あるBOX(改)

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聴き返したモット・ザ・フープルはホロ苦く甘酸っぱかった

2003年07月22日 | 生活
モーガン・フィッシャーの名前が出てきたトコロで(しかし、略して「M・フィッシャー」って書いたら「プロコルハルムのマシュー・フィッシャー」か どっちか分からない感じだったなぁ)。
なんか無性に「モット・ザ・フープル」を聴きたくなり、久々にベスト盤引っ張り出して聴いたらヤッパリ良かった(涙)。

つ~か、思った以上にピアノが重要なパート弾いてた。やっぱりイギリスの人、ロックンロール・ピアノの中にもクラシカルなフレーズも盛り込まれ。

ポップなモットの楽曲を彩ってるのでした。
「久々聴いたら良かった」って割には、「そうだった、モットにはミック・ラルフス(G)が居たんだ!」とか、アホンダラな事も口にし(←それでもバッド・カンパニーのファンか!?)。
モーガン・フィッシャーは意外な事に途中参加。
M・ラルフスの後釜ギターのアリエル・ベンダーは、元スプーキー・トゥースのギターで、「イーヴィル・ウーマン」では中東音階みたいなソロ弾いて中々面白かったルーサー・グロヴナーがグラム用に名前変えて参加したんじゃなかったか?しかも化粧して・・・・なんて事が頭に浮かんだのでした。

あと、フロントマンのイアン・ハンターって相当ディランに傾倒してるな・・・とか。
暴力とか煽動とか、物騒なイメージ与えられた割には楽曲はポップだな・・・とか。
グラムロック・ムーヴメントに乗った割には正統なロックンロールだよな・・・とか。

そう、モット・ザ・フープルって3分ポップなんですよねぇ。イイ意味で。

なんか、甘酸っぱく・ホロ苦い。
そう、「氣士團」の楽曲に通じる「ロック好きのツボを突くメロディ、曲展開」。そして「歌詞」。

訳詩を読んだだけでは分からないとは思いつつ。とことん等身大な事を歌い続けた彼等(つ~か、イアン・ハンター)。

「すべての若き野郎ども」の若者賛歌(しかも、「兄貴はビートルズやストーンズを家で聴いているが・・・」「革命なんて退屈」「テレビマンはオレ等を糞扱いするが、お前等こそクレイジーだ」「オレはT・レックスを観たいんだ!映せよ!」なんて歌ってるし。そりゃパンクスも影響されるわ!)。
「メンフィスへの道」で歌われるトラベリン・バンド振り。
一昔前なら「憂鬱を吹き飛ばそう」とでも題されただろう「土曜日の誘惑(Roll Awey The stone)」のパーティー賛歌。
「モット・ザ・フープルのバラッド」「ロックンロール黄金時代」でのロックンロール賛歌(しかし「ロックンロールは敗者のゲーム」とも表現し・・・)。
「フォクシー・フォクシー」での甘いギャル賛歌。
そして「モット・ザ・フープル物語」では自身の甘く辛い道程を語り紡ぐ。「69年は楽しかった・・・70年は皆の気持ちが一つになった・・・71年は人々が集まってきた・・・72年は過去の幻に振り回された・・・73年は凄かった・・・74年はブロードウェイ・・・。あの土曜日のステージを憶えているかい?おぼえているとも!」60年代後半から70年代の前半、ロックの全盛時代を駆け抜けたバンド、モット・ザ・フープル。

最後までティーンエイジに向けて音楽を鳴らしたモット・ザ・フープル。
いや、彼等自身が最後までティーンエイジャーの様だった。ロックの夢に魅せられ、ロックの世界に飛び込み、ロックのスターに上り詰め、ロックビジネスに疲れ、「今も子供達がそれに何ポンドも注ぎ込む。すべては大人のゲームさ」と歌いながら、それでもロックンロール・ドリームを否定しきれない。

ストーンズが「満足できないぜ」と歌ったティーンエイジャーの苛立ち。The Whoは「年老いる前に死にたい」と歌った。モットも「25にもなりゃあ生きていたくはなくなるさ」と歌った。
しかし、先の2バンドは。しっかりと成熟し手中にした作家性を持って「破壊と構築」を繰り返した。
モットは、いつまでも成熟し切れなかった。彼等はスクーターを崖から捨てる事が出来なかったのだ(映画「さらば青春の光」参照)。

逆に言えば、そこにこそ彼等の魅力がある。

オレもスクーターを捨て切れてないもんなぁ・・・。

◆7/21(後楽園ホール)の試合結果
○4R
諏訪雅士 KO1R 伊藤貴幸
○6R
小口雅史 判定 寺西康太郎
○8R
池田政光 負傷判定6R 竹本路彰
○日本Lフライ級タイトルマッチ10R
畠山昌人 TKO8R 小山泰裕
○10R
佐藤 修 引分 ヨックタイ・シスオー