あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

高遠小彼岸桜

2010年04月07日 05時43分08秒 | 新宿御苑
高遠小彼岸桜って聞いたことあります?
花見の名所ですよね。
あの桜が新宿御苑にもあります。
尤も、私が訪問した3月30日には既に満開…いや、散り初めだったので既に葉桜になっちゃってるかも?
高遠小彼岸桜があるのは、御苑のルーツ。江戸時代に完成した内藤家の庭園「玉川園」です。

この画像が場所を把握しやすいかも?写ってる水面は、玉藻池です。

ソメイヨシノに先駆けて、今年始めての桜の満開を仰ぎ見る。

…やっぱ、青空バックの桜っていいなあ…。(しみじみ~)
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横浜緋桜

2010年04月07日 05時20分05秒 | 新宿御苑
珍しい桜なのに、撮影をしくじった~。
悔しい~。悲しい~。
携帯電話で撮影してるんだから、どうかな~?と思ったらその場で確認しろよ~私~~!!

横浜緋桜は大木の多い新宿御苑では新参モノ。まだ細い若木です。

場所は大木戸門から入ってすぐ右。散策路ぞい。
…でもアレですね。真上に上を向くとちょっとくらくらしますよね。
え?私だけ?
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ぼたもち寺って?

2010年04月07日 05時17分19秒 | 記念スタンプ
妙法寺の山門の横にある細い路を少し行くと常栄寺に着く。
常栄寺の別名はぼたもち寺という。
由来はコレ。

日蓮さんは過激な布教活動で遂に幕府に捕えられ、江ノ島の入口にある龍の口という場所で処刑されることになりました。そこへ連れてかれる日蓮さんに、老婆がぼたもちを差し出したとか。
でも日蓮さんが処刑されることはありませんでした。首が繋がったのです。そして老婆の差し出したぼたもちは首つなぎのぼたもちと云われるようになりました…。

ここは決して大きなお寺ではありませんが、短い参道にはいつ訪れても花が迎えてくれます。女性にはおすすめの寺だと思う。
と、機嫌良く写真を撮って回ってたら、ダンナがリュックサックからお昼用に持って来たパンにかじりついてました!
な、ななな何やっとんじゃ~~。
こんな次々に参拝者がやって来る場所でっ!しかも!!狭い場所で!!!
つーか、お寺は普通飲食は禁止じゃ~~~~!!
「ごはんは海を見ながらを予定してます。もう少し行ったら海なんで、ちょっと我慢しような」
「ハイ」
と。
ちと情けない会話をして海の方向へ南下した私達。
ちなみに、ここで新しくスタンプを採取しました。

それがコレ!スタンプサイズはタテ×ヨコ=5×5センチ。
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日蓮宗の妙本寺

2010年04月06日 05時23分42秒 | 鎌倉
このお寺も今までにも何度か記事にしてる場所なのですが、ダンナに紹介したかったので立寄りました。
というのも、去年の秋松戸市の本土寺に行きまして、ダンナが単独で池上本門寺にも行って来たって言うので、ならば日蓮宗の三長三本の最後の一つ。長興山妙本寺にも行かねば~と思いまして…。

トップ画像ですが「南無妙法蓮華経」とあります。だから「妙法寺」って名前のお寺がやたら多いんだと納得。
これ、日蓮宗の中でキーワードなんですね。今頃知りました。私。

