ママチャリで、横浜から銀座へ。
銀座で特にすることもなく、
中央通りをそのまま進み、日本橋【国指定重要文化財】まで到達。
日本国道路元標を越え、これより帰り道は後半戦となります。
帰り道の後半は、都内の銭湯めぐり。
東京都内には、文化財に登録されている銭湯が3湯あります。
台東区上野三丁目、JR御徒町駅のほど近く。
最初の銭湯は、「燕湯」。
文化財登録名も燕湯【国登録有形文化財】です。
営業時間は、朝6時から夜の8時。
都内でも数少ない、朝風呂に入ることができる銭湯です。
登録有形文化財の銘板。登録番号は第13-228号。
番号の頭「13」は都道府県コードで、東京都の登録有形文化財はすべて「第13-」で始まります。
道路に西面して建つ間口5間半奥行4間の木造2階建で、背面に平屋建浴室、RC造釜場を付設。
正面中央に入母屋屋根の下足場を付け、1階は男女の脱衣場、2階は座敷とする。
浴室は梁行中央2間半を建ち上げ湯気抜窓を設ける。
RC造煙突が銭湯を象徴付ける。
(文化庁「文化財データベース」の記述を引用)
文化庁さんは「煙突が銭湯を象徴付ける」なんていいますが、ここは大東京、ビルの谷間の銭湯。
煙突はまったく見えませんでした。
入母屋屋根の軒下をくぐり、下足場から中に入り、脱衣場へ。
入口には男女の脱衣場を見渡せる番台が拵えられ、そこで入湯料470円を支払います。
私が脱衣場に入ったとき、番台には誰も座っていませんでしたが、こちらの主と思しき翁が脱衣場を軽く清掃したので、翁に470円を支払いました。
いざ、入浴!
浴場に入ると、扉のそば2ヶ所にリンスインシャンプーとボディソーブの容器が固定して備え付けられています。
石鹸やシャンプーを持っていなくても、いちおうは問題ないようですね。
浴槽は、普通のものとジャグジー風呂のふたつ。
湯温計を見ると・・・普通のものは44℃、そしてジャグジー風呂は46℃。
普通の風呂もなかなか熱く、最初はなかなか入れないくらいです。
ジャグジー風呂は輪をかけて熱く、体が熱さに慣れなければ入浴は無理というレベル。
それでも、熱さでピリピリと刺激を受けるのがまた心地よく、長風呂は無理だとしても短時間で何度も入りたくなります。
浴室を出て、番台に座る翁に140円を支払い、コーヒー牛乳をぐいっと飲み干して、燕湯を後にしました。
上野から山の手へママチャリを走らせ、
JR高円寺駅北口の商店街へ。
なかなかのにぎわいを見せる商店街から1本脇道に外れたところにある、本日2軒目の銭湯・・・
「小杉湯」に到着。
文化財登録名称も小杉湯【国登録有形文化財】。
銘板もついています。
こちらの登録番号は第13-436号で、登録年月日は令和2年(2020年)8月17日と比較的新しいです。
建造年は昭和8年(1933年)と燕湯よりも古く、空襲の戦火を免れた貴重な銭湯です。
高円寺駅北の商店街に所在する公衆浴場。
脱衣室屋根の東正面に千鳥破風を掲げ、一階の唐破風庇下が旧入口である。
浴室は中央に越屋根を掲げて高窓とし、西壁には男女の浴室にわたるペンキ絵を描く。
改修はあるが、東京でよく見られた銭湯の典型例の一つ。
(文化庁「文化財データベース」の記述を引用)
小杉湯の面する道がとても細いため、正面から建物を撮ることはかなり困難。
弓なりに曲がっている唐破風を激写するかたちとなってしまいました。
破風の下には、鯉が滝を登っているさまが施されていますね。
火災除けのおまじないである
唐破風の右隣りには、鯉のぼりが掲げられています。
そういえば翌日は端午の節句。
銭湯でも菖蒲湯が楽しめるといいますが・・・。
文化庁DBにもあるように、唐破風の下は「旧入口」であり、ここから中に入ることはできません。
シャッターが閉まっているところが、現在の小杉湯の入口となっています。
小杉湯の開湯時間は、平日午後3時30分から夜中の1時45分までで、木曜日がお休みとなっています。
また土日祝日は朝8時からということで、限定的ではありますが朝風呂が楽しめる銭湯となっています。
現在の入口に掲示されている、「小杉湯のごあんない」的な看板。
こちらは古き良きものを残しつつも、時代に合わせて変化しているようですね。
たとえば、脱衣場にあった番台が廃止され、入口に受付が設けられています。
また、脱衣場の手前にはギャラリーが設けられ、漫画などを読みながらゆったり過ごせるようです。
しかし、時刻はまだ午後3時前。
高円寺駅周辺で30分ほど時間をつぶしていました。
午後3時37分。
ふたたび小杉湯へ。
入口のシャッターは開け放たれ、なにやら出店でもやるかのようなテーブルが置かれています。
それよりも驚くべきは、開湯7分だというのに駐輪場にすし詰めのチャリ。
この日は休日だったからなのか、それとも風呂もないアパートに住まう者どもが押し寄せているのでしょうか。
理由はよくわかりませんが、とにかく大盛況。
こんなに混雑する銭湯を、私は見たことがありません。
