ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

宮崎正弘先生の「辛口コラム」を読んで衝撃、西部邁氏の著作 ・ 他にショパン「ピアノソナタ」第2番

2014年05月26日 | 読書

西部邁先生の動画や本で、遅ればせながら勉強をしているが、宮崎正弘先生の書評を読んで驚いた。
このごろ「西部先生、どうか長生きして」って願っていたから。

★ では、宮崎正弘先生の「辛口コラム」より


西部邁著 『妻と僕 寓話と化す我らの死』(飛鳥新社)

 重症のガンに侵された西部夫人は余命幾ばくもない、と衝撃を率直に書き出される。
 二人で歩んだ半世紀近い人生を西部さんは淡々と振り返りながら、この書は不思議な澄明さと静けさで全体が貫かれている。
 看病を続けながら人生を夫婦を愛情を孤独を名誉を哲学し、思想家・西部遭の饒舌的思索は片時もやまない。

 夫に先立たれた妻の回想録はこの世にあまたあって涙を誘う。石原裕次郎夫人、吉行淳之介「夫人」などなど。いかに愛されて幸福だったか。最後まで渾身の看病をして悲しみにひるまずに看取ったか。出色の例外は金美齢さんの夫(周英明)との台湾独立闘争記録。
 妻に先立たれた夫のほうの回想録は少ないが、それでも江藤淳、城山三郎、田原総一郎らが書いた。いずれも率直に言って女々しくもあり、愛情物語の域を出ない。
 だが、まだ妻に先立たれないうちに、死を思想的論争に位置づけて、夫婦の像をえがくのは西部氏がはじめてではないのか。

「身体の命運がぎりぎりまでくると、生き延び方といい死に方といい、自分で選び取るほかありません。人生は一回で、また人生は死の瞬間まで、つまるところは自分のものだからです。(抗ガン剤治療を忌避したのは)危機にあって心身を支えてくれるのは、根本主義だ、つまり自分の考え方の原則をつらぬくことだ、というのがM(妻のこと、作中ではMで登場)と僕との共通意見」だった。

 そして夫婦に関してこんな風に西部さんは考える。
「男女関係は、なんと脆い基盤の上に、なんと儚い動機に基づいて、なんと粘り強い努力で作り上げられていく、なんと堅牢な構築物であることか、夫婦とはなんとみごとな砂上楼閣なのか、と笑い出したくなる」。

 わたしが初めて西部遭氏と会ったのは二十年近く前だった。中川八洋氏が主宰する勉強会に西部氏が講師としてあらわれ、難しい講話が終わってから六本木のビアホールでビールを相当量飲んだ。中川氏はソフトドリンクを飲んでいた。
 何を話したかは綺麗さっぱり忘れている。
 それから「ラジオ日本」の南丘喜八郎氏が共通する番組を持っていて、その関わりで時折、飲み会があった。佐藤欣子さんらもメンバーだった。幼年時代の貧困について議論した。わたしが「吉野作造賞受賞にろくな作品はない」と酔った勢いで言うと、西部さんが「僕も受賞者だけど。。。」ときには『宝石』に氏が連載していた頃の編集担当の神戸さんが小生の担当でもあり、新宿へ一緒に出かけてカラオケに興じたり、もちろん『発言者』の創刊パーティには招かれ参じており、しばらく雑誌を購読していた。「宮崎さん、なにか書いて下さい」が口癖だった。

 三島研究会の公開講座にも講師としてきて頂いた。その記録を調べると平成八年五月のことで、演題は「三島由紀夫の思想的可能性」。この頃の西部さんの三島評価は低かった。ということは自死に否定的ではなかったか。そのあと十五人ほど連れだって、六本木の中国飯店に行っておおいに騒いだ。

