緑に囲まれたこの先に日本三大東照宮があります。
他の二つは言わずと知れた日光、久能山、
これらに比べると地味な印象ではありますが…。
1617年、久能山から日光へ徳川家康の亡骸が移された際、
喜多院に一時安置され大法要が営まれました。
今年は、家康公没後400年ということで
ゆかりの地では、様々な催しがあるようです。
当時の住職、天海僧正は棺を留め置いた跡として
家康の像を造り、大堂に祀ったのが仙波東照宮の起こりで、
1633年に造営しましたが、5年後に大火により消失。
1640年に三代将軍徳川家光の命で、現在の社殿が再建しました。
「この紋所が目に入らぬか!!」
川越と徳川家は深いつながりがあったというわけです。
まるみの好きな時代小説 佐伯泰英著「居眠り岩音江戸双紙」
第32巻「更衣ノ鷹(下)」で、丸目歌女が仙波喜多院で決着をつけることを
岩音に申し出るシーンがあり、それを思い出しました。
美しい朱塗りの社殿に徳川家の威光さえ感じます。
こちらの本殿などは国の重要文化財です。
普段は公開されていませんが、
拝殿には国宝の岩佐又兵衛筆三十六歌仙絵額があります。
童謡『あんたがたどこさ』発祥の地とも言われます。
仙波山にはタヌキがおってさ
史実として戊辰戦争時に、薩長軍が東征軍として彰義隊の
残党である振武隊を追って川越城に進駐し、
城に隣接する仙波山に駐屯していたそうです。
熊本が発祥の地と思っていましたが、
熊本には仙波山というのはないのだとか。
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
2015.6.20
他の二つは言わずと知れた日光、久能山、
これらに比べると地味な印象ではありますが…。
1617年、久能山から日光へ徳川家康の亡骸が移された際、
喜多院に一時安置され大法要が営まれました。
今年は、家康公没後400年ということで
ゆかりの地では、様々な催しがあるようです。
当時の住職、天海僧正は棺を留め置いた跡として
家康の像を造り、大堂に祀ったのが仙波東照宮の起こりで、
1633年に造営しましたが、5年後に大火により消失。
1640年に三代将軍徳川家光の命で、現在の社殿が再建しました。
「この紋所が目に入らぬか!!」
川越と徳川家は深いつながりがあったというわけです。
まるみの好きな時代小説 佐伯泰英著「居眠り岩音江戸双紙」
第32巻「更衣ノ鷹(下)」で、丸目歌女が仙波喜多院で決着をつけることを
岩音に申し出るシーンがあり、それを思い出しました。
美しい朱塗りの社殿に徳川家の威光さえ感じます。
こちらの本殿などは国の重要文化財です。
普段は公開されていませんが、
拝殿には国宝の岩佐又兵衛筆三十六歌仙絵額があります。
童謡『あんたがたどこさ』発祥の地とも言われます。
仙波山にはタヌキがおってさ
史実として戊辰戦争時に、薩長軍が東征軍として彰義隊の
残党である振武隊を追って川越城に進駐し、
城に隣接する仙波山に駐屯していたそうです。
熊本が発祥の地と思っていましたが、
熊本には仙波山というのはないのだとか。
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
2015.6.20