さて訪問したのは3月22日。既に桜がほころんでいました。
ところで、間違えやすいのですが、正面に見えるのは本殿ではありません。ここは祖師堂です。
本殿はこちら。

妙本寺には春が訪れてました。いくつか紹介。
 
カイドウです。
ちなみにこのカイドウの前で女性を巡って対立した中原中也と小林秀雄は和解したそうで。

桜です。

モミジの新芽です。

スミレです。

妙本寺の見取り図発見!
う~ン??
これって…。

前々から場所がわからなくてた蛇苦止堂発見!
妙本寺は源頼朝に仕えていた比企一族が滅亡した場所です。頼朝派だったので、北条氏に嫌われてしまったのです。なのでそもそも妙本寺は比企一族を弔うために作られたんだね。
もう少し詳しい経緯を書きますと、源頼朝は比企一族、比企能員の義母「比企禅尼」を乳母としていたんですね。で、頼朝が伊豆配流時代には彼女からの援助を受けていました。だから彼女の養子である比企能員を特別扱いしてたのです。
で、鎌倉二代将軍となる源頼家はこの地で誕生してます。頼家は能員の妻を乳母とし、能員の娘を側室としてます。となればわかりますね。頼家くんは母の北条政子や北条氏より比企一族の方を頼りにしてました。
さて、ご存知の通り鎌倉2代将軍頼家くんの治世はとても短いんです。で、3代目には頼家くんの弟の実朝が就いてるのですが、ここで比企一族VS北条氏というのが表面化する訳だ。
で、北条氏は比企能員を騙して暗殺。一族は滅亡。というのが歴史上の一連の出来事です。
蛇苦止堂は、源頼家の側室、若狭の局が蛇苦止堂の井戸に身を投げて最後を遂げたのでした。
ちなみに頼家と若狭の局の子一幡(6才で死亡)の袖塚もここにあります。一幡は頼家の長男でした。頼家は一幡に家督を譲ろうとしましたが、比企の乱の時に北条方により刺し殺されてます。
何故にここにこだわったかと言うと、画像の奥にある大木はイチョウでして、イチョウの黄葉する時期は名所なんだって!見取り図ではわかりにくいけど、路地の突き当りにあります。
あ。
うっかりしてましたが、比企一族は日蓮宗の帰依してまして、日蓮亡き後日蓮宗をもり立てた日朗が妙本寺の住職を勤めています。なので、ここ妙本寺は日蓮宗でも最古の寺の一つということに。
………。
そういや、なんか本山とか大本山とか総本山って冠する寺がいくつもある気がする。
日蓮宗ってそういうものなの?
WIKIで調べました。
…日蓮宗ってそういうものらしいです。
へえ~。そうなんだ…。
なんか、水足して量増しをしたお酒みたい~
ハッ
いやいやいやいや
私、宗教批判はしませんから!
宗教怖い。宗教怖い怖い。
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陽光(ヨウコウ)桜

2010年04月06日 05時20分39秒 | 新宿御苑
新宿御苑はソメイヨシノだけじゃない。
桜の種類が多いのね。
訪れたのは3月30日。
その時、見頃だった桜を紹介します。
まずは陽光桜。
手前は別の桜です。ピンクが濃いのが陽光の特徴。

ほらね。
…派手だよね。この桜。

角度によっては色が変って写ります。これ…黄色が多いピンク。真下から見上げたらこうなった!

いい感じに目に美しいので、陽光を見ながら芝生に座ってお昼ごはんをいただくことに。
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新宿御苑の春

2010年04月06日 05時11分07秒 | 新宿御苑
丸の内線で後楽園から新宿御苑前に移動。
ハイ。スカイツリーを捨てて明治神宮を取りました。
が。
新宿御苑経由で。
花見散歩は楽しい~。なので、わくわく気分のおすそ分け。画像から私のワクワクが伝わると、嬉しいんだけどな。

訪れたのは3月30日。ここしばらくで唯一晴れた日です。
新宿門から入り、まずは右手の母と子の森へ。

トップ画像の下から白はユキヤナギ。黄色はチョウセンレンギョウ。右上はハチジョウキブシ。左上はヨウコウ(桜)。
上はヨウコウ(陽光)です。ヨウコウはピンク強め、ソメイヨシノに先駆けて咲きます。ちょうど見頃を迎えてました。

母と子の森を目指したのは、ラクウショウを見るため。
実は、去年の紅葉シーズンにここへ見に来たんですが、日没が早くもう暗くなっててはっきりと見えず残念だったのです。で、改めて明るい太陽の下のラクウショウを見たかったの~。
地面から面白い形に根が伸びてます。た、楽しい~。あそこに猫がいる。

母と子の森は、親子の自然観察フィールドでして、あちこちで親子連れが植物と戯れてます。

日本庭園に移動。ここではボケの花が見頃を迎えてました。

日本庭園には桜が点在してます。
でもまだつぼみは固く…。どうやら、遅咲きの桜が多いようです。(中には既に花が終ったものも)
新宿御苑の中央部は芝と桜が沢山あって、気の早い人々がお花見の宴を開いてました。

