ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

「尖閣」研究第一人者の漢学者、石井望先生・【討論】迫る戦争の危機!その時日本は

2017年04月29日 | 政治

三宅博先生の告別式に、昨日長崎から駆けつけてくださった「尖閣」研究第一人者の漢学者で大学准教授の石井先生に本日お会いして直接お話を伺った。
私は石井先生の講演会は昨年九州に二度参加して学者としての石井先生のご活躍を三宅先生にお知らせしてきた。
(石井先生と三宅先生はかつて東京でも「尖閣」問題を演説で訴えられてこられた)

石井先生は「三宅先生以外に投票は考えられなかった」と仰った。

政治家の三宅先生と学者の石井先生の共通点はまっすぐで仕事に関して決して妥協なさらないところであり、互いに尊重し合ってこられたのがよくわかる。
石井先生は一見ソフトだがなかなかの日本男児で、三宅先生が「今後、石井先生のような私欲のない国を思う学者が必要だ」と称賛されていた。

石井先生は「尖閣は領土としてだけでなくその歴史を理解し広めることが大切だ」と仰った。

石井望先生のサイト・・・http://senkaku.blog.jp/

石井望先生「八重山日報」・・・https://www.yaeyama-nippo.com/2017/01/15/%E5%B0%96%E9%96%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E5%9C%8F-%E7%9F%B3%E4%BA%95%E6%9C%9B%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88%E3%81%8C%E8%AC%9B%E8%A9%B1/
                 


【いしゐのぞむ】尖閣有史四百八十年~誰が尖閣発見命名者なのか?[桜H26/6/10]




★ 「今週の討論」

【討論】迫る戦争の危機!その時日本は[桜H29/4/29]

◆迫る戦争の危機!その時日本は

パネリスト:
 荒木和博(特定失踪者問題調査会代表・拓殖大学海外事情研究所教授)
 潮匡人(評論家)
 鍜冶俊樹(軍事ジャーナリスト)
 篠原常一郎(軍事評論家・元日本共産党国会議員秘書)
 野口裕之(産経新聞政治部専門委員)
 本村久郎(元航空自衛隊幹部学校教育部長)
司会:水島総


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三宅博先生、天上から日本をお護りください。「日本安泰・世界平和」と新年に祈られた。

2017年04月28日 | 政治


4月28日主権回復の日、三宅先生の告別式に参列。
心の中は大きな空白、在りし日の三宅先生のお言葉をひとつひとつ思い出す。

「ああ、もっと勉強したかったなあ」って三宅先生は仰っていた・・・天よ、あまりにも悲しくむごいです。
三宅先生は「強いお方」だった。それだけに心が痛んでたまりません。

神社の絵馬にご自身のことはひとつもお書きにならないで「日本安泰・世界平和」とだけ記されたのです。


私は25日から神社参拝ではなくて、参道の泉で「神様、三宅先生の魂をどうぞ安らかに」と祈りました。
今は心静かに祈ります。



長崎から「尖閣」研究の第一人者である長崎純心大学准教授で漢学者の石井望先生が来られ、三宅先生のことをたくさんお話しました。
三宅先生は石井先生のことをよくお話されていて「共に講演をしたい」と仰っていました。

石井先生は「保守の中でも三宅先生のお話は一切曇りがありませんね」と仰いました。
同じく漢学者で80代の大阪大学名誉教授の加地伸行先生が述べられる弔辞にじっと耳を傾けていらっしゃいました。

三宅先生のことを「心が清まる雰囲気」と仰いました。
石井先生はすべてわかっていらっしゃる、一瞬にしてすべてを理解なさいます。

私は三宅夫人にご紹介し三宅夫人も三宅先生からお話をきいていらして、よく石井先生のことをご存知です。


また吉水神社の宮司さまがこのように書いていらっしゃる。2012年12月25日のことだった。

昨日は三宅博衆議院議員が、雪をかき分けかき分けて
雪の吉野に・・這うようにして
雪だるまのようになりながら・・やって来られた!

