明治期の重要な歴史的建造物を「立憲政治の確立に貢献した先人の業績を次世代に残す取組み」をテーマに明治記念大磯邸園として保存活用を進めている。明治維新150年にあたり、2018年10月23日から12月24日まで特別公開中で、ガイドツアーに参加すれば、旧大隈重信邸と旧陸奥宗光邸の内観ができます。ついでに旧伊藤博文の滄浪閣の外観も見学ツアーに組み込まれていました。ガイドツアー申し込みはすでに人気で募集を終了してるようですが、邸宅の外観と庭園の見学は特別公開の期間中は自由見学です。今日は同じ敷地に並ぶ大隈邸と陸奥邸の庭を紹介します。
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門を抜けるとまず庭。中央に見えた奇妙な木は龍頭の大島桜と名付けられていた。
邸宅内は東海道に面した玄関口の標高が一番高い。邸宅は高い部分に建っていて、トップ画像は旧大隈重信邸です。邸宅から海岸までは斜面になってます。うまい感じに手を入れて、日本庭園を造ってるのが旧陸奥宗光邸。2つの邸宅の間には、上の段に果樹園と下の段にバラ園があります。
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柑橘系の果樹や柿を植えた果樹園。陸奥宗光は和歌山県出身で、紀州の名物だった。
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バラ園。 説明板:東京の駒込に古河家の本邸を大正6年から8年ごろに造られた。古河家の本邸は、古河家3代目の虎之助の邸宅として洋館、西洋庭園、日本庭園が造られました。現在は東京のバラの名所として親しまれています」
大磯にもバラ園を作ったのね。今はほとんど花が咲いてないのが残念ですが。
さて、私が今年熱中してるのは巨樹・巨木巡りでして、公園や神社仏閣を訪問すると、木に目がいきます。陸奥・大隈邸はそれぞれ明治27年(1894)と明治30年(1897)に建てられ、既に築120年ほど。となると、庭木もそれなりの年月が経ってるわけで。庭木にはどんなのがあるか?と。
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こちら、大隈邸にある赤松。こういう途中で多く枝が分かれてる松は「多行松」と言われ好まれたと、ガイドツアーでは伊藤博文邸の松を紹介してました。あっちは手前に別の木があって、綺麗に撮影できなかったので、大隈邸の松を紹介。
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こちらも大隈邸の書斎だった神代の間の東側の木です。根っこの一部が地面から出てるのと、枝ぶりが素敵でしょ?
で、飛び抜けて変わった枝ぶりだったのがこちら。
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説明板:宇賀大神の碑
宇賀神は仏説では白蛇神と言い、弁財天ともされました。白蛇の信仰は水神信仰と結びつき、さらにかウカノミタマとも合わさって豊作を祈る神となり、稲荷のキツネ神や稲荷神ともなりました。
江戸時代の天保12年(1841)の『新編相模国風土記稿』には「宇賀神社、畑中に小祠を建て、村持」とあり、明治27年(1894)に発行された『神奈川県大磯明細全図』には現在の場所に宇賀神社が記されています。
宇賀神社の碑は、大隈重信公から邸宅を引き継いだ古河家が近隣の人々と共に、商売繁盛の神として祀ったものと伝えられています。また、宇賀大神とともにあるクスノキの巨木は、枝が八方に伸びて、あたかも千手観音が手を広げているように見えるところから、ご神木のようにあがめられています」
やっぱりクスノキでよかったのか〜。楠木といえば、長寿で巨樹・巨木探訪ではおなじみの木です。木肌と葉っぱからクスノキだとは思ったけど、あまりに特殊な樹形をしてるから疑ってたのよね〜。この木のこれから何百年も後の姿を見て見たいっ。どんな形になるのか??今で100年越えか。後世の人のために現在の姿を描いて残して欲しいわ〜。
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陸奥宗光、引き継がれて古河家別邸の庭に到着。邸宅のある一番上から斜面にはつつじがたくさん植栽されている。素敵な階段を降りると斜面の下にもつつじが多くある。
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つつじの奥の石灯籠を鑑賞しょうと思い移動すると、説明板があった。
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説明板:大観腰掛岩
陸奥宗光亡き後の別荘を引き継いだ古河邸の床の間には、流れ落ちる滝を描いた掛け軸「飛泉」がかけられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7e/f96ea5cfa706bcd1ee69ddd11e685eb1.jpg)
