2019年3月9日は再びの東京メトロ1日券で行く巨木探訪です。2019年2月24日の巨木散歩が樹齢600年の谷中の王林寺さんのシイノキを発見出来ず終了したのが悔しくてですね。3月9日もしくは10日は、高尾梅郷の梅まつりと小仏バス停近くの寳珠寺さんの巨樹を見に行こうと計画してたけどパス!小田急東京メトロパスを購入し、溜池山王に9時過ぎに到着です。
実は巨木探訪を始めた最初の方で、都内大イチョウ散歩をやりました。その時、山王日枝神社さんの大イチョウも巡ったのです。
山王日枝神社の大イチョウ??(2017年12月14日)の記事
でもこの時は肝心の大イチョウを見つけきれず。巫女さんに教えていただいたイチョウは大イチョウには思えず、もやもやが残りました。
時は過ぎ、ある時YAHOO!で「山王日枝神社 大イチョウ」を検索ワードで入力したらですね。大イチョウを見つけきれなかったこの時の記事が検索トップになっていたのです!
ああいうの、青天の霹靂っていうのでしょうか?びっくらです。
自分の記事が検索トップになるのは嬉しいっ。だがしかし。目的のイチョウの木を見つけられなかった記事ですよ?それが〜〜。痛恨の極み!知ったからにはそのままにしとけない!と。今回再訪です。
ちなみに肝心の大イチョウの所在地ですが、山王日枝神社さんの境内図には載ってません!WEBの海をさまよいまして、先達の巨木サイトを巡回し、場所を特定しました。発見した所在地は、まさかの参道の男坂!しかも山王鳥居の隣!!という〜〜〜〜〜。とっても分かり易い場所でした。
古来、神社仏閣には仕掛けがある。時の権力者が神社仏閣を作る時には、参拝者に驚きと感動を与えるべく作られています。現在を生きる私達が古来の仕掛けを実感するには、古い参道から神社仏閣にお邪魔するに限ります。山王日枝神社さんが小高い丘の上にあるので、参拝者が楽に参拝できるように用意された赤坂側のエスカレーターで訪れてはイカンのですよ。そんなん当たり前やんか!もう〜〜〜〜〜!!と、過去の私を叱ってみました。
溜池山王駅の5番出口かた地上へ出ると、衆議院議院会館の側だった。あちこちに警官が出てて警備していた。巨木の気配がない!本当にあるのかな?疑いつつ参道へ向かう。
ありました!!トップ画像をご覧ください。道路の極に立ってます。
いつものハイライト代わりのダンナ。十分巨木!ただ、根元ギリギリまでアスファルトに覆われて窮屈そうです。
巨木のためにはもうちょっと余裕が欲しいです。
せっかくなので山王日枝神社さんへ参拝しようと、男坂を登る。
振り向くと、男坂の石段が急なためか、イチョウの大きさが感じられない。
ちなみに、探しましたが大イチョウの近くに説明板がありません。所在を探した時に巨樹巡りの先達のWEBには1991年現在、樹高20メートル、幹周り4、7メートル。推定樹齢200〜299年と掲載されてました。
ちなみに、上の階段から見下ろした画像。奥に建っているのはアパホテルです。画像を見るとわかるのですが、アパホテルは巨樹の東にあります。で、西側が小高い丘になってます。1日のうち、どれだけ日が当たるのだろうか?大イチョウの生育には厳しそうだなあ。
説明板発見:日枝神社 旧官幣大社 通称山王さま
主催神:大山咋神 相殿神:国常立神 伊弉冉神 足仲彦尊
御祭神大山咋神は須佐之男神の御孫神で山末之大主神とも称えられ、山水を司り、万物の生成発展を守護する神である。
日枝神社の歴史は鎌倉初期、秩父重継が江戸神主を名乗り居館に山王社を勧請したことに始まる。
文明年間には太田道灌が江戸築城にあたり川越山王社を再勧請し、更に徳川家康入府以降、城内鎮守の神、将軍家の産土神と崇められ、紅葉山から麹町を経て萬治2年当地に移遷された。
明治維新の東京遷都によって江戸城は皇居となり、日枝神社は皇城鎮護の守りとして皇室の御崇敬珠に篤く、大正天皇御即位当日には官幣大社に封じられた」
参拝し、再び男坂の石段を降りる。
説明柱発見:山王男坂
山王男坂は日枝神社の表参道で、左側のゆるやかな坂”女坂”に対しその名が付けられています。2つの坂を比較して急な坂を男坂、ゆるやかな坂を女坂と呼ぶことは各地にみられます。
石段は53段、山王台地は又の名称を星が岡ともいう景勝の地でした。」
さて、気が済んだので、再び溜池山王駅へ向かう。
立ち並ぶビルの中に、ぽかりの日本家屋。ってか、これ、料理屋さん??背後にあるのは衆議院第一議院会館だと思うけども?ミスマッチな?でももしかしたら、議院会館やキャピトルホテルが建つ前からここにあった建物かもしれん。駅に戻り東京メトロ南北線に乗車。次は目黒駅へ向かいます。
実は巨木探訪を始めた最初の方で、都内大イチョウ散歩をやりました。その時、山王日枝神社さんの大イチョウも巡ったのです。
山王日枝神社の大イチョウ??(2017年12月14日)の記事
でもこの時は肝心の大イチョウを見つけきれず。巫女さんに教えていただいたイチョウは大イチョウには思えず、もやもやが残りました。
時は過ぎ、ある時YAHOO!で「山王日枝神社 大イチョウ」を検索ワードで入力したらですね。大イチョウを見つけきれなかったこの時の記事が検索トップになっていたのです!