吉水神社に当選のお礼参りに来られた!
水墨画の世界で・・・吉水神社の書院の縁側で語った
三宅博先生が突然・・・・吉野山全域に響く声で「雄叫」を上げられた

「日本を守るぞ・・・日本を守るぞ!」と大音響で叫ばれた!

宮司はびっくりしたが・・・・
胸が熱くなり
何故か涙が出そうに嬉しかった! 

 
 
 

・・・「愛国画報」のyohkanさま、アメリカから絵をありがとうございます。
三宅博先生ご昇天、天空から日本を見守っていらっしゃる・・・



同じくYohkanさまによる「日本放送協会七転八倒の図」です。









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【クライン孝子氏】三宅博氏の思い出とドイツの女性パワー、私、三宅先生のお通夜に行きました。

2017年04月27日 | 政治
  
【言いたい放談】三宅博氏の思い出とドイツの女性パワー[桜H29/4/27]


冒頭のお話はクライン孝子さんが昨年11月に三宅博前衆議院議員と「皇統・皇室」の講演会でふたりで楽しくお話されたこと、そして三宅先生を「純な人」と仰る。
三宅先生もクライン女史とお話をしてすっかり意気投合、三宅先生は「クラインさんを三宅主催の講演会に呼べたらいいな」と仰っていた。
私は「ぜひそうなさってください」と言ってわくわくしていた。
クラインさんは戦場の最前線にも行かれた「行動するジャーナリスト」である。
そしてメッセージで素晴らしい夫君を亡くされた三宅夫人に優しい言葉をお伝えになった。

三宅先生は本当に純なお方で、私は三宅先生を心から尊敬・支持し誰にも負けない三宅ファンになってしまっていた。

下記に書き足しました。

そして「純な心」だけでなく、大変厳しく鋭い観察力と判断、また絶対に媚びず堂々たる論陣を張られた。
何でも集中して勉強なさり読書も数多くされて、三宅先生のファンには学者の方やインテリが多かった。
三宅先生は恐縮なさっていた。先生が威張っているのは見たことがない。

先生は文学歴史、芸術も本気で勉強されていて、何でもパッと頭に入り、絶対に忘れないという俊英だった。
大学は59才になってから行かれたが、それまでのご自身でなさった勉学はものすごかった。

先生はこう書かれている。

「当時は家庭の経済的な事情もあり行くべき時期に大学に行けなかったが、平成21年に平沼先生の知遇を得て、平沼グループから無所属で衆議院で立候補したが落選、(その前は地方議員をしていた)その時58歳で次回選挙までの約4年間をいかに過ごそうかと考えた。
ようやく子供たちも成人して子育ての責務からも解放され、国政に出るまでの猶予期間を勉強の時間と捉え、大学に行こうと決意し59歳で入学し18歳の若者たちと机を並べた。」

http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/5914d91997ada71ffa9869cb79549b7b

間違いなく天才タイプだったし、下書きもなしに頭の中で文を組み立てる凄さは古代の「ホメロス」と私は讃えた。
私は嬉しくてオペラのお話までしてしまった。例えばヴェルディ「ドン・カルロ」「アッティラ」など。
ロドリーゴやエツイオという「国士」の役柄を三宅先生にイメージを重ねた。

このお方は「卑怯」なところなど微塵もない。
情にあつく一生懸命生きる人に優しく熱血漢だ。


そんな素晴らしい三宅先生が亡くなってしまった・・・日が過ぎるにしたがって、ますます辛い気持ちになる。
亡くなる日の午前中は心拍数も正常だったということだった。
容態の急変は突然のことだったようだ。


