![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/78/05f7e39e6623e67b7abb8e0909ca8e8f.jpg)
2018.3.11訪問。湯河原梅林こと幕山公園で観梅を堪能して公園から出てる臨時バスで湯河原駅へ戻ったら既に14時49分になっていた。予定より時間が遅くなってしまったけども、いざ!巨木探訪開始です。
駅前の細い道を東へ。東海道線をくぐると上り坂をしばし。すぐに城願寺参道の石柱があるので西の脇道へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/17/bd34c6cb8df4b2d51f01cb8a785d7813.jpg)
急な石段の先に山門。その奥に目的のビャクシンの大きな姿があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3b/35ab48c7e8e2a1e748a05946faf73ccd.jpg)
見とれるビャクシンの姿です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/6f/20eddd8d20969b84b38021a2cfd32b15.jpg)
城願寺のビャクシン
樹高:20メートル
幹回り:6メートル
推定樹齢800年(推定)
指定:国指定天然記念物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/47/c0fd7550cc9f23088c9bf40608bf0f30.jpg)
独特の幹のねじればすばらしい。
巨樹・巨木の本には「幹がねじれて古木らしい風貌の大きなビャクシンが立っていた。主幹はゆるく右に巻きながら直上し、何本かの大枝をのばしている。樹勢は盛んで、小枝もよく発達し、うっそうと茂る姿は堂々たるものである」とあります。
ちなみに、神奈川の名木百選にも選ばれてます。土肥実平お手植えの木だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e7/6e8456d28d743296cad9fc3a6475d7ca.jpg)
ちなみにこちらは願寺の絵馬です。ビャクシン一押しね。ビャクシンの左に描かれているのは七騎堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/12/6f8c6195909869c811f3296965c04d12.jpg)
説明板発見:七騎堂
境内の七騎堂には、石橋山の合戦での敗戦後、源頼朝を追手の平家方から守り通した土肥実平等の木像が収められています。しかし、終始行動を共にしていた実平の長男遠平は伊豆山近くまで来ていた頼朝の妻政子に、頼朝の消息を伝えに行っていたのえ、七騎には含まれていません。このことは謡の「七騎落ち」では史劇的創作となっています。」
ちなみにそばにはこんな石も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/95/2e6417f295029c45c844b932b484e74a.jpg)
城願寺は鎌倉幕府創設の源頼朝を助けた土肥次郎実平等一族の菩提寺です。
背後の城山は35−30万年前に活動した箱根火山外輪山を構成する湯河原火山の噴出物で、その溶岩を採掘した文献に残る箱根火山最古の丁場がこの付近にありました。境内にある土肥一族墓所の墓石は、この外輪山溶岩の他、中央火口丘溶岩も使われているようです。
800年以上前にこの地の豪族、土肥実平が荒れ果てていた密教の寺院を一族の持仏寺とし、萬年山成願寺として再建しました。その後、室町時代初期に臨済宗として再興、更に15世紀曹洞宗の寺院として重興開山となり、城願寺と改名し、現在にいたっています」
説明板を読んで、土肥一族の墓を見に行くことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/46/e78ba0b3fd06f6fa5ed5b063f4aff09c.jpg)
説明板発見:土肥一族の墓
城願寺本堂左方には、66基の墓石があり、土肥次郎実平一族の墓所となっています。正面五輪塔が実平、左が夫人で右が長男の遠平の墓と伝えられています。
土肥一読の墓所には嘉元2年(1304)7月の銘のある五層の鎌倉様式の重層塔や、永和元年(1375)6月の銘のある宝篋印塔をはじめ、塔身が球形をした五輪塔などの各種の墓型がそろっています。
このように一つの墓所でさまざまな墓型がみられるのは、関東地方では珍しく、神奈川県の指定文化財になっいます」
ちょっと見どこにでもある古い墓石にしか見えん。けども、これ、箱根の外輪山の溶岩製か〜。どこにでもない石なのか?画像では大きさがわかりませんが、五輪塔は小さめです。
さてと?次へと参道を振り返る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d2/f13a3effe3ca8769afa99809266cac14.jpg)
画像奥の巨木がビャクシン。木の右に参道の石段がある。画像をよく見ると奥に太平洋がちらりと見えてます。時刻は早くも15時16分。次は五所神社なんだけども、参道からすぐそこに大きな木が見えてるの?あそこは??地図を確認すると、産土八幡らしい。見にいってみよう!
湯河原駅の広場にトップ画像の立像がある。像の脇に説明文
「由来:土肥実平公は中世日本市場に活躍した郷土の武将である。
治承4年(1180)、源頼朝公伊豆に興るや、いち早くこれを援け、石橋山合戦のは、土肥杉山にその危急を救い、鎌倉幕府草創に当たっては、軍監・追捕使・宿老として多くの功績を残した。
公はまた、領民を慰撫し、その敬慕を受けたことは、全国詰所に残る墳墓、伝説がこれを物語っている。
公の夫人は、尼や農民に姿を変えて敵を欺き、杉山に潜む頼朝主従に食糧を運び、消息を伝えるなど、その”心さかさかしき”(源平盛衰記)は、武人の妻の鏡として後世にまでたたえられている。
ここに、源頼朝旗揚げより800年を迎え、土肥会創設50周年を併せ、記念として公並びに夫人の遺徳を後人に伝えんため、土肥実平公銅像建立実行委員会を結成し、町内外融資の協賛を得て、この館跡、御庭平の地にこの銅像を建立したものである。」とありました。
歴史チェックしたいなら湯河原と土肥一族はセットで歩くといいかも?
