父の宇喜多直家が金光氏から奪った城を
豊臣秀吉に厚遇されて大大名となった
宇喜多秀家が8年の歳月を費やし
1597年に完成した岡山城。
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外観は黒漆塗の下見板が特徴的で
「烏城」とも呼ばれます。
城跡は烏城公園として整備されており、
隣接する大名庭園の後楽園は、
偕楽園、兼六園とともに、
日本三名園として並び称されています。
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西向きの城構えのため、旭川を城の東背後を
流れるように改修し、天然の外堀に活用。
最上階からは眼下に旭川を望み、
岡山後楽園と市街地を360度見渡せます。
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1996年に 築城400年記念事業として、
創建当時の天守には金の鯱がのり、
金烏城と呼ばれていたとの伝承から
鯱に金箔を施しています。
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築城当時の天守閣は1945年の空襲で焼失しましたが、
1965年に鉄筋コンクリート造で再建されました。
復元天守の内部は博物館となっています。
宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した
三層六階建ての望楼形天守閣で、
城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた
時期の構造的特徴を伝えています。
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関ヶ原合戦に敗れた秀家の後に入城した
小早川秀秋や池田氏によっても
拡張整備が続けられ、
現在の姿になったのだそうです。
別名:烏城、金烏城
種別:平山城
築城年:1521~1527年、 1570年、 1597年
築城者:金光氏、宇喜多直家、宇喜多秀家
岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
訪問日 2003.7.14