あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

麻溝公園のツルあじさいとイワガラミ

2019年06月07日 18時22分38秒 | 相模原・座間・大和市
2019.6.4午前現在の様子です。
先日、コメントで麻溝公園の蔓あじさいとイワガラミの開花状況の質問をいただきました。それが頭にあったので、2つをコラボできないかな?と試してみた。

ムズい。ってか、私のガラパゴス携帯では、望遠撮影がほとんどできないので、構図をこだわって撮影とかムリ。そうそうに諦めました。
開花情報にはなるかと思います。
画像を目を皿にして拡大していくと、木の梢の方までイワガラミが巻きついて咲いてます。
これがガラパゴス携帯の望遠の限界〜。
ちなみに、名札には「イワガラミとは、装飾花の花弁が一枚で独特。樹木に吸着して広がることから名がついた。」とありました。
ツルアジサイは、装飾花。両性花ともに白。ガク咲き。ツル性で木や岩にはい上がり定着する。日本各地の山の他、樺太、朝鮮、台湾にも分布する」となってました。
相当頭の上で咲いてるので、ツルアジサイもイワガラミも美しく撮影したいならば、望遠レンズが必要っぽい。
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東京国立博物館の庭は、元は寛永寺の庭です

2019年06月07日 17時31分36秒 | レトロ建築
トーハクの庭は非公開。けど春と秋の期間限定で一般公開しています。
いただいた庭園散策マップによりますと、「東京国立博物館の敷地は、もとは寛永寺の境内でした。現在の本館が立っているところが寛永寺の本坊にあたり、本館北側に広がる庭園は寛永寺の庭であったと考えられます。ただし、庭は何度も改修を重ねており、5棟の茶室なども移設されたので、当時の面影を残しているのは、本館東側の築山と中央の庭のごく一部、そして庭の一角の古い墓石のみです」
では早速お庭を拝見。
まずトップ画像。
大燈籠:
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麻溝公園のあじさい順路2019.6.4午前

2019年06月07日 17時29分56秒 | 相模原公園と麻溝公園
2019.6.4、朝一に接骨院へ。その足で、麻溝公園のフィールドアスレチック場のあじさい順路→相模原公園の花しょうぶ→ぎおんスタジアムでウォーキング&あじさい→麻溝公園の山あじさいを計2時間見物しました。先日この時の記事を3本あげましたが、今日の記事は麻溝公園のフィールドアスレチック場のあじさい順路とその外周のクレマチス(公園を外から)です。
一気に記事投稿したかったのですが、間が空いてしまった。ごめんなさい。
ちなみに、画像を見ればわかりますが、あじさいはすでに見頃に入りつつあります。
画像増量で。
七段花(シチダンカ):装飾花は八重で先が細く星型をしている。江戸時代から知られていたが昭和34年六甲山で発見されるまで幻のあじさいと言われていた。
グリーンタワーからアスレチックし場外周のあじさい順路に入ると、最初にあるのがこの七段花の群落。山あじさい系で見頃の最盛期です。

何か、今年は色づきがいいなあ?
もしかして、肥料の加減が良かったのか?見物するものとしては嬉しいかぎり。
そして、葉っぱも虫食いされてない〜。嬉しい〜。

フィールドアスレチック場のあじさい順路の山あじさいは、既に見頃です。
ここは木が多いから、木陰も多い。山あじさいにはいい環境で、毎年いい画像をゲットできてます。
柏葉あじさい系が数種類まとまって見頃です。これはスノーフレークかな?フォトジェニックな種類だわ。
大きさがわかるかな?トップ画像もここで撮影しました。
この日は6月4日(ムシの日)なので、見かけた昆虫も意識してあれこれ撮影しましたが、撮影はガラパゴス携帯を使用してたので、ピンボケ画像を増産してしまいました。ほら、昆虫って動くからさ〜。木漏れ日の光量ではちと難しかったよ。
はい。ここでフィールドアスレチック場のあじさい順路の終点で、一旦駐車場入り口のあじさい越しでグリーンタワーを撮影。この後、公園の外周のフェンス越しのあじさい見物をしようとしたのですが、今年はフェンスに絡まってるクレマチスがまだまだ元気。クレマチスの撮影を楽しみました。


外のフェンス越しに撮影した柏葉あじさい。



葉っぱに特徴が。

フィールドアスレチック場のあじさい順路を楽しんだ後は、水道みちを抜けて相模原公園の花菖蒲田の見物へ。
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観音寺のクスノキ

