は頼朝の妻北条政子、鎌倉公方足利基氏、小田原北条氏などが参詣しています。また、修験場としても有名で、文明18年(1486)に本山派修験の棟梁、聖護院准后道興が奥州巡錫のさいに逗留しています。
境内中央には、国指定重要文化財の本堂。東側には市指定重要文化財の鐘堂、県指定重要文化財の二本杉、西側には国指定重要文化財を収蔵する宝殿があります」
本堂トップ画像です。
国指定重要文化財 間口20メートル、奥行き17メートル、高さ10メートルの規模を持つ、単層茅葺の荘厳な建物です。
万治3年(1660)に旧本堂の部材を利用して建てられたもの。
老朽化と虫害のため、2011年11月より5年以上かけて本堂の大修理が行われた。大修理は350年ぶり3回目。
銅鐘(訪問時、鐘楼は入り口に鎖を張り立ち入り禁止になってました。二本杉のそばにあります)
国指定重要文化財 銘文によると、天暦6年(952)に村上天皇が納めたものを仁平3年(1153)に改鋳し、暦応3年(1340)に豪海僧都が勧進して、物部光連が鋳たものが現存しています。
12本柱の鐘堂は、市指定重要文化財です。
仏像 宝殿には、国指定重要文化財で平安時代の薬師如来像及び両脇侍像、鎌倉時代から室町時代初期の阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像、四天王立像、12神将立像など数多くの仏像があります。本堂内には県指定重要文化財でッヘイアン時代の12神将立像があります。
残念ながら、本堂内の撮影は禁止です。入って右側手前に、賓頭盧尊者像がありまして、なで仏です。右足が痛い私はお賽銭をした後撫でさすりました。
二本杉 県指定天然記念物 14世紀に鎌倉公方足利基氏が錦幡を奉納し、それをこの杉にかけたことから「幡掛けの杉」とも呼ばれています。
この錦幡とそれを収納する唐櫃は県指定重要文化財です。
大太鼓 県指定重要文化財 建久5年(1194)に源頼朝が娘の大姫の病気治癒のために納めたといわれています。
寺林 県指定天然記念物 仁王門から本堂の裏まで、木立がうっそうと茂っています。
日向薬師の寺林について昨日・一昨日と記事投稿済みです。幽玄な参道をご覧ください。
以上が説明板の全文ですが、二本杉と鐘堂の並びに虚空蔵菩薩像があります。
wikiによりますと、虚空蔵菩薩像はかつて日向山奥の院に祀られていたが、のちに境内の幹が空洞になった霊樹の中へ移された。とありました。
見上げると、空洞の面積が広く、よく木が生きてられるものだなあ。と感動的。
そしていつもの絵馬チェック。
やはり本堂と杉の絵馬が一押しです。
さて、表参道の寺林を眺めつつ降りてもいいのですが、訪問した6月17日は梅雨空でして、石段も岩を削って作った古い階段も滑りやすい。タウンシューズで来てる私は転けたくないので表参道を回避しました。
日向薬師のすぐそばまで駐車場とアスファルトの道路整備されています。バス停からそちらの道を使い参拝するのが楽な道ですが、それをやると表参道は使いません。あの!レトロ感たっぷりの幽玄な道をダンナにぜひとも味わって欲しくてわざわざ表参道を上がったのですよ。しかし、さすがに転けやすいコンディションなので表参道を降りるのを諦めました。
11時42分、日向薬師を出発。
勾配の緩いアスファルト道をゆっくりと、時折聞こえるウグイスの鳴き声を楽しみつつ降りました。
右手の斜面下に小川があるようで、水音もします。普段から湿度も高いようで、左手の路肩の石垣はこんな。
元はコンクリートなのに、苔が覆っています。
うおっ!これは〜、来年の春に向けスタンバイしてるヒノキ花粉ですね。杉じゃないと思うけども。どうだろ?
12時4分、日向薬師のアスファルトの坂道終了。野生動物の食害がひどいのか、田んぼの周囲には動物避けが巡らせてありました。