出店?では、奄美大島のクラフトコーラを紹介していました。
なんでもこの日は、そのクラフトコーラを使ったお風呂に入れるのだというのです。
ところで、クラフトコーラって何だろう。
タタキで靴を脱いで上がると、受付に60代くらいの茶髪のおばちゃまがいました。
さらには、おばちゃまの娘さんと思われる金髪のお姉ちゃんもいます。
こちらは、設備も人間も古き良き時代の銭湯とは異なる、個性を追求する高円寺のイメージそのままの銭湯のようです。
おばちゃまに入湯料470円を支払い、脱衣場へ。
脱衣場は、檜の床に白熱電灯風の照明で、どことなくリラックスできる雰囲気・・・
なんというのは全くなく、裸体の漢どもの巣窟というくらいの混みっぷり。
10人くらいが着替え中で、空きロッカーを見つけるのにもひと苦労。
浴場へ入ると、あふれる裸体の漢ども。
このイラストでは浴槽4つに漢18人が浸かるという、目の当りにしたら後ずさりしてしまいそうな光景が描かれています。
それには及ばないものの、浴室全体で20名程度という密度の高い光景が広がっていました。
洗い場には、シャンプー、リンス、コンディショナー、ボディソープの4つが用意されています。
4種類のボトルが用意されていたのは、この小杉湯さんだけ。
昭和の時代に比べると客足が減り、廃業していく銭湯が多い中で、小杉湯さんはだいぶ健闘されているようですね。
それでは、いざ、入浴!
まずはジェットバス、こちらは設定温度42℃。
次に入ったのはあつ湯で、この日はクラフトコーラの湯となっていました。
クラフトコーラの湯は44℃で、ちょっと熱いかな~という程度。
お湯はもちろんコーラの色をしていましたが、コーラの匂いはしていなかったように思います。
味ですか? もちろん飲んでません。
漢どもは浴槽にも跋扈し、ミルクの湯になかなか入れずにいました。
熱めのクラフトコーラの湯に浸かっていた私は、洗い場に座ってひと休みしていました。
鏡越しに浴槽の方を見やると、親子連れが一組。
幼稚園児くらいの子供でしょうか、なんだか女の子っぽい顔立ちだなぁ。
男の子にも見えなくもないけど・・・
あ・・・ない。
とっさに視線を反らすと、ミルク風呂から漢が上がっていくのが見えました。
よし、ミルク風呂に入るとしよう。
うむ、ミルク風呂は少々ぬるめではあるが、肌がすべすべして気持ちいいですな。
水温計を見ると、39℃。
ゆったり浸かってから出ることにしよう、そう思っていたのですが・・・
目の前に“親子”がいる・・・。
またしても目のやり場に困ってしまい、ミルク風呂であまりゆったりすることはできませんでした。
私は未だに親にはなったことがないのでわからないのですが、幼い息子が母親とともに女湯に入るというシチュエーションは、なんとなく想像できます。
女湯ではありませんが、私も幼い時分は女子トイレに連れられていましたから。
「逆のパターン」っていうのを今回初めて目の当たりにしたものですから・・・・・・。
浴室から出ると、小杉湯さんはさらに大盛況。
入場制限までかかっていました。
駐輪場は煩雑さを増し、隣の自転車をずらさなければならない始末。
このため私は、ここでちょっとしたミスを犯してしまったのです。
高円寺から、環七通りを進んで板橋へ。
その途上、シャンプーセットを小杉湯に忘れてきたことが発覚・・・!
気づいた時にはもう10kmほど進んでいたので、このまま次の銭湯に向かっていきました。
中山道から細い道に入り、目的地の銭湯へ。
本日3湯目は、「滝野川稲荷湯」さんです。
「稲荷湯」の看板の脇にある空き地が、駐輪場となっているようです。
「小杉湯」もそうだったのですが、ここの道も狭いです。
そのため、「稲荷湯」の全貌を撮るのはきわめて困難。
玄関正面からの稲荷湯浴場兼主屋【国登録有形文化財】です。
板橋駅東方の住宅地で通りに北面する銭湯。
北半を浴場、南半を主屋とし、浴場正面に入母屋造の玄関部を構える。
東半を男湯、西半を女湯とし、玄関奥に脱衣場、流し場、浴槽を配す。
破風が三段に連なる正面意匠など、戦前の東京における銭湯の様相を伝える。
(文化庁「文化財データベース」の記述を引用)
登録有形文化財の銘板です。
稲荷湯の番号は第13-0426~0427号となっており、こちらには2件の文化財が登録されています。
もうひとつは稲荷湯長屋【国登録有形文化財】であり、かつての従業員の住居だったと考えられています。
中に入っていきます。
「牛乳石鹸」ののれんをくぐって右側が男湯。
この玄関は北向なので、玄関から見て右側は西側だから、男湯は西側にあることになります。
文化庁さんの記述が誤っているように思われますね。
脱衣場に入り、番台に座っていた女将さんに入湯料470円を支払いました。
浴室にはシャンプーなどの備付けはない様子だったので、手持ちの石鹸がないことを女将さんに伝えると、ボディソープを貸し出してくださいました。
それでは、いざ、入浴!
