明治記念大磯邸園の明治150年記念公開が、10月23日〜12月24日の期間限定で開催中です。会場の旧大隈重信邸や旧陸奥宗光邸などの邸宅と邸園から、大磯城山公園は徒歩20分ほど。合わせて訪問したいと大磯城山公園のホームページを閲覧したら、七賢堂特別開扉日程 開扉日:10月23日(火)及び、10月27日(土曜)〜12月24日(月曜)の間の土日祭日 開扉時間10:00〜16:00とありました。
マジで?
旧吉田茂邸(2015年2月27日)の記事 吉田茂邸は梅の季節の初訪問です。前回訪問時には七賢堂の扉は閉まってて、中がどうなってるか?わからなかったんだよね。
わくわくと見学です。

開いてますっ!

七賢者の写真が掲げられてます。
いただきましたコピーによりますと、七賢堂は、明治の元勲伊藤博文が、大磯町の自宅「滄浪閣」の敷地内に明治36年(1903)に建築した9尺四方(四畳半の板張り)の大きさのお宮風の木造建物「四賢堂」が始まりです。
「四賢堂」は、伊藤博文が日頃から尊敬していた、三条実美・岩倉具視・木戸孝允・大久保利通の4人の写真を道内に掲げ祀られたため「四賢堂」と呼ばれ、「滄浪閣」を幾度か訪れられた皇太子時代の大正天皇の筆による扁額が掲げられていました。
伊藤博文の没後には伊藤博文の写真が掲げられ「五賢堂」と呼ばれていました。
その後、西武鉄道の手を経たのち、昭和35年(1960)に吉田茂が邸内に移築し、自らの筆による「五賢堂」の扁額が掲げられていました。
吉田茂は尊敬している西園寺公望の写真を掲げ合祀しました。
吉田茂の没後には、吉田茂の写真が掲げられ合祀されて「七賢堂」と改称されました。佐藤栄作元首相の筆による扁額が掲げられています。
吉田茂邸に移されてのち、毎年例祭が行われてましたが、吉田茂邸が大磯公園になると、公園内で宗教行事を行う事が出来なくなりました。
上の画像の七賢堂内に掲げられている写真は、左から吉田茂・岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望です。
ふと視線を下げると、写真のない古い額が直置きしてある?

見つめていたら公園のガイドさんが「公園内で宗教行事を出来なくなった時に降ろされた古い額です。額には家紋がついてます。今回見つかったので展示してます」ですってよ?
せっかくなので手を合わせてついでに吉田茂邸の庭園を見学する。

吉田茂はサンフランシスコ講和条約に調印した方で、銅像はサンフランシスコを向いて設置してあるとか。
で、トップ画像です。実は旧吉田茂邸は2009年3月に焼失しました。2017年に大磯町郷土資料館の別感として再建されました。

中に入るか迷ったけども、ここ有料なんだよね。観覧料一般500円。
〜〜残念だけどもパスです。時間がないんじゃ!本日の私の活動限界も近いんじゃ!
ってな事で、明治記念大磯邸園ガイドツアーでいただいた当日限定庭園入園券を利用すべく戻ります。
通りはかつての東海道で現国道1号線。沿道には古い民家が点在してて面白い。あれ??

見事なサボテンを見つけた!大きさがわかりますか?背景の民家の屋根の高さを比べてみると大きさが推し量れるかと?

つ、疲れた〜。足が痛い〜。お尻も痛い〜。活動限界はここまでか〜。予想以上に普通に動ける時間が短かったので凹む。座って痛みの治るのを期待して待つ。
痛みに鈍い私が痛みを感じたら手遅れで、だいぶん悪い状態になってます。痛くなる前に休憩しないといかんのだとわかっていたのにやっちゃいました〜。とりあえず、国道1号線沿いにあった神社の木陰でおやつ休憩にする。
なんとか痛みが弱くなったので再び歩き、旧伊藤博文の滄浪閣まで戻ってきた。この先の旧大隈重信邸と旧陸奥宗光邸まであと少し。

〜〜〜!!庭園の前にき、休憩を〜。一旦痛みが出ると痛みがすぐにぶり返してきたわ〜。もう堪らんのじゃ!私の場合は腰椎由来ですが、今痛いのは右の太ももと尻たぶあたりでねっ。どないもねっ。はふう〜。
敷地にめぐらしてある見事な石組みを眺めることしばし。
で、痛みが治るのを待って大隈重信&陸奥宗光邸の敷地入り口で庭園入園券を見せて入場。先ほどのガイドツアーでとっても気になってた桜の老木をまず見学。

不思議な形の枝ぶりです。

これ何に見える?
説明板発見:龍頭の大島桜龍頭のかたちをした珍しいオオシマザクラで、一重咲きで白色、3月から4月にかけて満開を迎えます。関東以南の島々の海岸沿いから山地にかけて多く生育し、得に伊豆大島などの伊豆諸島に多く生育することから、和名の由来となっています。上部で潮風にも強いことから庭木に利用されています。
到着したのが午後2時です。逆光になったのが残念だ。
マジで?
旧吉田茂邸(2015年2月27日)の記事 吉田茂邸は梅の季節の初訪問です。前回訪問時には七賢堂の扉は閉まってて、中がどうなってるか?わからなかったんだよね。
わくわくと見学です。

開いてますっ!