2019年06月07日 05時25分25秒 | 香川の巨木と神社仏閣

2019.5.5本山寺と琴弾周辺の巨木さんぽその7

琴弾公園にある根上がり松のすぐ近くに四国八十八ケ所霊場の68番神恵院と69番観音寺札所が並んでます。なぜに2つの札所がぶっちゃけ同じ境内にあるのか?といえば、明治の神仏分離令で、観音寺に神恵院を移動してきたから。よってお寺の歴史もぶっちゃけ琴弾八幡宮と同じです。歴史を見ると流れがわかります。
琴弾八幡宮は、日証上人が海の彼方から漂着した船から琴の音が聞こえ、八幡大菩薩が降臨。船と琴を山頂に引き上げ琴弾八幡宮を祀り、神宮寺を建立して、神仏習合の霊地となった。
時は流れ平安時代、唐より帰朝した弘法大師が大同2年(807)に来て第7代住職となる。薬師如来・十二神将・聖観世音菩薩・四天王などを刻み、七堂伽藍を建立。真言密教の道場となる。山号を七宝山、寺号を観音寺と改め、琴弾八幡宮の別当として神恵院をあてられた。
やがて四国八十八ケ所の霊場が形成。琴弾き八幡宮が第68番札所。観音寺が第69番札所として参詣され、一山に二霊場の形態となる。
その後、明治維新となり神仏分離令が布告され、琴弾八幡宮は四国霊場から切り離されることになった。八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀如来は国の重要文化財観音寺金堂に移り、別当であった神恵院が第68番札所となった。
地元に住みながら詳しいことは知らなかったよ。
 


社紋かな?あんまり見たことないけど面白い。石段を上がる。母にも「お出でよ」と声をかけた。なぜならここに中学の時母に連れてきてもらった思い出があったから。
それがたまたま目的の巨木に重なるのは面白い。
あれ?何か、記憶の中の木と違うんですけど〜??
観察して気づく。大枝が折れていた。
うわ〜、マジかぁ〜。
実はね、中学生だったある日のこと、美術の先生に何人かの生徒と共にここに連れてこられたのだ。何かしら?と思えば、「境内でスケッチしなさい」と。今ならあちこちからツッコミが入りそうな怠惰な先生だったなあ。しかもこのスケッチ大会は先生の思いつきでなく、どうも一円の学校対抗写生大会で、後々発表せねばならんかったのです。そんなこととはつゆ知らず、スケッチという名のお絵描きは大好きだった私は、巨木のクスノキを手前に、奥に重要文化財の観音寺の金堂を据えてお絵描きしました。時間内に完成しませんでした。自分は描けて満足してたのに、数日後に怠惰な美術の先生に呼び出され「仕上げて提出しろ」と指令があったんです。ンなこと言われても、もう覚えてない。素直な私は困ってしまい、母に頼んで車でもう一度見に来たんですよ。
で、無事に絵を仕上げて提出したのですが、無理を言うだけ言って私の絵をなんかの大会に出しやがったのに、それを見に行った母いわく「あんな、あんたの名前違とったわ」と。
そう美術教師に「怠惰な」とつけてるのは、無茶ぶりしやがった上、私の名前すら覚えてなく、しかも名前を覚えてないから絵を返却しなかったんだ!と知ったのは卒業後です。ガッテムでしょう?ちなみに無茶振りして描仕上げさせられた私の絵は高評価でした。ちゃんと金賞だったからね。てっきり金賞とったから返却してくれないんだと、当時の清らかな心を持ってた中学生時代ですね。
で、2度目は短時間で一気に記憶して帰宅して一気に仕上げたので、巨木のクスノキの枝ぶりもバッチリ記憶に残ってました。
全然違う〜。悲しい〜。まあもう数十年前のことになるので、巨木といえども樹形がかわっちゃったんだろうねえ。
巨木サイトによりますと、観音寺のクスノキ:樹高:15メートル、目通り幹囲:6、6メートル 推定樹齢:伝承1000年とあります。目通り幹囲というのは、地面から1、2メートルで幹の周りを計測した数値のこと。けどもこのクスノキは根元が異様に膨らんでます。
すごいでしょ?
別角度から。
もう1枚角度を変えて。
巨木サイトによりますと、「目通りは6メートル台でも、地表あたりではゆうに10メートルのクスノキを思わせる」と書かれてました。いや〜、折れた大枝の形は覚えてたけど、膨らんだ根元は全く覚えてなかったよ。あれね。構図に入れてなかった模様です。
ベンチで母とあの時の話をして大満足で観音寺さんを後に。
帰り道は行きと違う道で〜と母が三架橋を通ってくれた。これもアニメ『結城友奈は勇者である』に繰り返し登場していたなあ。
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