まだ花見には早いんですけどね。

この日の最高気温は実は10度くらいで、花冷えでしたが、気持ちのよい青空はごちそうだよ。
今年限定で。
なんか、今年の春はいつまでも寒い。冬物がまだ必要。これってかつてあった暦の閏月で3月だか2月だかが2度ある状態だったりして…。
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鎌倉の裏鬼門本覚寺

2010年04月05日 05時45分19秒 | 鎌倉
本覚寺は鎌倉駅から近い。
鎌倉幕府があった当時は重要な場所にあった。なにしろ、頼朝が幕府の守護とするべくお堂を建てている。
そして宗教学的には日蓮宗における重要な場所なのだ。
日蓮宗の総本山は山梨県にある身延山なんだけど、ここはそれに対し東身延と呼ばれている。日蓮さんが住んでたこともあるそうで。(日蓮さんがかつて住んだ場所って。鎌倉には結構あちこちにあるんだよ)

私は別に日蓮宗の宗徒ではないけれど、歴史都市鎌倉の観点から鎌倉を歩くと、日蓮宗は避けて通れないんだな。
このお寺も既に記事で書いたことがある
2009年3月6日の記事「本覚寺えびす堂」
ので、今回は別の視点から。

境内には綺麗に春の花が風情のある建物を彩って華を競ってました。
これはレンギョウと本堂。

シダレサクラと日蓮さんのお骨を納めたお堂。
日蓮さんは身延山から戻り、池上本門寺の隣の寺で入滅されてます。
が、お骨は分骨され、ここ本覚寺にも納められてます。お祈りしてる人はいないけどね。大概3月末にはサクラ。1月末には紅梅2009年3月6日の記事「本覚寺の紅梅」がお堂の周りに咲いて私達の目を楽しませてくれるんです。
私的にここのお気に入りは裏手の山門。

今でこそ段葛のある若宮大路が賑わってますが、かつては小町大路の方が賑わってたので、山門、本堂はこっちむきに作られてます。ちなみに、お土産通りは小町通りであって、小町大路とは別の道ですから。
続きまして滑川にかかる夷堂橋を越えて…。


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ピンクのしだれ桜

2010年04月05日 05時35分07秒 | しだれ桜
小石川後楽園にはしだれ桜が多い。
このしだれ桜は昨日紹介した2本とはまた別の。
特徴は、前出のしだれ桜より赤みがいくぶん強いのだ。

側に池(庭園ガイドによると「大堰川」と名付けられてます)があって、池に逆さ桜を映して楽しむことが出来ます。

惜しむらくは、ここの通路が狭くて、来客がどんどんやって来て、じっくり撮影を楽しむことは不可能。上の画像も赤い橋の下に川が流れてるんだけどね。人影が入ってしまって、下部を切った構図になりました。残念無念。

赤みの強いさくらは下品と感じる向きには、満開を迎えて数日経った頃訪れることをお薦めします。
ご存知の通り、桜は始めはピンクがかってても、咲いてるうちに白味が増してくるので。
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小石川後楽園には

2010年04月04日 18時22分36秒 | しだれ桜
前の記事で小石川後楽園の正面にある枝枝垂れ桜の勢いが衰えてきてるんじゃ…。という記事を書いたんですが、あの桜は別に御神木じゃないんで、枯れたら取り替えるのが普通なんじゃ~?と思い至りました。
で。
小石川後楽園にはしだれ桜が他にもいろいろあるんです。
なので。
しだれ桜その2を紹介。
まずは渡月橋の側にある薄い方のしだれ桜。

背後に見える左下の三角形は、小盧山です。

私は勝手にこの桜が正面でウエルカム出来る桜の次代になるんじゃないかと思ってます。
だって、ここは隣にもう1本しだれ桜があるので、1本消えてもあまりお庭の感じは変らないんじゃないかと思うのね。







どうだろう~?
にしても、今年の桜シーズン。あまりにお天気が悪過ぎません?
おとといなんか嵐だよっ!
4月1日も小田原で雨に降られ、今日も帰り道の3時過ぎにパラパラ来た!
しかも!!
天気予報はどっちもハズした。
昨日もハズした。
夜に雨が降って来た!天気予報は雨は降らないって言ってたのに…。
………。
もしかせんでも、3月30日の青空のお花見は実は貴重だったんじゃ…。
もしかして、今年のお花見の最初にして最後の青空かもしれん…。
関東地方限定で。
な・の・で!!
も少し、青空と桜の画像&記事をアップしておこう~。
現在、鎌倉散歩の掲載中です。途中にお花見散歩の記事を挟んでウザいと思われましたら、左のバーのカテゴリーの「鎌倉」をクリックして下さい。すっきり読めるハズ。
よろしく~。