浴槽は3つ。
ひとつは気泡の細かいシルクバスで、水温はぬるめの39℃。
ひとつは黒いお湯の浴槽で、江戸黒湯と表記されていました。
江戸黒というのは、水が黒くなるという入浴剤なのだそうで、こちらの水温は41℃。
これらを順番に入っていき、最後にあつ湯に入っていきます。
水温計は46℃を指していますが、体がお湯の温度に慣れてきているので入れないことはないはず・・・
あっちぃ~!
浴槽に足を入れた瞬間に感じる、尋常ならざる熱さ。
足を突っ込んで、即座に退却。
リトライし足を突っ込み、また退却。
さらにリトライし、浴槽に身体を沈めるところまではいきましたが、数秒で退却・・・。
今回銭湯をハシゴして46℃のお湯に何度か入ったのですが、ここのあつ湯だけは入れませんでした。
これ、ホントに46℃か?!・・・と言いたくなるくらい熱かったです。
あと、稲荷湯さんでも「逆のパターン」が見受けられました。
私が目のやり場に困ったというのは、言うまでもありません。
スカイツリーを背にして、家路に就きます。
柏のわが本拠に到着したときには、時計の針は午後9時を回っていました。
5月5日、端午の節句。
中国は、5月ごろに雨季を迎えます。
じめじめした気候は病気が増え、また洪水などの災害が起きやすくなります。
そこで古代中国では、これらの災厄の邪気を祓うべく、菖蒲の葉を使用しました。
この風習が日本に伝わり、平安時代には、宮中行事として端午の
時代は下り武士の世の中、端午の節句は男の子の行事として認知されるようになりました。
菖蒲は「勝負」「尚武」という言葉がかけられ、男の子の成長を願うものとなっていったのです。
そして、1年でこの日だけ、銭湯でも菖蒲湯に入ることができるのです。
今年のGWで訪れた銭湯の入口に、コロナ禍でも菖蒲湯はやるぞ!という内容のポスターが貼ってありました。
都内の銭湯に、横浜の銭湯にも。
この日やってきたのは、わが本拠から最も近い場所にある銭湯。
東武アーバンパークライン 江戸川台駅の東口に広がる商店街。
そこから少しだけ離れたところに、その銭湯はありました。
ここは都内や横浜の銭湯のように、周りに高い建物がひしめいていないので、シンボルともいえる煙突がよく見えますね。
本日の銭湯、「江戸川湯」さんです。
こちらは午後2時から開湯し、午後10時まで入ることができます。
月曜日と火曜日はお休みです。
中に入ると、まず下駄箱。
そして、60~70くらいの翁が座る受付があります。
ここで、入湯料450円を支払って、のれんをくぐると脱衣場へ。
年季の入ったロッカーに、木の脱衣籠。
昭和の雰囲気が残る、ひなびた感じがたまりません。
浴場の扉を開けます。
入口脇にはお風呂椅子、そしてケロリン桶が積み重なっていました。
銭湯で風呂桶といえば、木製のレトロな桶よりもケロリン桶のほうがしっくりくるのは私だけでしょうか。
ともあれイスとケロリンをひとつずつこしらえて、洗い場へ。
シャンプーなどの石鹸の類は備え付けられていないので、持参するか受付で購入する必要があります。
前日のわずかばかりの旅の垢を落とし・・・いざ、入浴!
こちらの浴槽は軟水風呂と電気風呂のふたつ。
水温計を見ると、どちらも45℃を指しているではありませんか!
これは、ちょっとばかり覚悟が必要ですな・・・。
まずは、軟水風呂へ。
45℃はさすがに熱いなぁ・・・でも入れないというくらいではありません。
最初は短時間で出て、次は少しだけ長く入って、という具合に身体を熱さに慣らしていきました。
次いで、電気風呂へ。
今まで「電気」という言葉の響きがなんだか嫌で、「電気風呂」の類には入ってきませんでしたが、この日はしっかり入ります。
こちらも45℃、熱いけどいい感じです。
そして表皮がピリピリという感覚・・・なんといえばいいのでしょうか。
痛みとかではないのですが・・・私はあまり落ち着かなかったので、早々に出てしまいました。
私は電気風呂はあまり合わないかもしれません。
あ、菖蒲湯はやってなかったのね・・・ショボーン
令和3年、5月の大型連休は終わりを迎えましたが、私はさらに有給を使っていました。
6日の木曜日から9日の日曜日まで、のんべんだらりんと休暇を過ごしたのでした。
第80回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記 完
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます