あるBOX(改)

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モーガン・フィッシャーはアンビエントの人になっていた

2003年07月29日 | 生活
ようするに、また青山MANDARAに行ってきたワケですよ(笑)。

なんか、昔のモット聴いてるうちに「今どんなんだろう?」なんて
気分になって。
ついつい出向いてしまったのです、地下鉄・銀座線の外苑前へ。

さすがに会場へは、最近ヨエコ見に行ったばっかしなんで、すんなり
到着。開演時間前に余裕で当日券購入。

例によって受付テーブル上に当日ミュージシャンの最近発売CD等が
並べてあるのだが。そこにあったCDのオビ見て、最近のモーガン・
フィッシャーさんの活動が早くも把握できた。



―――――「アンビエント」
テクノのジャンルにも使われる名称であるが。

「環境音楽」とも題された音楽ジャンルである。ブライアン・イーノ
さんが提唱した「ただ何となく周りで流れている音楽」の事である。

その遥か以前に「家具としての音楽」としてピアノ曲「ジムノペティ」
などを作曲したエリック・サティさんが元祖だと言う声もあるが。

ギターやドラムなど、アタックの強い楽器ではなく、まったりと流れる
シンセなどが重宝された音楽である。

よってイーノさんなどの「知的」なシンセ奏者が流れていったジャンルに、
マシュー・フィッシャーさんも早々に参加されていたらしい。

誰だ、「モットの元メンバーでマトモな音楽活動出来てるヤツいない」
なんて言ったのは?

そりゃ、地味~な活動だから「マトモ」とは言えないかも知れないが。
薄暗いMANDARA内は、まだ人も疎らで。好きな席に余裕で座れた。

20時ちょい過ぎに、眼鏡の中年外人が現れ。
「コンバンワ、もーがん・ふぃっしゃーデス」と挨拶。早速キーボードに
向った。

サルバトーレ・ダリのようだった風貌は、禿髪の後頭部に残った白い御髪
(おぐし)を短く刈り込んだ「どっかの大学の外人教授風」になっていた。

シンセ音、ピアノ音、自分の声を次々とその場でサンプリングし、元から
打ち込んであったSE(効果音)と合わせて進行するアンビエント・ミュ
ージック。

2曲目から参加の井野信義さんは、アンプに繋げたウッドベースの弓弾き、
指弾きでアンサンブル。興味深い音世界が展開された。

70年代ロックファンとして、「当時のミュージシャンの現在を見届ける」
意味で足を運んだワケだが。
それはそれで有意義だった。リサーチしようと思えば、彼の活動も前調べ
出来たのだろうが。

私の無知と怠惰のせいで、未だ「モットのイメージ」しか予備知識なしでの
会場入り。

お恥ずかしい鑑賞姿勢だが、それでも「彼の収入の一部にでも貢献できたか
と思えば良し」・・・か。
当日のMANDARAには、観衆は20名しかいなかったのだから。←井野さんの
表情が落胆していたように見えたのは私だけ?

「Morgan Fisher Duo Live VOl.1」終演後、井野さんと談笑する観客。
明かに身内。
「Vol.2」の開催は大丈夫だろうか?
私も今回たまたまMANDARAの月間予定表で気付いただけだし。

そういや今日7/28は「阿部義晴(元ユニコーンのアベ君)&八熊慎一
(Sparks Go Go)」だな。

「調子悪い」と昨日はMANDARA行く前に帰った連れ(元ユニコーンファン)は、
異常に反応していたが。
さすがに連チャンでは行きません(笑)。

P.S.そういやユニコーンでは
「今日の僕等はユニコーンではありません!ダ・フーです!!」とか言って、
The Whoのカバーだけやる公演があったそうで。

ファンは大迷惑、本人達ノリノリなんて夜が度々あったそうで(笑)。
「やっぱり民夫ちゃんって面白いな~」なんて、連れのウンチク聞きながら
思ったものです。
※ダ・フーなら行きたいねぇ…。