作者は巨匠横山大観です。古河家に招かれた際、歓待のお礼として、庭にある滝を見て描きました。その際、大観が腰掛けて描いた岩が大観腰掛岩とされています」
その滝はどこかいな?と見回したら、枯れ川があった。
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現在は水源を止めてあるようです。
散策路が奥の海に向かって続いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/03/68d94a950beca96bbe3a69509864b26a.jpg)
また説明板を見つける。
説明板:相撲土俵跡
古河家3代目当主、古河虎之助は大の相撲好きで、若手の力士にも土をつけるほどの実力でした。大磯の別荘に土俵をつくり、力士たちを引き連れては相撲を楽しんでいました。
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虎之助と共に稽古した力士には大錦がおり、大正15年、大関に昇進した時の化粧回しの「大錦」の文字は、虎之助の自筆によるものです。後に大錦は横綱に昇進。引退後は虎之助の付き人として、長く交友が続きました」
へえ〜!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1f/d44287082ec0ac5fbd6b9c9c5bdc133b.jpg)
さて、降りた石段と別の散策路で上段に戻る。古河家別邸時代の富士の間の前に出た。
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素敵な石を多く使った鹿威しがあったけど、現在は水を止めてる模様です。
まだ気になる古木はあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7d/d01f3925754efa81dbdedc64bd143016.jpg)
が、足がどうにも痛いのでもう帰るう〜〜〜!!ってなことで、時刻はまだ14時半ですがが、大磯駅へ戻ります。
訪問は10月27日、大磯では大磯うつわの日(10月26・27・28日)の開催中です。町の全域の文化施設・ギャラリー・飲食店の52箇所で地元の陶芸家が中心となって開く年に一度のうつわの展示・販売イベントを開催中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4c/8efd5d98adc25b2ccca6b3a56ab3af53.jpg)
気になる陶器があちこちに並んでて興味はとてもあるんだけども、右足痛では楽しめない〜。素敵なうつわのあれこれを横目に午後3時前には大磯駅に着いちゃいました〜。早くもとの体に戻りたい〜。
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門を抜けるとまず庭。中央に見えた奇妙な木は龍頭の大島桜と名付けられていた。
邸宅内は東海道に面した玄関口の標高が一番高い。邸宅は高い部分に建っていて、トップ画像は旧大隈重信邸です。邸宅から海岸までは斜面になってます。うまい感じに手を入れて、日本庭園を造ってるのが旧陸奥宗光邸。2つの邸宅の間には、上の段に果樹園と下の段にバラ園があります。
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柑橘系の果樹や柿を植えた果樹園。陸奥宗光は和歌山県出身で、紀州の名物だった。
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バラ園。 説明板:東京の駒込に古河家の本邸を大正6年から8年ごろに造られた。古河家の本邸は、古河家3代目の虎之助の邸宅として洋館、西洋庭園、日本庭園が造られました。現在は東京のバラの名所として親しまれています」
大磯にもバラ園を作ったのね。今はほとんど花が咲いてないのが残念ですが。
さて、私が今年熱中してるのは巨樹・巨木巡りでして、公園や神社仏閣を訪問すると、木に目がいきます。陸奥・大隈邸はそれぞれ明治27年(1894)と明治30年(1897)に建てられ、既に築120年ほど。となると、庭木もそれなりの年月が経ってるわけで。庭木にはどんなのがあるか?と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b7/fc702f0d61dad189d23c57be9c3b3050.jpg)
こちら、大隈邸にある赤松。こういう途中で多く枝が分かれてる松は「多行松」と言われ好まれたと、ガイドツアーでは伊藤博文邸の松を紹介してました。あっちは手前に別の木があって、綺麗に撮影できなかったので、大隈邸の松を紹介。
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こちらも大隈邸の書斎だった神代の間の東側の木です。根っこの一部が地面から出てるのと、枝ぶりが素敵でしょ?
