アグラへ行く途中で訪れたのが、
世界遺産のファテーブル・シークリーです。
こちらのバスに乗り換えます。
乗客が集まったら出発するようです。
赤砂岩の個性的な建物が目をひきます。
建造時期は1569~1574年、
世界遺産に認定されたのは1986年です。
ムガル帝国第3代皇帝アクバルは、多くの妃妾がいながら
世継ぎには恵まれなかったことが唯一の悩みでした。
シークリー村に住む聖者を訪ねると
「5年以内に3人の男の子を授かる」と予言。
やがて予言通りに男児に恵まれ、遷都したのです。
その新都をファテーブル(勝利の都)・シークリーと名付けました。
しかし、深刻な水不足と酷暑に見舞われ、
わずか14年で再び遷都、うたかたの都となったのです。
最上階から都を見渡した五重塔。
手前のコートでは家来を駒に「人間チェス」
皇帝はこちらから観覧したそうです。
風通しの良い骨組みだけのフロアが重なっています。
長方形の前庭を囲む柱廊の数は100本以上。
しっかりとした骨組み、これでわずか14年とは…
打ち捨てられた都は荒廃しましたが、
現在は修復が進み、管理されて建造物が再現。
池に囲まれた正方形の壇の奥にあるのが、
皇帝のプライベートルーム。
当時、歌のパフォーマンスなども行われたステージ。
正方形の2階建て赤砂岩の「宝石の家」
私的な謁見室として使用されました。
木造建築を石造りで模しています。
「宗教の柱」という中央の柱が必見
皇帝はこの柱の上から知識人と意見を交換したそうです。
各宗教の様式を取り入れ、他宗教との調和を表現、
皇帝の生涯のテーマが諸宗教の共存でした。
遺跡内の建造物にもそれが表れています。
インド・プラデシュ州
2014.3.22
世界遺産のファテーブル・シークリーです。
こちらのバスに乗り換えます。
乗客が集まったら出発するようです。
赤砂岩の個性的な建物が目をひきます。
建造時期は1569~1574年、
世界遺産に認定されたのは1986年です。
ムガル帝国第3代皇帝アクバルは、多くの妃妾がいながら
世継ぎには恵まれなかったことが唯一の悩みでした。
シークリー村に住む聖者を訪ねると
「5年以内に3人の男の子を授かる」と予言。
やがて予言通りに男児に恵まれ、遷都したのです。
その新都をファテーブル(勝利の都)・シークリーと名付けました。
しかし、深刻な水不足と酷暑に見舞われ、
わずか14年で再び遷都、うたかたの都となったのです。
最上階から都を見渡した五重塔。
手前のコートでは家来を駒に「人間チェス」
皇帝はこちらから観覧したそうです。
風通しの良い骨組みだけのフロアが重なっています。
長方形の前庭を囲む柱廊の数は100本以上。
しっかりとした骨組み、これでわずか14年とは…
打ち捨てられた都は荒廃しましたが、
現在は修復が進み、管理されて建造物が再現。
池に囲まれた正方形の壇の奥にあるのが、
皇帝のプライベートルーム。
当時、歌のパフォーマンスなども行われたステージ。
正方形の2階建て赤砂岩の「宝石の家」
私的な謁見室として使用されました。
木造建築を石造りで模しています。
「宗教の柱」という中央の柱が必見
皇帝はこの柱の上から知識人と意見を交換したそうです。
各宗教の様式を取り入れ、他宗教との調和を表現、
皇帝の生涯のテーマが諸宗教の共存でした。
遺跡内の建造物にもそれが表れています。
インド・プラデシュ州
2014.3.22