 途中、七年ほどブランクがあった。
 なぜなら、たとえば教科書をつくる会、救う会、靖国、台湾問題そのほか、多くの保守陣営の会合やパーティ、シンポジウムでまったく氏を見かけなくなったのである。
 『発言者』の議論が難しくてついて行けなくなったこともあるが、氏の議論が浮世離れしていて、当時わたしの追求していた分野から離れつつあったという個人的理由もあった。
 というわけで数年の不通期間があったが、ある冬の日、『表現者』の座談会に呼ばれた。
 テーマは中国で、富岡幸一郎氏らも加わって久闊をあたためた。

レトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人

 この間、教科書、米軍、安保そのほか、西部氏はやたらと仲間内に喧嘩を売っていたのだった。
 この回想をこういう比喩で書いている。
「孤独は、その時代なり社会なり場所なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。あるいは、それと闘って(案の定)、破れたときに生まれる感情なのでしょう。いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、己の言動に意味を見いだそうと努め、その意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度するだけのことに未充足を覚える」

 西部氏はレトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人である。その後、偶然がいくつも重なって桜チャンネルの討論番組にでると、三回ほど連続してお目にかかり、録画の収録が終わってお茶をのんだりした。いや、氏はビールだった。直近は正論大賞の会がはねて「正論新風賞」受賞の新保裕司氏を囲む二次会。これは西部さんが事実上の主催者で三、四十人の編集者が中心だった。例によって新宿のピアノのおいてあるスナック。なぜか私と西部氏と二人して、「海ゆかば」を唱った。

 西部さんの書いているモノは基底にニヒリズムがある。十年ほど前に産経新聞に連載された仏教と死生観をめぐる随筆を読んだときに、わたしは不思議な感傷と抱いた。ずばり自死へのさりげない決意が随所で示唆されていたからである。
 そして本書は、このテーマが基底に沈んでいながらも、結局は自死にまつわる思考に収斂されていく。人生を締めくくる方法に関しての思索である。

 こういう箇所が否応なく、わたしの目に飛び込んでくる。
「この『平和』の日本国家あるいは『安全と生存』の日本列島では、『死の選択』という最も人間らしい行為が精神の病理現象として片付けられはじめ、(中略)逆らって僕は、自然死への人生行路にあっても、自分の思想が必要だと考えてきました。簡略に言うと、『これ以上に延命すると、他者(とくに自分の家族たち)に与える損害が、その便益を、はっきりと上回る』と予想されるようになれば、自死を選ぶということです」。

 そういえば、十年以上前だが、氏と会う毎に自死に関してつぶやくように言っていた。ピストルとか、麻薬とか物騒な話をさりげなく話のなかに挿入していて、わたしは全てをレトリックの魔術だろう、と憶測して本気に取らなかった。

 本書はレトリックの魔術師が思う存分の哲学的修飾を施して、いざ本質をはぐらかしているかにも見えるが、現代日本へのアンチテーゼである。日本の政治家は死から逃亡し、まつりごとは自死と対極の補償とシステムだけを論じている。日本の衰弱の原因の大きな要素は、おそらくこれだろう。

 自分の人生を自分の意思で終結させる。人間は本能によって生き延びる。だが、老醜をさらし周囲に迷惑を狼狽をかけるかもしれない自然死に対して、自死の思想があり得ると西部氏は語彙に力を籠めて現代日本人に問いかけているのである。 (以上、宮崎正弘氏)


★ 西部先生ご自身、ガンを患っておられることは知っていた。
  私は「日本の知性」たる西部先生を西田昌司先生のお話で知った。
  西田昌司先生の講演会で3冊の古い本を買って難しくて放置したままだった。
  西部先生・佐伯啓思京大教授・西田昌司氏3人の討論だった。

  私は別に読みやすいと思われる佐伯先生の本を何冊か買った。
  ワーグナーやリヒアルト・シュトラウスを勉強した時、ドイツの哲人のことも少しは知っていたが、
  佐伯先生の本は日本が軸になっていた。

  そこで西部先生の本を読むことになった。難しくてわかりにくかったけれど動画で西部先生の声でお話をきくと
  その驚異の表現・解釈にいつのまにか翻弄され、魅了されていた。
  再び本を買うことにして、今はほとんどを持っている。
  難しいので少しづつしか進まない。

