佐倉城は、戦国時代中頃(1532~1555)に
鹿島幹胤が築いたといわれる中世城郭を原型として、
土井利勝によって1611年~1617年頃までの間に
築城された平山城になります。
城郭は石垣を一切用いず、土塁と深い空堀と、
水堀で守られた土造りの近世城郭である佐倉城。
德川家康により、江戸の東を守る要として
重要視されました。
干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にして
三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としています。
幕末の日米修好通商条約の交渉にあたった
老中首座・佐倉藩主の堀田正睦の像。
歴代佐倉城主のうち9人が老中となっており、
これは全国最多で、「老中の城」と呼ばれています。
北に印旛沼、西と南に川が流れる低地に
西向きに突き出した「馬の背」と呼ばれる台地。
地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて
守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と
町家、仏閣を配して城下町の守りを固めたそうです。
別名:鹿島城
種別:平山城
築城者:鹿島親幹
築城年:天文年間(1532~55)
主な城主:鹿島親幹、千葉邦胤、土井利勝、堀田氏
千葉県佐倉市城内町
訪問日 2023.2.21