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2010小石川後楽園しだれ桜

2010年04月04日 16時36分22秒 | しだれ桜
今日早起きして千鳥が淵と浅草へ桜を見に行って来ました。
が!
空模様の悪化で午後3時には帰宅したので、せっせと携帯のデーター整理やってます。
で!
さっそく小石川後楽園のしだれ桜を紹介。
これも前出の六義園のしだれ桜を見に行ったのと同じ3月30日撮影。











入ってすぐ、正面にある有名なしだれ桜を特集してみました
でもなあ…。
綺麗だよ?
それは見ればわかる。
でも…。
去年もてっぺんの右側の枝に花が咲いてなかったよね?
ちなみに去年の咲き具合はこちら
2009年4月1日「小石川後楽園のしだれ桜」です。
で。
今年は…。
更に花数が減ってるような~?
だって木の向こう側が見えるもん…。
このしだれ桜もそろそろ寿命かもしれん…。鎌倉の鶴岡八幡宮の御神木のように、ある日突然倒れるかも??
いちょうと違って、ダメージを追った桜って再生出来るのか??
いや。
その前になんか手を打った方がいいんじゃないのか??
小石川後楽園の人~。このしだれ桜、ピンチじゃないですかーーー!!
取りあえず、ブログで叫んでみた。
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鎌倉幕府所在地

2010年04月04日 05時20分12秒 | 鎌倉
鎌倉幕府の所在地。実は3カ所ある。初代は源頼朝が開いた大蔵幕府と呼ばれるもの。これは頼朝の墓の真下あたり。現在は小学校のある場所。ちなみに大蔵に幕府が置かれていたのは、1180(治承4年)から1225(嘉禄元年)まで頼朝の屋敷に置かれました。

今回行ったのは、2代目と3代目。
鶴岡八幡宮の裏手へ出てすぐ。
トップ画像の石碑が立っている場所。ここは若宮大路幕府跡です。
若宮大路幕府は順番でいけば3代目にして最後に幕府が移った場所。時代になおすと1236年(嘉禎2年)~1333年(元弘3年)の97年間幕府が所在していました。
執権の北条泰時が移設しました。ちなみに1333年は新田義貞の鎌倉攻めのあった時。これで鎌倉幕府は滅んだのです。

その隣には、現在鎌倉市が管理している大佛次郎茶寮(大佛次郎邸)がある。ここは春と秋に一般公開されてます。

プレートにも書かれてますが、鎌倉は関東大震災により壊滅的な被害を受けています。
なぜなら、ここは震源に近いんですよ。

図の通り、鎌倉と横浜震度7。何しろ関東大震災の震源は相模湾でしたから。
この時、鎌倉にあった寺院仏閣も大被害を受けまして、随分こぶりでチープ感の寺院ばかりな理由が判明しましたね。
大佛次郎邸はそんな鎌倉にあって、現存する数少ない震災前の建物です。黒塀で外からは全く見えないのが残念無念。

さて、ここの路地は細く車が入れません。でも人力車はやってくる~。鎌倉は観光地で、流行の人力車が行き交ってます。

観光客がやってこない路地には、懐古的なお屋敷が残ってます。古い建物探訪の好きな向きには鎌倉は最適だとわかります。まだまだ知られてない(ってゆーか、知らさない今も人が住んでいるお屋敷がわらわらとあるんだよ~)
さて、そんな路地を進むと3つ目の幕府跡が見えてきました。

宇都宮辻子幕府跡です。
鎌倉幕府が2番目に移った場所。年代にすれば1225年(嘉禄元年)~1236年(嘉禎2年)執権北条泰時が移設。
北条政子が亡くなると、源氏三代の政権は終りを告げた。北条泰時は心機一転のために幕府を移転して、京都より藤原頼経を4代将軍に迎えこの宇都宮辻子幕府で元服式を行った。
辻子とは大路を結ぶ小道の意味で、宇都宮辻子は西の若宮大路とその東側の小町大路を結ぶ小路です。
幕府はこの宇都宮辻子の北側にあったと考えられその範囲は東西南北約200メートルの敷地だったと推定。
上の画像の石碑の隣にある宇都宮稲荷は、かつて御所内にあったと伝えられている。また、北条泰時はこの御所の北側に隣接して屋敷をかまえている(以上鎌倉に行く時度々お世話になっている鎌倉★ブログより)
そしてここから一番近いのがここ。

