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ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」~実在の総督シモン、カップッチッリが歌う

2012年10月05日 | asia-corriodoioさまのエッ
P. Cappuccilli as Simon Boccanegra "Plebe, patrizi, popolo!"


ヴェルディが生涯かけて完成させたオペラ、それが「シモン・ボッカネグラ」であった。
かつてのイタリアは都市国家で、そのうちのひとつ、ジェノヴァはサラセンから海を護り、一方、ヴェネツイアの脅威からも護らねばならないという、いつもジェノヴァは自由と平和を「自分たちの手で」護るため、海上保安官のシモン・ボッカネグラ(ジェノヴァを護る海賊と称されたほど強力な人物だった)が平民から「総督」に選ばれた。

シモンは長年、善政を心がけ、民衆の支持と尊敬を得たが、貴族階級からは低く見られ、その貴族も4つのグループに分かれて争い、「ジェノヴァの危機」にあった。

シモンは「兄弟殺しよ!平民たちよ、貴族たちよ、残虐な歴史の人々よ」と呼びかけ、その争いを止めるべく、人々に訴える。
私心なきシモン総督の言葉に人々は感動し、その言葉を受け入れるが、シモンの敵たちは秘めたる憎しみを歌う。ミラノスカラでのライヴである。

そしてこのオペラは都市国家ジェノヴァの「内政の危機」を描いたものでもある。


Nicolai Ghiaurov & Piero Cappuccilli - Simon Boccanegra

誇り高い没落した貴族、フィエスコはずっとシモンを憎んでいた。
フィエスコはシモンに会い、長年の憎しみを歌うがこの時シモンは、裏切り者に毒をもられ、苦しみながら、フィエスコの誤解を解く。
何と美しい、そして悲しい場面だろう・・・フィエスコは泣くのだ。
「泣いている・・・お前の言葉は神がかわって語らせているから。
 そして厳しい叱責を感じるのだ」

ジェノヴァの栄光は護られた、都市国家は外敵にも内政にも弱い、ヴェルディは「祖国統一運動」への願いを彼のオペラの底流にこめている・・・そしてこのカップッチッリとギャウロフの名唱は、いつまでも聴く私の心をうつのである。
この動画は東京公演のライブを動画にしたもの。和訳も付けてあるのでわかりやすい。

三宅博先生へ・・・いつかご覧になって下さい。
「道州制」に早くから反対なさっているのを支持します。

さらりんさまへ・・・いつもオペラのコメントをありがとうございます。
           これは心からの感謝の気持ちです。
Aida 1961 Simionato Act 4 sc1 FINALE

忘れられないメッツオ・ソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートによる「アイーダ」のエジプト王女アムネリス。
ラダメスの心は奴隷のアイーダ(実は敵国王女)に、その為に宗教裁判で死刑を宣告されたラダメスを権力で救おうとして、ラダメスに拒絶され、それでも神官長に訴え、権力にて脅すが、相手にされず、ここで王権は宗教者に及ばぬことをはじめて知る。
アムネリスは神官長らを「呪ってやる」と泣き崩れる。


私ってこの気位の高いファラオの娘、アムネリスがなぜか好きだった。
これはジュリエッタ・シミオナート、20世紀最高のメッツオ・ソプラノで、通訳をなさっていたぐらっぱ亭さまは、シミオナートの手をとってステージまで案内なさった。

また、マリオ・デル・モナコが交通事故で重傷を負った時、世界的な外科医のフルゴー二博士が手術し、無事、デル・モナコはカムバックできた。
フルゴー二博士の妻は、ジュリエッタ・シミオナートである。
この時のシミオナートは51歳、気品があって美しい。
シミオナートは先年、100歳にあと一週間という長寿を全うされた。

江川詔子さんがブログやツイッターのHNを「アムネリス」と・・・・・・・。


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2 コメント

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誇り高き都 (さらりん)
2012-10-06 12:21:49
ベッラさま こんにちは。

陰謀、怨念、権力と欲望そして深い対立、
暗く重いテーマをでありながら海洋国家を舞台に、
海を背景にした男たちを描いているためか、
それらのテーマが心にずっしりと響きながらも、
広がる地平線、青々とした海、荒波、凪と、
海の匂いや風景が重なり、それらの重さが海の力に晒されいくような気がしました。

