宮城県のほぼ中央に位置する多賀城市に
東北に築かれた律令国家の要の城がありました。
11世紀中頃までの東北地方の
政治・軍事・文化の中心地であったのです。
奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、
創建は724年、按察使大野東人が築城したとされ、
その間大きく4回の造営が行われたそうです。
奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため設置し、
平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能しました。
日本の古代城柵で、国の特別史跡に指定されています。
城柵は朝廷が蝦夷の居住地域に支配を及ぼすための
拠点となる官衙であると同時に、
柵戸と呼ばれる住民を付随する施設でもあり、
兵を駐屯させる軍事的拠点でもある Wikipediaより
訪問した当時は、ボランティアガイドさんがいらして、
資料などを示して熱心に説明してくださいましたが、
現在は、アプリをB.Cで読み込み
AR、VRで楽しめるようです。
約900m四方に築地がめぐり、中央に重要な政務や儀式を行う政庁、
その周囲に役所や兵舎、工房などが配置されていました。
平安時代には城外に道路により区画された街並みが形成され、
そこから国司の邸宅などが発見されているそうです。
別名:ー
種別:平山城(城柵)
築城年:724年
築城者:大野東人
宮城県多賀城市市川字城前
訪問日 2005.4.30