日蓮上人辻説法跡です。

鎌倉時代の幕府の合った所から目と鼻の先にあります。言ってみれば、日蓮さんは国会議事堂の前で、世間的にまだ認められてない新興宗教の話を連日ぶちかましてた訳ですね。
…そりゃあ、法難に何度も会う訳だ。日蓮さんてば、自ら進んで法難に会うように持って言ってたんじゃないか?と勘ぐってしまう場所です。だってここの前の通りは小町大路と言って、かつての大通りにあるんだもん…。
さて移動。
着いたのは、かつての幕府の裏鬼門に当る東身延。本覚寺です。

一応地図で場所を把握してね。
2014年3月19日以下の文章を追加:
えっと~。幕府の所在地を今日のブログのメインに据えたからには、鎌倉幕府は1192(いいくに)作ろう~じゃなかった!ってのももちろんご存知ですよね?去年ダンナとしゃべってて、どうも噛み合ないな~??って思ったら、ダンナは1192作ろう~鎌倉幕府を信じてました!wikiによりますと、鎌倉幕府の成立年は、1180年。1183年。1185年。。1190年。1192年と諸説混在とありますが、2006年頃よりは1185年が採用されてます。では1185年に何があったか?というと、これが動乱の年でして、1185年3月24日に壇ノ浦の戦いに勝利。そこから平氏の残党の追討。11月28日、義経の追捕の為の名目で、守護・地頭の設置を京の朝廷に認めさせる。
12月、天下の草創の主張となってます。
んじゃあ。なぜにこの年この日より鎌倉幕府が始まった!と明確化されないのか?との疑問がありますよね?答えは簡単、どれも頼朝がその事象の場所に立ち会ってなかったから!です。だって、平氏の追討は、有名な一の谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦い。その全て頼朝は戦ってません。つーか、この時頼朝は鎌倉にいました。守護・地頭の設置も実際朝廷に認めさせたのは、北条時政の交渉です。この時も頼朝は鎌倉にいました。自分で戦わず。流れに乗ってったら鎌倉幕府が成立してたのです。だから、この年この日この場より鎌倉幕府が始まった!と決められないのです。って事は、テストに「鎌倉幕府が始まった年はいつか?」という設問は出ない。出せないのだよ。っと、ダンナの知識を修正しました。まあ、いつまでダンナが覚えてるか?謎ですが…。

先月(2014年2月末)、gooブログのアクセス解析が無料サービスで閲覧出来ました。どんなブログ記事がチェックされているか?も上位20位くらいまで確認出来たのです。更に検索キーワードも確認出来ました。と??鎌倉幕府所在地で検索してこの記事に辿りついている方に気付きました。ンで、あれ?「大蔵幕府の地図ってこの記事に貼付けてなかったっけ??」と、今更気付きまして、撮影した携帯画像を遡り、本日、(2014年3月14日)に貼付けました。この手書きの地図は、かつての大蔵幕府の一部が、現在小学校になってまして、小学生の活動で調べたものを、東御門あたりに貼り出してあったのを撮影させていただきました。今も残ってるか?は確認とれてないのですが、よく出来た地図だなあ~と思います。
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六義園のしだれ桜

2010年04月03日 20時05分03秒 | しだれ桜
もう一回。
六義園の紹介を続けます。なぜって、画像のデーターが重いかと思って2回に分けました。

近くの保育園がやって来た!
続いて幼稚園児が1クラス分到着~。
さすが六義園のしだれ桜という所か。いいな~いいな~いいな~~!!
ええ。
一人でお花を見に行くと、有りうべくして起りがちな事態に…。
自分と桜の写真が一枚もないという…。
愚痴ってどうする!