今年の桜はパッと咲いてパッと散ってしまいました。具体的には2018年3月25日〜3月31日マデ。桜散歩で撮影した画像を使いフォトチャンネルを作成しました。よかったらご覧下さい。
桜めぐり2018
駅前の細い道を東へ。東海道線をくぐると上り坂をしばし。すぐに城願寺参道の石柱があるので西の脇道へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/17/bd34c6cb8df4b2d51f01cb8a785d7813.jpg)
急な石段の先に山門。その奥に目的のビャクシンの大きな姿があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3b/35ab48c7e8e2a1e748a05946faf73ccd.jpg)
見とれるビャクシンの姿です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/6f/20eddd8d20969b84b38021a2cfd32b15.jpg)
城願寺のビャクシン
樹高:20メートル
幹回り:6メートル
推定樹齢800年(推定)
指定:国指定天然記念物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/47/c0fd7550cc9f23088c9bf40608bf0f30.jpg)
独特の幹のねじればすばらしい。
巨樹・巨木の本には「幹がねじれて古木らしい風貌の大きなビャクシンが立っていた。主幹はゆるく右に巻きながら直上し、何本かの大枝をのばしている。樹勢は盛んで、小枝もよく発達し、うっそうと茂る姿は堂々たるものである」とあります。
ちなみに、神奈川の名木百選にも選ばれてます。土肥実平お手植えの木だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e7/6e8456d28d743296cad9fc3a6475d7ca.jpg)
ちなみにこちらは願寺の絵馬です。ビャクシン一押しね。ビャクシンの左に描かれているのは七騎堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/12/6f8c6195909869c811f3296965c04d12.jpg)
説明板発見:七騎堂
境内の七騎堂には、石橋山の合戦での敗戦後、源頼朝を追手の平家方から守り通した土肥実平等の木像が収められています。しかし、終始行動を共にしていた実平の長男遠平は伊豆山近くまで来ていた頼朝の妻政子に、頼朝の消息を伝えに行っていたのえ、七騎には含まれていません。このことは謡の「七騎落ち」では史劇的創作となっています。」
ちなみにそばにはこんな石も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/95/2e6417f295029c45c844b932b484e74a.jpg)
城願寺は鎌倉幕府創設の源頼朝を助けた土肥次郎実平等一族の菩提寺です。
背後の城山は35−30万年前に活動した箱根火山外輪山を構成する湯河原火山の噴出物で、その溶岩を採掘した文献に残る箱根火山最古の丁場がこの付近にありました。境内にある土肥一族墓所の墓石は、この外輪山溶岩の他、中央火口丘溶岩も使われているようです。
800年以上前にこの地の豪族、土肥実平が荒れ果てていた密教の寺院を一族の持仏寺とし、萬年山成願寺として再建しました。その後、室町時代初期に臨済宗として再興、更に15世紀曹洞宗の寺院として重興開山となり、城願寺と改名し、現在にいたっています」
説明板を読んで、土肥一族の墓を見に行くことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/46/e78ba0b3fd06f6fa5ed5b063f4aff09c.jpg)
説明板発見:土肥一族の墓
城願寺本堂左方には、66基の墓石があり、土肥次郎実平一族の墓所となっています。正面五輪塔が実平、左が夫人で右が長男の遠平の墓と伝えられています。
土肥一読の墓所には嘉元2年(1304)7月の銘のある五層の鎌倉様式の重層塔や、永和元年(1375)6月の銘のある宝篋印塔をはじめ、塔身が球形をした五輪塔などの各種の墓型がそろっています。
このように一つの墓所でさまざまな墓型がみられるのは、関東地方では珍しく、神奈川県の指定文化財になっいます」
ちょっと見どこにでもある古い墓石にしか見えん。けども、これ、箱根の外輪山の溶岩製か〜。どこにでもない石なのか?画像では大きさがわかりませんが、五輪塔は小さめです。
さてと?次へと参道を振り返る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d2/f13a3effe3ca8769afa99809266cac14.jpg)
画像奥の巨木がビャクシン。木の右に参道の石段がある。画像をよく見ると奥に太平洋がちらりと見えてます。時刻は早くも15時16分。次は五所神社なんだけども、参道からすぐそこに大きな木が見えてるの?あそこは??地図を確認すると、産土八幡らしい。見にいってみよう!
湯河原駅の広場にトップ画像の立像がある。像の脇に説明文
「由来:土肥実平公は中世日本市場に活躍した郷土の武将である。
治承4年(1180)、源頼朝公伊豆に興るや、いち早くこれを援け、石橋山合戦のは、土肥杉山にその危急を救い、鎌倉幕府草創に当たっては、軍監・追捕使・宿老として多くの功績を残した。
公はまた、領民を慰撫し、その敬慕を受けたことは、全国詰所に残る墳墓、伝説がこれを物語っている。
公の夫人は、尼や農民に姿を変えて敵を欺き、杉山に潜む頼朝主従に食糧を運び、消息を伝えるなど、その”心さかさかしき”(源平盛衰記)は、武人の妻の鏡として後世にまでたたえられている。
ここに、源頼朝旗揚げより800年を迎え、土肥会創設50周年を併せ、記念として公並びに夫人の遺徳を後人に伝えんため、土肥実平公銅像建立実行委員会を結成し、町内外融資の協賛を得て、この館跡、御庭平の地にこの銅像を建立したものである。」とありました。
歴史チェックしたいなら湯河原と土肥一族はセットで歩くといいかも?
今年の桜はパッと咲いてパッと散ってしまいました。具体的には2018年3月25日〜3月31日マデ。桜散歩で撮影した画像を使いフォトチャンネルを作成しました。よかったらご覧下さい。
桜めぐり2018
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