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説明板:宇賀大神の碑
宇賀神は仏説では白蛇神と言い、弁財天ともされました。白蛇の信仰は水神信仰と結びつき、さらにかウカノミタマとも合わさって豊作を祈る神となり、稲荷のキツネ神や稲荷神ともなりました。
江戸時代の天保12年(1841)の『新編相模国風土記稿』には「宇賀神社、畑中に小祠を建て、村持」とあり、明治27年(1894)に発行された『神奈川県大磯明細全図』には現在の場所に宇賀神社が記されています。
宇賀神社の碑は、大隈重信公から邸宅を引き継いだ古河家が近隣の人々と共に、商売繁盛の神として祀ったものと伝えられています。また、宇賀大神とともにあるクスノキの巨木は、枝が八方に伸びて、あたかも千手観音が手を広げているように見えるところから、ご神木のようにあがめられています」
やっぱりクスノキでよかったのか〜。楠木といえば、長寿で巨樹・巨木探訪ではおなじみの木です。木肌と葉っぱからクスノキだとは思ったけど、あまりに特殊な樹形をしてるから疑ってたのよね〜。この木のこれから何百年も後の姿を見て見たいっ。どんな形になるのか??今で100年越えか。後世の人のために現在の姿を描いて残して欲しいわ〜。
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陸奥宗光、引き継がれて古河家別邸の庭に到着。邸宅のある一番上から斜面にはつつじがたくさん植栽されている。素敵な階段を降りると斜面の下にもつつじが多くある。
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つつじの奥の石灯籠を鑑賞しょうと思い移動すると、説明板があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/d9/07dc385157bc20877278a9c2fca4d40e.jpg)
説明板:大観腰掛岩
陸奥宗光亡き後の別荘を引き継いだ古河邸の床の間には、流れ落ちる滝を描いた掛け軸「飛泉」がかけられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7e/f96ea5cfa706bcd1ee69ddd11e685eb1.jpg)
作者は巨匠横山大観です。古河家に招かれた際、歓待のお礼として、庭にある滝を見て描きました。その際、大観が腰掛けて描いた岩が大観腰掛岩とされています」
その滝はどこかいな?と見回したら、枯れ川があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/cd/c9720496b4b4febb111156208c032e95.jpg)
現在は水源を止めてあるようです。
散策路が奥の海に向かって続いていた。
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また説明板を見つける。
説明板:相撲土俵跡
古河家3代目当主、古河虎之助は大の相撲好きで、若手の力士にも土をつけるほどの実力でした。大磯の別荘に土俵をつくり、力士たちを引き連れては相撲を楽しんでいました。
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虎之助と共に稽古した力士には大錦がおり、大正15年、大関に昇進した時の化粧回しの「大錦」の文字は、虎之助の自筆によるものです。後に大錦は横綱に昇進。引退後は虎之助の付き人として、長く交友が続きました」
へえ〜!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1f/d44287082ec0ac5fbd6b9c9c5bdc133b.jpg)
さて、降りた石段と別の散策路で上段に戻る。古河家別邸時代の富士の間の前に出た。
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素敵な石を多く使った鹿威しがあったけど、現在は水を止めてる模様です。
まだ気になる古木はあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7d/d01f3925754efa81dbdedc64bd143016.jpg)
が、足がどうにも痛いのでもう帰るう〜〜〜!!ってなことで、時刻はまだ14時半ですがが、大磯駅へ戻ります。
訪問は10月27日、大磯では大磯うつわの日(10月26・27・28日)の開催中です。町の全域の文化施設・ギャラリー・飲食店の52箇所で地元の陶芸家が中心となって開く年に一度のうつわの展示・販売イベントを開催中。
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気になる陶器があちこちに並んでて興味はとてもあるんだけども、右足痛では楽しめない〜。素敵なうつわのあれこれを横目に午後3時前には大磯駅に着いちゃいました〜。早くもとの体に戻りたい〜。