2019.2.24。京成金町駅に到着。徒歩10分ほどで葛飾区金蓮院 さんに13:38着いた。ちなみに金蓮院とかいて<こんれんいん>と読む。訪問目的は葛飾区指定天然記念物 金蓮院のラカンマキです。年代物の立派な山門をくぐると大きな木が見えた!たぶんあれだと思うけど、巨木の本には樹齢400〜450年の古木と推定と書いてあるけど、樹高10メートルほどで400年超えって本当かな〜??ともあれ観察する。

見上げた。古木の風情は持ってるなあ。

根元。

目通りあたりを撮影。見たことない樹皮の質感。これは雨が少なくて乾燥し過ぎているからか?それどもラカンマキというのがこういう樹皮なのか?謎!
じ〜っと見上げて観察。
あ。説明板発見:金蓮院のラカンマキ 葛飾区指定天然記念物 昭和58年2月21日指定
羅漢槇はマキ科に属する常緑樹です。古くから金蓮院の『ラカンマキ』として有名で、文政12年(1829)の紀行文『十方庵遊歴雑記』などの文献にも記された名木です。
「又傍に槇の大樹あり。太さ三尺四寸廻りもあらんか、樹の高さ凡そ二丈余り、葉のかたち尋常に在らず。(中略)枝ぶり又天然なり云々」
ラカンマキの大木は都内でも極めて少ないものです。樹高は10メートル余り、幹周りは約3メートルほどで、樹齢は400〜450年といわれています。
金蓮院は永正年間(1504−1520)の創立で旧門末30余ケ寺、朱印地10石を持った本寺格の寺院です」
ふえ〜。今はそんなに大きなお寺には見えない(失礼)けども。
実はこの記事を書くにあたり「幕府発行の江戸時代の寺社の朱印状に書いてある安堵された石高を見比べたら、当時の寺社の格というか大きさが分かるかも?当時は信者も多かったのに、今では凋落してるとか面白そうだなあ〜」と閃きました。でも調べるのは嫌。私日本史って高校でも選択してなかったし知識が足りないんだよね。時短したいので単純に寺社を見比べる『知行目録』ってないのかな?とWEB検索したら〜〜!!
なかった!嫌ね、大名や旗本に発行された朱印状は見比べたのがあったんだけどね。寺社のものはなかった〜。神社仏閣めぐりをしたら、大概説明板に『うちの朱印は⚫️石でした』と主張してるし、宝物殿に朱印状の本物(朱印状は将軍が変わる度に発行されると出てました。だから宝物殿に朱印状が何枚も並んでる訳がわかった)を展示してるのに。金蓮院さんの石高が二ケタだったので、ついつい気になったのですが。わからんものは仕方ないなあ。

本殿に参拝。「境内を撮影させていただきありがとうございます」と感謝を伝える。あ。本殿の軒丸瓦に三つ葉葵の御紋が並んでます。
あ。説明板発見:金蓮院のしおり
名称:真言宗豊山派法護山金剛宝寺金蓮密院
御本尊:大日如来
伝承:今(平成3)から1186年前の昔(805年)、弘法大師が唐の都長安で青龍寺の恵果和尚から密教の一切を伝授されて帰国。日本で真言教を開かれました。
総本山:大和の長谷寺
開山の年月日不詳。開祖賢秀和尚天正13年(1585)入寂。伝甲州武田家の家臣