  動画は楽しみだった。
  『西部ゼミナール』は古いのも見ることにしていた。ブログも自分の勉強と思ってUPしていた。
  講演会の動画は感動的だった。

  西部先生の本のあとがきに、可愛がっていらっしゃる中野剛司先生が見事な文をお書きになっていた。
  沢村修治先生もあとがきをお書きになっていた。

  また、西部先生は高校時代に知り合った夫人について、このようにおかきになっていた。
  「少なくとも自分のかたわらですでに7年にわたって癌病と付き合って生き長らえてくれている妻のそれと比べると
   私の死生の重みは語るに値しない」

  3月に夫人がお亡くなりになってからも、西部先生は『西部ゼミナール』をはじめ、水島さんの「討論」にも先月出演。
  しかし、その直後、水島さんは西部先生の名を挙げ「テロ」について、私には西部先生への誤解としか思えない発言を
  され、西部先生が偶然に?次の「討論」を欠席されたのを大変残念に思っていた。

  無知無学な私だけれど、西部先生の動画や本で、少しでも勉強したい。



ホロヴィッツが弾くショパン「ピアノ・ソナタ 第2番」
Vladimir Horowitz - Chopin Piano Sonata No. 2

・・・アメリカ、ホワイトハウスにて。第3楽章は「葬送」と言われているが、これは個人でなくてポーランド亡国という
「国家」の葬送であった。愛国者ショパンの最高作品のひとつである。
ホロヴィッツは旧ソ連からアメリカへ亡命、指揮者トスカニーニの娘はホロヴィッツ夫人。

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百田尚樹著『至高の音楽 クラシック永遠の名曲』を語る

2014年03月01日 | 読書
  
【感々学々】オリンピックの次の感動、『至高の音楽 クラシック永遠の名曲』[桜H26/2/28]


実はこの本は初版本を購入して、そのままになっていた。
私にとって読まねばならない本はあまりにも多く、(西田邁・佐伯啓思・月刊誌のWILL・正論、他に雑誌の表現者、申し込んでいる無料メルマガ、宮崎正弘氏の中国関係の本などなど)たまに料理本、掃除の本など)音楽については今更、という気持ちもあった。

作家の音楽評論は古くは「あらえびす」というペンネームで新聞記者であり、音楽評論家であり、そして作家として「銭形平次」を書いた野村胡堂、(これもペンネームで本名は野村長一、N女史が若き日、あらえびすこと野村胡堂に、シャリアピンやハイフェッツ、ガリ・クルチ、
などなど、実演に連れて行って頂いたり、当時貴重なレコードを聴くために、幼い娘(後の歴史文学作家)を野村胡堂氏のはな夫人にあずかってもらって、名演奏の数々に触れたと、生前N女史にお伺いしたことを思い出す。)文庫上下2巻の音楽評論の古い本を読み、1950年以前の巨匠たちの演奏について書かれたものを読んだりしていた。

そしてオペラ評論はあのドナルド・キーン氏の「音盤風刺花伝」「音楽の出会いと喜び」など1950~70年代の巨匠の時代ともいえる名演奏の実演を聴いたものやレコードなどを、素晴らしい内容で書かれたもの、他は雑誌の「レコード芸術」などの立ち読みで、聴きたい音楽を
想像したりしたもので、FM放送を待ちかねてトランジスタラジオで聴いたりしていた。

今回の百田尚樹氏のこの「至高の音楽 クラシック永遠の名曲」は、内容が充実していて、ハッとさせられる解説だった。
しかし、百田氏のこの本はドイツ・オーストリア音楽中心で、たまにロシア音楽、残念ながらイタリアオペラは「永遠のゼロ」を執筆中に聴いたマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、そして他にはロッシーニ「ウイリアム・テル」の序曲・・・か。