ああいうの、青天の霹靂っていうのでしょうか?びっくらです。
自分の記事が検索トップになるのは嬉しいっ。だがしかし。目的のイチョウの木を見つけられなかった記事ですよ?それが〜〜。痛恨の極み!知ったからにはそのままにしとけない!と。今回再訪です。
ちなみに肝心の大イチョウの所在地ですが、山王日枝神社さんの境内図には載ってません!WEBの海をさまよいまして、先達の巨木サイトを巡回し、場所を特定しました。発見した所在地は、まさかの参道の男坂!しかも山王鳥居の隣!!という〜〜〜〜〜。とっても分かり易い場所でした。
古来、神社仏閣には仕掛けがある。時の権力者が神社仏閣を作る時には、参拝者に驚きと感動を与えるべく作られています。現在を生きる私達が古来の仕掛けを実感するには、古い参道から神社仏閣にお邪魔するに限ります。山王日枝神社さんが小高い丘の上にあるので、参拝者が楽に参拝できるように用意された赤坂側のエスカレーターで訪れてはイカンのですよ。そんなん当たり前やんか!もう〜〜〜〜〜!!と、過去の私を叱ってみました。
溜池山王駅の5番出口かた地上へ出ると、衆議院議院会館の側だった。あちこちに警官が出てて警備していた。巨木の気配がない!本当にあるのかな?疑いつつ参道へ向かう。
ありました!!トップ画像をご覧ください。道路の極に立ってます。
いつものハイライト代わりのダンナ。十分巨木!ただ、根元ギリギリまでアスファルトに覆われて窮屈そうです。
巨木のためにはもうちょっと余裕が欲しいです。
せっかくなので山王日枝神社さんへ参拝しようと、男坂を登る。
振り向くと、男坂の石段が急なためか、イチョウの大きさが感じられない。
ちなみに、探しましたが大イチョウの近くに説明板がありません。所在を探した時に巨樹巡りの先達のWEBには1991年現在、樹高20メートル、幹周り4、7メートル。推定樹齢200〜299年と掲載されてました。
ちなみに、上の階段から見下ろした画像。奥に建っているのはアパホテルです。画像を見るとわかるのですが、アパホテルは巨樹の東にあります。で、西側が小高い丘になってます。1日のうち、どれだけ日が当たるのだろうか?大イチョウの生育には厳しそうだなあ。
説明板発見:日枝神社 旧官幣大社 通称山王さま
主催神:大山咋神 相殿神:国常立神 伊弉冉神 足仲彦尊
御祭神大山咋神は須佐之男神の御孫神で山末之大主神とも称えられ、山水を司り、万物の生成発展を守護する神である。
日枝神社の歴史は鎌倉初期、秩父重継が江戸神主を名乗り居館に山王社を勧請したことに始まる。
文明年間には太田道灌が江戸築城にあたり川越山王社を再勧請し、更に徳川家康入府以降、城内鎮守の神、将軍家の産土神と崇められ、紅葉山から麹町を経て萬治2年当地に移遷された。
明治維新の東京遷都によって江戸城は皇居となり、日枝神社は皇城鎮護の守りとして皇室の御崇敬珠に篤く、大正天皇御即位当日には官幣大社に封じられた」
参拝し、再び男坂の石段を降りる。
説明柱発見:山王男坂
山王男坂は日枝神社の表参道で、左側のゆるやかな坂”女坂”に対しその名が付けられています。2つの坂を比較して急な坂を男坂、ゆるやかな坂を女坂と呼ぶことは各地にみられます。
石段は53段、山王台地は又の名称を星が岡ともいう景勝の地でした。」
さて、気が済んだので、再び溜池山王駅へ向かう。
立ち並ぶビルの中に、ぽかりの日本家屋。ってか、これ、料理屋さん??背後にあるのは衆議院第一議院会館だと思うけども?ミスマッチな?でももしかしたら、議院会館やキャピトルホテルが建つ前からここにあった建物かもしれん。駅に戻り東京メトロ南北線に乗車。次は目黒駅へ向かいます。