今日は八尾で三宅先生のお通夜だった。
会場は大ホールのように大きかったが、満席になってその後ろには何百人もの方々が立っておられた。

全国各地から来られたようだ。

多くの方々が涙を浮かべていらっしゃった。
三宅先生はどれだけ多くの方々に敬愛されてきたことでしょう。

私は三宅先生の思い出はどれもなつかしく大切だが、何でもない一場面が今も心に残る。
厳しい選挙戦の時、先生はご自宅の庭から黄色い小さな花の枝を持って来られた。
とてもうれしそうで、ニコニコされていた。
幸せいっぱいの表情で、国会では強い三宅先生がこんなに可愛いしぐさを・・・今もそのお姿が目に浮かぶ。
三宅夫人から伺ったお話で、弱った猫を自宅に持ち帰り面倒をみて救われたそうだ。
また選挙演説中、踏切をくぐって線路に行ったおばあさんを救われたりなさった。
勇気がありとても心優しい先生。

また仲の良いご夫婦で、おふたりがふと手をつないでいらっしゃったのを見てしまった。
ステキなことですね。



イタリア在住の声楽家、Mirtilliさまが素晴らしいお言葉を伝えてくださった。

>天命はあると信じております。
天からいただく命、天にやらせていただくこと。
美しく咲き誇った桜の花が散る時季に
花びらと共に散って逝かれた三宅博さん。

これから新緑を迎え
緑が爽やかに深く薫る季節を迎えます。
新緑と共に三宅先生は帰っていらっしゃいます。
日本を護り、世界を護り、
人々の魂安らかなれと。


日本が、世界が良き方向へ進むべく
天においても地においても、
愚かな私たちを護ってくださいますよう。
(Mirtilliさま)

ああ、だめだ・・・こらえにこらえていたのに泣いてしまう。
緑の季節!!・・・美しい桜が散ったのち、若々しい緑が心を和ませることでしょう。

もちろん、yooutube後半のクライン孝子さんはヨーロッパの動静をお話になりますので、どうぞそのままお聴きください。





★ シューマン作曲「蓮の花」 名歌手フリッツ・ヴンダーリヒが歌っています。

Fritz Wunderlich singt "Die Lotosblume" Schumann



 

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三宅博先生を偲んで・・・

2017年04月25日 | 政治
 
★ 三宅博前衆議院議員のご逝去を悼んで・・・
 
【Front Japan 桜】訃報-三宅博氏逝去 / 他[桜H29/4/25]

・・・7分38秒まで生前の三宅博先生が映っています。

三宅先生の言葉が迫ります。
「この現実を前にして甘い日本が、ましてその中で政治家が自分の手柄を遺そうとか歴史に名を刻もうとか、こんなことをしたらとんでもない、国の政治を誤る原因になるんです。
政治家というのは手柄を取りにいくなどと絶対にしてはなりません。
何よりも国益を最優先にしてその中で自分がどんな形で消え去っても覚悟を決めてやっていくべきなんです。 名を遺そう・手柄を遺そうというのは政治家が最も政治を誤る根源的な部分があると思います。」


またチャンネルajierでは、三宅博先生の「追悼特集」として動画を近日中に公開される予定です。

★ 三宅先生のご逝去に、多くの追悼の文が寄せられています。

・芳賀健介さまより(在グアム)
三宅さんは現代版侍でした。まさに維新の志士でした。我が国の将来を憂い、例え安倍総理の評判が高くとも大声で「正すべきは正せ」と言い放つことのできる誠の憂国の士でありました。 
今年のグアム慰霊祭は神社建立開眼式ということもあって是非三宅さんにご出席を、と話し合っておりました。実に無念です。
我が国の政治は精神的に未だ混乱、混沌としています。その理由を各識者がそれぞれの分野で挙げますが、それが道理であるにせよ解決できる見通しがありません。それが益々世の中を混乱に導いているようです。そういう混濁の中であればこそ有言実行を信条とする政治家が我々には必要です。三宅さんはまさにそのお一人でした。何が残念といって、こういう有為の志士を大海に放つ前に失ってしまったことです。それがたまらなく悔しいです。
 三宅さんは私達に希望と励ましを残してくれました。
 それは永遠に残ります。心からお悔やみを申し上げます。(芳賀健介さま)



・「さくらの花びらの『日本人よ誇りを持とう』」ブログより
https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34698229.html ・・・リンクを貼りなおしました。クリックしてご覧ください。