ヴェルディの「ドン・カルロ」や「ナブッコ」「オテッロ」などなど、ぜひ百田氏がお聴きになって感想を書いて頂きたいと思うのだけれど、作家の百田氏はイタリア語は、ドイツ語や英語の歌詞のように親しみがないのかも知れない。

百田氏の名著『海賊と呼ばれた男』で日昇丸事件を書いたときに、お聴きになっていたという1944年、フルトヴェングラー指揮のウイーンフィルによる覚悟の演奏、敗戦が濃くなり、明日の命さえ知れぬという時の凄絶な演奏という。
フルトヴェングラーは、ドイツを愛していた。ユダヤ系の楽員を秘かに逃したり、ドイツ音楽のレヴェルを護り、(時には誤解を受けながらも)音楽一途な高貴な精神が音楽から溢れる。

百田氏はこう書いている。

「フルトヴェングラーはナチスと敵対しながらもドイツに踏みとどまり、自らの命を賭して、国民に音楽を通して勇気を与え続けた偉大な指揮者
だが、この演奏はドイツの敗色がもはや決定的となっていた1944年の12月に行われたものである。
ここに繰り広げられている演奏は「凄絶」としか言いようがない悲劇的な響きに満ちている。
当時はウイーンも連日にわたって空襲され、演奏家たちもいつ死ぬかわからない状況下に置かれていた。
今まさに滅びゆこうとしている祖国を前にして、この演奏が生涯最後になるかも知れないという中で、フルトヴェングラーとヴィーンフイルの団員たちが悲痛な覚悟で演奏しているのが聴き取れる。」


ではその演奏のyoutubeを。ベートーヴェン『エロイカ(英雄)』1944年演奏。

Furtwangler Beethoven "Eroica" Vienna 1944 Mvt. 1 #1/2#(+ 再生リスト)・・・ながら聴きしてください。後半は特に感動的です。





☆ 百田さんの本ではありませんが、コメント下さったrimrom789さまに。
  アメリータ・ガリ・クルチです。
Amelita Galli-Curci - Home Sweet Home (Moore)


☆ 子供の時、サザーランドを聴いて圧倒されました。80代で先年亡くなりましたが、
  天下の美声、サザーランド引退公演です。
(1989) 'Home Sweet Home' Joan Sutherland


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西田昌司議員・百田尚樹氏( 『永遠の0』『海賊と呼ばれた男』の著者)  人生対談

2013年10月14日 | 読書
  


西田ビジョン「西田昌司×百田尚樹 人生対談」vol.1
「永遠の0」作者登場!小説を書く理由とは?」




西田ビジョン「西田昌司×百田尚樹 人生対談」vol.2 「結婚・夫婦・家族観」




西田ビジョン「西田昌司×百田尚樹 人生対談」vol.3 「国家論〜家族を愛し国を尊ぶ」




西田ビジョン「西田昌司×百田尚樹 人生対談」最終話 「幸福論〜今という現実を、どう受け止めるか」


☆ 百田尚樹氏の作品は『永遠の0』『海賊と呼ばれた男』(上下2巻)を読んで、大変強い感動を受けました。
  読みだしたらやめられない、そして出征する兵士、また戦後の焦土の中で「信と義」を重んじた商人の目覚ましい仕事、
  それは自分のためにするものではなく「国の為にする」という大きな信念に、心底心を揺さぶられました。
  ここにはその感動をうまく書けません。静かに大切にとっておきたい思いです。
  西田昌司議員と百田尚樹氏の人生対談、長いのでお時間のある時に、区切ってお聴きください。
  また、11月23日は西村眞悟氏と百田尚樹さんの講演も予定されているそうです。
  これはぜひ聴きたいと思っています。『国家の再興と日本人の誇り』大阪府堺において 、くわしくは下記リンクをクリック。
http://www.n-shingo.com/yotei/



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私の「読書の秋」~おもしろい藤井聡京大教授の本、その他、たくさん買った本一覧表