続けますよ。



六義園には他にめぼしい桜はありません。

白いコブシの大木がある位。





六義園の由来はこれで。(地道にデーターを打ち込む時間が惜しい)
でもこれだけは~~。
『六義園は5代将軍徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した
和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。
明治時代に入って、三菱の創業者である岩崎弥太郎の別邸となりました。ええ。今NHKでやってる大河ドラマ「龍馬伝」の香川照之さん演じる彼ですね。
その後、昭和13(1938)年に岩崎家より東京都に寄付され、昭和28(1953)に国の特別名勝に指定されました。』
う~む。
柳沢吉保のモノだったのか~。「大奥」の世界だね。

ちなみに去年の六義園のしだれ桜を訪れた時の記事はこちら
2009年4月1日「六義園のしだれ桜」です。
おおっ?
偶然にも同じ3月30日の訪問だったのだね。
でも今年のソメイヨシノの東京地方の満開日は4月1日とまれに見る遅さ。
今年訪問した時はまだ8分咲き?といった所で、しだれ桜のピンクが去年より濃いめだなと感じました。
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2010六義園しだれ桜

2010年04月03日 17時07分37秒 | しだれ桜
桜散歩に忙しくて、画像をアップ出来ない日々。
が!
桜は咲いてるうちに紹介せねばいけない気がして…。
い、行きま~す!!

訪問日は3月30日!
この日だけ
なぜかピーカン!の素晴らしき青空!!
そりゃ、駆けつけるでしょう~。例え、最高気温が10度以下だとしても!!!
つーことで。
まずはともあれ。
六義園の有名なしだれ桜の素晴らしき画像です。







どこかのおじさんが、嬉しそうに「青空バックで写したくて来た!」
わかる。わかるよ~その気持ち!!
またまたどこかのおじさんが「下から見上げて青空を抜くんや!」
な~る程!

青空なのですが、なぜか突然お日様が陰った。
シャッターチャンス!
すると感じが変った。
う~む。

でもコレ。
やっぱりお日様の光があった方が私は好みだわ。
みなさんはどちらが好みかな?


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御神木の大銀杏は今

2010年04月03日 05時37分12秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
3月のある朝、鶴岡八幡宮の歴史を見守ってきた大銀杏が根元から倒れてしまった。ニュースで映像は見たものの、やはり自分の目で確かめたいと出かけました。
こんなんになってました。

思いは誰も同じです。

ぽっかりと空いた空間が、御神木の不在の証明です。

御神木の復活を本殿でお祈りしてきました。

樹木医や賢人の手を借りて、あの手この手で御神木の再生を八幡宮では実施中です。

ここは結婚式のお式が執り行われる場所。これまでは、階段の上にある本殿に向って祝詞を上げたり、舞を奉納したりしてました。でも現在は無粋な灰色のフェンスがあります。
ま。しょうがないよね。参拝者が階段から下を覗き込んでて落下したらマズいもんな。

嬉しいニュース!
御神木から、新しい芽がいくつも出てるのが見つかったんだって!!
うお~~~、マジかっ!!
昨日のニュースで見た
つーか、あれ?
御神木が倒れたのって3月の始めだったよね?
1月足らずで芽って出るんだ…。
まあ、春は植物が伸びる季節だしな…。アリだよね。
無事芽が育って御神木が再生出来ますように。

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鎌倉鶴岡八幡宮

2010年04月02日 06時10分37秒 | 鎌倉
花見にはまだ早い3月に、何しに鎌倉へ出かけたのかと言うと、倒れてしまった御神木の大銀杏の姿を確認する為。ついでに日蓮宗所縁の寺院めぐりなんでした。
お散歩の道順に従って掲載して行きます。昨日は鎌倉駅から段葛を通って鶴岡八幡宮に到着するまで。
今日は鶴岡八幡宮の境内。明日は件の大銀杏の今となってます。
さ~て、と。

昨日掲載したのとは別の花嫁行列を横目に参道を行く。
なかなかの人出です。時間は午前10時くらい。
あれ?

ここは去年流鏑馬をしていた場所ですね。なんだか既に見頃を過ぎた桜がありました。
ソメイヨシノじゃないのかな~?

以前にも何度か鶴岡八幡宮を紹介していますが、まだ紹介していなかった手洗い場です。
神様に合う前に、手を口を綺麗にする場所ですね。

おやや?なんだか見慣れない幟が立ってます。

大銀杏が無事に目を出しますように。
記帳所発見。

記録所で振り返ると、見えてきた。
すっかり様子の変った大銀杏がっ!!
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