七賢者の写真が掲げられてます。
いただきましたコピーによりますと、七賢堂は、明治の元勲伊藤博文が、大磯町の自宅「滄浪閣」の敷地内に明治36年(1903)に建築した9尺四方(四畳半の板張り)の大きさのお宮風の木造建物「四賢堂」が始まりです。
「四賢堂」は、伊藤博文が日頃から尊敬していた、三条実美・岩倉具視・木戸孝允・大久保利通の4人の写真を道内に掲げ祀られたため「四賢堂」と呼ばれ、「滄浪閣」を幾度か訪れられた皇太子時代の大正天皇の筆による扁額が掲げられていました。
伊藤博文の没後には伊藤博文の写真が掲げられ「五賢堂」と呼ばれていました。
その後、西武鉄道の手を経たのち、昭和35年(1960)に吉田茂が邸内に移築し、自らの筆による「五賢堂」の扁額が掲げられていました。
吉田茂は尊敬している西園寺公望の写真を掲げ合祀しました。
吉田茂の没後には、吉田茂の写真が掲げられ合祀されて「七賢堂」と改称されました。佐藤栄作元首相の筆による扁額が掲げられています。
吉田茂邸に移されてのち、毎年例祭が行われてましたが、吉田茂邸が大磯公園になると、公園内で宗教行事を行う事が出来なくなりました。
上の画像の七賢堂内に掲げられている写真は、左から吉田茂・岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望です。
ふと視線を下げると、写真のない古い額が直置きしてある?

見つめていたら公園のガイドさんが「公園内で宗教行事を出来なくなった時に降ろされた古い額です。額には家紋がついてます。今回見つかったので展示してます」ですってよ?
せっかくなので手を合わせてついでに吉田茂邸の庭園を見学する。

吉田茂はサンフランシスコ講和条約に調印した方で、銅像はサンフランシスコを向いて設置してあるとか。
で、トップ画像です。実は旧吉田茂邸は2009年3月に焼失しました。2017年に大磯町郷土資料館の別感として再建されました。


中に入るか迷ったけども、ここ有料なんだよね。観覧料一般500円。
〜〜残念だけどもパスです。時間がないんじゃ!本日の私の活動限界も近いんじゃ!
ってな事で、明治記念大磯邸園ガイドツアーでいただいた当日限定庭園入園券を利用すべく戻ります。
通りはかつての東海道で現国道1号線。沿道には古い民家が点在してて面白い。あれ??

見事なサボテンを見つけた!大きさがわかりますか?背景の民家の屋根の高さを比べてみると大きさが推し量れるかと?

つ、疲れた〜。足が痛い〜。お尻も痛い〜。活動限界はここまでか〜。予想以上に普通に動ける時間が短かったので凹む。座って痛みの治るのを期待して待つ。
痛みに鈍い私が痛みを感じたら手遅れで、だいぶん悪い状態になってます。痛くなる前に休憩しないといかんのだとわかっていたのにやっちゃいました〜。とりあえず、国道1号線沿いにあった神社の木陰でおやつ休憩にする。
なんとか痛みが弱くなったので再び歩き、旧伊藤博文の滄浪閣まで戻ってきた。この先の旧大隈重信邸と旧陸奥宗光邸まであと少し。

〜〜〜!!庭園の前にき、休憩を〜。一旦痛みが出ると痛みがすぐにぶり返してきたわ〜。もう堪らんのじゃ!私の場合は腰椎由来ですが、今痛いのは右の太ももと尻たぶあたりでねっ。どないもねっ。はふう〜。
敷地にめぐらしてある見事な石組みを眺めることしばし。
で、痛みが治るのを待って大隈重信&陸奥宗光邸の敷地入り口で庭園入園券を見せて入場。先ほどのガイドツアーでとっても気になってた桜の老木をまず見学。

不思議な形の枝ぶりです。

これ何に見える?
説明板発見:龍頭の大島桜龍頭のかたちをした珍しいオオシマザクラで、一重咲きで白色、3月から4月にかけて満開を迎えます。関東以南の島々の海岸沿いから山地にかけて多く生育し、得に伊豆大島などの伊豆諸島に多く生育することから、和名の由来となっています。上部で潮風にも強いことから庭木に利用されています。
到着したのが午後2時です。逆光になったのが残念だ。