2012年10月05日 | 読書

子どもの時から本は大好きだったけれど、老親介護などで本はツンドクになっていた。
父も亡くなり、時々ボーッとしているが、子どもの時からの親友(悪友?)パンダ夫人に影響され、ヤル気をださないといけないと思い、本を買った。
「こんなに」と思うほど・・・「こんなに買って読めるの?」って自分でも思ったが、藤井教授の本は意外なほど面白い。
私は科学や経済に人並み以下の知識すらない、こうした理系の本など、今まで興味なかった。

ところが藤井教授の本は面白くて、話の内容に幅があって、私でも喜んで読めるのだ。
「もう寝る時間だ」と思っても読んでしまう。
実は藤井教授の講演を聴くための「予習」のために買ったのだけど、「かっぱえびせん状態」である。

本は「列島強靭化論」・・・序章【強靭な精神をもつ日本人】
             第一章【巨大地震はすぐまた起こる】
             第二章【東日本のふるさと再生】
             第三章【日本経済の復活】
             第四章【列島強靭化のための八策】
             終章 【未来を変える】          文春新書760円+税

「日本破滅論」(これは中野剛志先生と対談)・・・第一章【大地震を食う】~危機論
                        第二章【学者・官僚・メディアの嘘】~パラダイム論
                        第三章【新幹線と失われた20年】~物語論
                        第四章【沈黙のらせんを絶て】~政治論
                        第五章【マクド経済論が世界を蝕む】~経済論  文春新書770円+税

「救国のレジリエンス」・・・・・講談社 1500円+税  


他にも何冊か買っている。
「激論 日本の民主主義に将来はあるか」(岡崎久彦・長谷川三千子)・・・・・海竜社 1800円

「約束の日~安倍晋三試論」(小川榮太郎)・・・・・幻冬舎 1500円+税

「橋下徹、ニヒリズムの研究」(森田実)・・・・・東洋経済新報社 1500円+税

「漢詩を読む」日本の漢詩、幕末から昭和・・・・・NHKラジオテキスト 定価800円

「人間の縁(えにし)」(浅田次郎)・・・・・海竜社(新書) 880円+税

などなど・・・他にNHKの語学の本数冊・・・。

でも何もできていない。
勉強しようと思っていたら「帯状疱疹」になり、医師に「絶対に無理をしてはいけない、気楽にゆったりとして疲れをためないで」といわれ、それを「固く守っていた」からである。(笑)

おかげさまで、今日、医師に「もう大丈夫」と言われ、これで元気に過ごせるし、三宅博先生と藤井教授の「救国講演会」も拝聴できる、でも「予習」が・・・。本、まだ初めのほうなんです・・・・。
それに無事に行けるかどうか・・・今日も駅に行って電車の乗り換えなどを訊きに行ったのだけど・・・。
先月の「西村真悟・田母神」両氏の講演会は堺まで無事に行けたが「乗車券」を失くすし・・。不安。
 

10月5日のアクセス数 閲覧数:5,869PV


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【直言極言】吉本隆明氏の「言葉」を振り返る[桜H24/3/23]

2012年04月02日 | 読書
【直言極言】吉本隆明氏の「言葉」を振り返る[桜H24/3/23]


水島さんはさすが作家、よくわかるように説明されている。
吉岡氏は「空間」を、三島由紀夫氏は「時間」を・・・これは非常にわかりやすい。
そしてkenさまがコメントに書かれていた「個人」というイメージがわかるような気がする。
私はまだ「個人」というのを漱石や欧外らのことで考えていた。

吉岡氏と三島氏、三島由紀夫氏は自害された写真を偶然、それも首を、その事件の何十年後かの新聞で見てしまって、トラウマになっていた。電車に乗っていたとなりの人の新聞をのぞき見して・・・真っ青だった。
怖いのは避けようという情けなさ、吉岡氏のことは西洋音楽をやってきた私には「空間」というのがわかりやすい。
ワーグナー「タンホイザー」もそうだし、・・・ヴェルディはちょっと違うかな?
それにしても吉岡氏の詩2編、素晴らしい・・・。
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