「あなたの許しに泣けてくる。魂の慰めになる」
新しく生み出される総督が率いるジェノヴァは、
果たして上手く踏み出せるのか…
以前、アイーダについてのエントリーで、
ベッラさまはエジプトは本当に勝利したのかとお書きでした。
その答えはヴェルディの「天上的ピアニッシモ」なのだと…
その言葉がこの最後のアリアに重なり胸に迫ります。

海洋国家で地中海の覇権を手に入れたジェノヴァは、
誇り高き都と呼ばれるまでになりました。
しかしその国力をインフラや体制の整備に生かし、
外交力をつけ国防を充実させるまでには至りませんでした。
やがて衰退の道を歩むことになります。

歴史は繰り返すことを否応なく見せつけられるます。
すぎやまこういち氏は今の日本は反日軍との内戦状態と仰っておられます。
『新聞やテレビといった既成メディアでは、
真の「愛国者」たらんと発言すれば、
「軍国主義者」や「右翼」とレッテルを貼られ、
攻撃の的にされるため、怖々しか発言できない。
一方、ネットでの言論では国を憂いた「日本軍」の方がやや優勢である。
今後はこうしたネット世代の台頭が日本の政治を動かし、
国を変える力となると感じている。』

ネットにも表裏一体の部分があります。
しかし少なくともマスコミからの偏向した情報を押し付けられ、
それを鵜呑みにさせられていたときに比べれば、
自分で調べ考えようとするツールを得たことは大きなことだと思います。
本当の意味で独立した崇高な日本への生まれ変わるために、
過酷な「戦後レジームからの脱却」に何としても勝利しなければなりませんっ!!

私もアムネリスに何故か惹かれてしまいます。
オシャレが大好きでちょっと我儘で、
何でも手に入れることのできる王女でありながら、
恋焦がれる人への思いは成就することはできないだけでなく、
その思ひ人を死へと追い込んでしまう・・・
それでも、その苦しみ、悲しみ、悔恨の思いを胸に秘め、
運命を静かに受け入れる姿は王女としての気高さとたおやかさを感じます。
江川某・・・己を知りなさい(笑)

長々と失礼いたしました。
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ジェノヴァの歴史とオペラ「シモン・ボッカネグラ」 (さらりんさまへ    ベッラ)
2012-10-07 20:07:33
芸術の勝利と実際の勝利とは「観点」が違うようですね。
たしか、中野剛志先生が藤井聡先生との対談「日本破滅論」(文春新書、232ページ)で、宮本武蔵が同じ「みる」でも近くをみる「見」と遠くをみる「観る」と、区別していること、を話しておられましたが、ヴェルディのオペラでの「勝利」も「観」と思います。
よくいう「国家観」もそういう意味なんでしょうね。
ヴェルディの華やかな「凱旋」のトランペットは敗者には涙であり、また臥薪嘗胆なのでしょう、しかし「アイーダ」は臥薪嘗胆をも滅ぼしてしまう・・・
終幕は地下で死にゆくラダメスとアイーダ、その神殿の上に権力の無力を知ったファラオの娘アムネリスの祈り、ただパーチェ(ピースの意味)と・・・。
まさに「天上的ピアニッシモ」です。
これはヴェルディのオペラのいたるところに見られ、私は観客が勝者エジプトの凱旋を聴きながら心の中で聴いているのは敗者の嘆き、臥薪嘗胆・捲土重来を狙う敗者アモナスロと、女性として父と恋人ラダメスの無事を喜びながら、恋人を王女アムネリスに奪われる嘆き、など
すっかり「共有」してしまう不思議さ。
またアムネリスは「心の敗者」になったけれど、その最後の幕の気高さはアイーダを上回るなどと解釈しています。

「シモン・ボッカネグラ」は今の日本と共通点もあり、カップッチッリの堂々たる総督と内政でのほころびに死ぬシモン総督、
国を愛する「観」たるシモン、そして「見」の
売国奴、また貴族の誇りを持ち、シモンを海賊呼ばわりして軽蔑し憎んだフィエスコの最後の真の正義をあらわし、次の総督ガブリエーレ・アドルノの名を呼ぶところ、
シモンの死を悲しむ暇もなく「内政」を整えなければならない・・・、これは余韻ですが。
このオペラが終わってオーケストラが消えたあとも、音のない「聴こえないはずの余韻」に心は動かされます。

ヴェルディの偉大なところはただ立派なことをいうのではなく、それぞれの人物に光をあて、どう変わって行くか、また一本筋の通っているところは「国家観」・・・。

到らない私ながらも、いつも考えてきたのでした。国家と宗教の権力争いも・・・。
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