境内には葛飾区の保護木のプレートがかかるクスノキもありました。
時刻は13時48分。先を急がねばっ。
おまけ:巨木の本によりますと、金蓮院のラカンマキは植物学上はイヌマキです。葉は細長く、長さ10センチで幅0、8〜1センチ。葉の裏は淡い緑色です。
イヌマキは房総半島の太平洋沿岸を東限とし、神奈川県以南の海岸に多く分布しますが、東京にはありません。
植物学上のイヌマキの中国名は羅漢松。
江戸時代にイヌマキ(犬槇)の中国名が羅漢松であることを知って、犬槇に羅漢槇の名を充てたことは十分に想像出来ます。
植物学上の「ラカンマキ」はイヌマキの変種で、樹高は5メートルと低く、葉は上を向き、葉の長さ0、4〜8、8センチで細く短く、葉の裏は白色がかっています。
日本では和名において学名は一つという規定がないので、名前と実物が合わない混乱が起きてます。」
とありました。巨木散歩してると植物にも詳しくなりますね。にしても最近真言宗豊山派のお寺とご縁があるなあ。
ちなみに、イヌマキならもっと大きいのを見たのを思い出す。確か小田原城の巨木探訪で〜?
巨木探訪・小田原城跡のイヌマキ こちらのイヌマキは樹高20メートル、樹齢約520年以上でした。
さて、次は京成でなくJR金町駅を目指す。次の移動先は東京メトロ千代田線西日暮里駅なのだ。急がねばっ。
13時58分、もう少しで金町駅という所で通りに食べ物屋が並びだす。

あれ?日高屋の店先にメニューが2つぶら下がってる。けど、日本語じゃなかった。一つは簡体字の中国人用メニュー。も一つはなんとベトナム人用メニューだった。
少し前なら韓国人用メニューだったろうけども、今日本に観光や働きに来るベトナム人多いんだよね〜。できたらベトナムの小粒の丸い香り米を輸入してくれないかな?あれ、美味しいんだよね。タイ米より好き〜。
さて、JR金町駅に到着。あれこれスタンプ各種ゲットして、ホームへ。
ん?行き先が「成城学園前」になってる。あれ?綾瀬駅で東京メトロに乗り換えるんじゃなくて、同じ線路を使って東京メトロに乗り入れ、そのまま小田急線に入る仕組みなのか〜。便利だっ!
西日暮里駅到着。改札でパスモと小田急東京メトロパスを見せる。「パスモで金町から綾瀬まで。で、綾瀬から西日暮里は小田急東京メトロパスを使いたいんですけど〜」と申告したら、差額の154円支払いのみでOKでした。
さて、ここからは5月の根津神社つつじまつりで配布してた「根津権現かいわい 浪漫ちっくマップ」が頼りです。
線路沿いを緩やかな坂道を登る。

見えてきたのは立派な石垣でした。ここどこだろ??

見上げた。古木の風情は持ってるなあ。

根元。

目通りあたりを撮影。見たことない樹皮の質感。これは雨が少なくて乾燥し過ぎているからか?それどもラカンマキというのがこういう樹皮なのか?謎!

あ。説明板発見:金蓮院のラカンマキ 葛飾区指定天然記念物 昭和58年2月21日指定
羅漢槇はマキ科に属する常緑樹です。古くから金蓮院の『ラカンマキ』として有名で、文政12年(1829)の紀行文『十方庵遊歴雑記』などの文献にも記された名木です。
「又傍に槇の大樹あり。太さ三尺四寸廻りもあらんか、樹の高さ凡そ二丈余り、葉のかたち尋常に在らず。(中略)枝ぶり又天然なり云々」
ラカンマキの大木は都内でも極めて少ないものです。樹高は10メートル余り、幹周りは約3メートルほどで、樹齢は400〜450年といわれています。
金蓮院は永正年間(1504−1520)の創立で旧門末30余ケ寺、朱印地10石を持った本寺格の寺院です」
ふえ〜。今はそんなに大きなお寺には見えない(失礼)けども。
実はこの記事を書くにあたり「幕府発行の江戸時代の寺社の朱印状に書いてある安堵された石高を見比べたら、当時の寺社の格というか大きさが分かるかも?当時は信者も多かったのに、今では凋落してるとか面白そうだなあ〜」と閃きました。でも調べるのは嫌。私日本史って高校でも選択してなかったし知識が足りないんだよね。時短したいので単純に寺社を見比べる『知行目録』ってないのかな?とWEB検索したら〜〜!!
なかった!嫌ね、大名や旗本に発行された朱印状は見比べたのがあったんだけどね。寺社のものはなかった〜。神社仏閣めぐりをしたら、大概説明板に『うちの朱印は⚫️石でした』と主張してるし、宝物殿に朱印状の本物(朱印状は将軍が変わる度に発行されると出てました。だから宝物殿に朱印状が何枚も並んでる訳がわかった)を展示してるのに。金蓮院さんの石高が二ケタだったので、ついつい気になったのですが。わからんものは仕方ないなあ。

本殿に参拝。「境内を撮影させていただきありがとうございます」と感謝を伝える。あ。本殿の軒丸瓦に三つ葉葵の御紋が並んでます。
あ。説明板発見:金蓮院のしおり
名称:真言宗豊山派法護山金剛宝寺金蓮密院
御本尊:大日如来
伝承:今(平成3)から1186年前の昔(805年)、弘法大師が唐の都長安で青龍寺の恵果和尚から密教の一切を伝授されて帰国。日本で真言教を開かれました。
総本山:大和の長谷寺
開山の年月日不詳。開祖賢秀和尚天正13年(1585)入寂。伝甲州武田家の家臣

境内には葛飾区の保護木のプレートがかかるクスノキもありました。
時刻は13時48分。先を急がねばっ。
おまけ:巨木の本によりますと、金蓮院のラカンマキは植物学上はイヌマキです。葉は細長く、長さ10センチで幅0、8〜1センチ。葉の裏は淡い緑色です。
イヌマキは房総半島の太平洋沿岸を東限とし、神奈川県以南の海岸に多く分布しますが、東京にはありません。
植物学上のイヌマキの中国名は羅漢松。
江戸時代にイヌマキ(犬槇)の中国名が羅漢松であることを知って、犬槇に羅漢槇の名を充てたことは十分に想像出来ます。
植物学上の「ラカンマキ」はイヌマキの変種で、樹高は5メートルと低く、葉は上を向き、葉の長さ0、4〜8、8センチで細く短く、葉の裏は白色がかっています。
日本では和名において学名は一つという規定がないので、名前と実物が合わない混乱が起きてます。」
とありました。巨木散歩してると植物にも詳しくなりますね。にしても最近真言宗豊山派のお寺とご縁があるなあ。
ちなみに、イヌマキならもっと大きいのを見たのを思い出す。確か小田原城の巨木探訪で〜?
巨木探訪・小田原城跡のイヌマキ こちらのイヌマキは樹高20メートル、樹齢約520年以上でした。
さて、次は京成でなくJR金町駅を目指す。次の移動先は東京メトロ千代田線西日暮里駅なのだ。急がねばっ。
13時58分、もう少しで金町駅という所で通りに食べ物屋が並びだす。

あれ?日高屋の店先にメニューが2つぶら下がってる。けど、日本語じゃなかった。一つは簡体字の中国人用メニュー。も一つはなんとベトナム人用メニューだった。

さて、JR金町駅に到着。あれこれスタンプ各種ゲットして、ホームへ。
ん?行き先が「成城学園前」になってる。あれ?綾瀬駅で東京メトロに乗り換えるんじゃなくて、同じ線路を使って東京メトロに乗り入れ、そのまま小田急線に入る仕組みなのか〜。便利だっ!
西日暮里駅到着。改札でパスモと小田急東京メトロパスを見せる。「パスモで金町から綾瀬まで。で、綾瀬から西日暮里は小田急東京メトロパスを使いたいんですけど〜」と申告したら、差額の154円支払いのみでOKでした。
さて、ここからは5月の根津神社つつじまつりで配布してた「根津権現かいわい 浪漫ちっくマップ」が頼りです。
線路沿いを緩やかな坂道を登る。

見えてきたのは立派な石垣でした。ここどこだろ??