あられの日記

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浄発願寺は男の駆込み寺です

2018年07月06日 06時10分36秒 | 神社・仏閣
日向薬師からバス通りに降りてきた。時刻は12時4分。当初は源頼朝が使った日陰道へ行こうと思ってたのだけど、伊勢原市観光協会のWEBに掲載されていた浄発願寺の塔が素敵だったので見にいくことに。
緩やかな上り坂を道なりに進むと、バーベキューをやってる団体がいた。(トップ画像奥です)
実は日陰道なら日向薬師近辺の彼岸花の散策コースだから歩いたことがあるけれど、今回初めてきたので、この先に何があるか知らなかった。どうやら子供向けの学習用のあれこれがあるようだ。
12時12分、浄発願寺に到着。

関東ふれあいの道は大山から続くハイキングコースで、道なりにあれこれ見どころが点在していて、標識もあれこれ。大友皇子のお墓には惹かれるものがあるなあ〜。

とはいえ、今回の目的は浄発願寺の塔です。
見頃のあじさいがいい味出してます。

道路に沿って小さな渓流になっています。

しかし、本堂はこじんまりだなあ〜。墓域は大きいけども。
あ。説明板発見:浄発願寺
無常山浄発願寺は、上の寛永寺の凌雲院の末寺となる天台宗弾誓派(たんせいは)の寺です。創建は慶長13(1608)年、ひたすらに修業に勤しみ、口にするのは木の実や草だけという木喰の僧、弾誓上人によります。江戸に幕府を開いた徳川家康が上人に深く帰依したことから、寺は代々幕府の手厚い庇護を受け、山岳修行者や各地を行脚する修行僧の行場として栄えました。また、殺人や放火を犯した者以外であればどんな犯罪人も許される駆け込み寺としても有名となりました。
明治維新に起こった廃仏毀釈運動では激しい弾圧を受け、徳川本家をはじめ、尾張徳川家、藤堂氏、佐竹氏などの大名や、公家の広幡家など、後ろ盾となる信徒をも失い、寺領も減少して衰退の一途をたどりました。
しかし、民間の信仰は根強く、陰暦10月に行われるお十夜法要は相模の三大十夜と称され、昭和初年まで盛大に続きました。また、寺が日向川の水源地に鎮座していることから、伊勢原をはじめ平塚や大磯など下流域に住む人々からは雨乞い信仰の寺としても崇められました。
昭和13年(1938)の秋、浄発願寺は台風による山津波に見舞われて壊滅状態となり、現在の場所に移転しました。かつでの寺跡はここより約1キロ上流の一ノ沢に「奥の院」として残り、そそり立つがけと生い茂る草々に囲まれて、静かに往時の面影を偲ばせています」
本堂がこじんまりとしてるのは山津波のせいか〜。維新で主な檀家を失ってたから再建もままならなかったんだろうな〜。

正直お寺としてフォトジェニックな見どころは塔と日向川だけですが、いい感じで撮影できたと思う。
時刻は既に12時半近く。お昼にしたいけども?お手頃なベンチとかないし。
ちょっとした広間に石があったのでそれを椅子代わりにパンをぱくつく。
ん??
手のひらにポツっと黒いの何だ?
さっきまでなかったのに??
見つめてると、ポツだったものが、みょ〜ん!と伸びた!!
ええ〜〜〜〜〜!!
もしやせんでも山ヒルです。
ぎえ〜〜〜っ!
そっからは素早かったね。山ヒルが吸血し始める前に取らねばならん。さすがに山ヒルを直で手づかみするのは無理だったので、足元の雑草から大きめぱっぱを引きちぎり、山ヒルを包むようにしたら取れた。
ラッキーにも吸い付く前だったようだ。手のひらなんかに吸い付くから〜。
とはいえ、危険ゾーンです。山ヒルが降ってくるような場所でお昼なんか食べてられるかっ!
速攻撤収じゃ!
そそくさと、登ってきたばかりだけども道を引き返す。
 
撮影に失敗したけども、道のそばにあぜみちがある。草花と蝶々コラボで撮影。
神明橋に到着。

もしかしたら日陰道も山ヒルいるかも?どうすっかな〜?神明橋でつかの間思案する。
コメント
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