まるみのあっちこっち巡り

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三芳野神社 わらべ歌「通りゃんせ」発祥の地

2015-07-19 14:41:20 | お出かけ 関東


通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ ちっと通して くだしゃんせ 
 
わらべ歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる
平安時代初めに創建された三芳野神社です。

三芳野という社名は在原業平の『伊勢物語』に出てくる
「入間の郡三芳野の里」という地名が
川越の旧地名であったことによるものだそうです。





現存する社殿は、寛永元年(1624年)川越藩主酒井忠勝が
三代将軍徳川家光の命を受けて造営したものでのちに
喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となりました。





おっと危ない!!

あの東日本大震災の影響でこの鳥居は立っているものの
亀裂が入っていて、大きな揺れが来たら崩れてしまいそうです。

行きはよいよい、帰りは怖い 怖いながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

別に鳥居が崩れるかもしれないので怖いわけではありません。





川越城築城により、川越城の中にある三芳野神社は、
一般庶民は普段は訪れることができなくなってしました。

庶民が城内に入り、参拝できたのは年一度の大祭か、七五三の祝いの時だけ。
参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことを避けるため、
帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられたそうです。

参道は江戸時代より若干変化しているそうですが、
南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、
さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、
三芳野神社に直進する細道を通ってお参りをする
歩いてきた道を想像すると大変そうですね。

江戸背後の拠点城郭として幕閣重鎮が城主となった
川越城ですから警護も厳しかったのではないでしょうか。

そんな庶民の思いがわらべ歌になって江戸へ
全国へと広まったと言われています。





わらべ唄発祥の所の碑があります。

しかし、こちらが発祥という社があります。
神奈川県小田原市の菅原神社(山角天神社)です。





どちらも天神様には違いないようですね。

菅原道真は学問の神様と言われていますが、
この三芳野神社も合格・必勝祈願、
学業成就のご利益があります。

埼玉県川越市郭町2-25-20
初雁公園内

2015.6.20
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