「正しい歴史認識」coffeeさんのブログ、三宅先生追悼http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6643.html#comment


そして本日、「愛国画報」のyohkanさまからブログエントリを頂きました。
ありがとうございます。ぜひ下記のリンクをクリックしてご覧ください。
三宅先生追悼の文と2枚の絵があります。
一枚は三宅先生が「旭日旗」を持って昇天された絵、もう一枚はおなじみの「日本放送協会七転八倒の図」です。

http://yohkan.seesaa.net/article/449338001.html

>憂国の士、前衆議院議員の三宅博氏が昨24日、逝去された。突然の訃報に呆然とする。

日本一真っ当な政治家だったと云っても過言ではないだろう。堂々たる論陣を張って反日勢力の悪事を暴き、我が国が抱える深い闇に光を当てた。

朝鮮総連、日教組等々の反日謀略組織を相手にして一切怯まず、文字通り命を懸け、そして命を削り、正義の聖戦を繰り広げてくれた。

先生の至言が心ある同胞を覚醒させ、勇気付け、あるときは感動させた。疑いなき正論で、彷徨える日本人に道標を与え、進むべき方向を示した。

これだけの人物でありながら、2012年に維新の会から衆院選に出馬して当選を果たすまで、全国的に知名度が高かった訳ではない。その存在を知ったのは、べッラさんのブログのお蔭だ。

憎き犬HKを糾弾する雄々しい姿勢に心を震わせ、下段のイラストを作画した際、三宅先生がご自身のブログに掲載して下さったことが嬉しく、懐かしい。

天空の彼方から、先生は必ずや、優しい眼差しで祖国日本を見守ってくれる。残された我々は師の教えを思い起こし、胸に刻み、愛国の戦いを続けるしかない。

心よりご冥福をお祈りします。合掌。
(yohkanさま)



・長崎純心大学准教授で「尖閣」問題研究の第一人者、漢学者の石井望先生も突然の三宅先生の訃報に悲しまれ、長崎から大阪に駆けつけられると伺いました。


・Yahoo!の「三宅博氏 ご逝去」ツイート集より
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?ei=UTF-8&rkf=1&p=%E4%B8%89%E5%AE%85%E5%8D%9A+%E3%81%94%E9%80%9D%E5%8E%BB


★ 親しい友人のF子さんは電話でも涙が止まらず、今日はF子さんとお会いして三宅博先生のご遺徳を偲びました。

どれほど長くお話したか時を忘れるほどでした。

私は大阪のスタンウエイのグランドピアノで三宅先生のために3曲弾きました。

一曲目は即興演奏で三宅先生の気高さをあらわしたバラード、二曲目は「わすれな草」(non ti scordar di me)
三曲目はオペラのアリアから・・・です。

またF子さんは泣いてしまいました。「悲しくてお酒を飲んで眠っている」と仰いました。
私は試しに「お酒」を飲んでも全く酔えないのです。悲しみをこらえながら心が震えました。

(私のブログに皆様から頂いたコメントのお返事、少しずつ書きます)


三宅先生の御快癒をお祈りして毎日かかさず神社に参拝していました。台風の日も、帰りが遅くなった夜中でも参拝しました。

私が参拝する神社は今春特に桜の花が長い期間見事に咲いていました。例年よりも長く咲き誇っていて大変美しかった。

三宅先生は桜の満開の最も美しい時にお生まれになり(4月7日)、そして今年はいつもより長く咲いていた桜が散ってご逝去された、・・・今年のお正月に参拝された三宅先生が「日本安泰、世界平和」と書かれた絵馬に毎日深く礼をしていました。

三宅先生のお声。お姿、笑顔、そしてきりっとなさった政治姿勢、今は思い出すことがとても辛いのです。

そしてずっと看病されてきた三宅夫人、お疲れとご心痛が心配です。
仲睦まじく、いつも夫人は三宅先生を支えていらっしゃった。

三宅先生は「のこされたほうが辛いのだから」って仰っていた。

三宅先生は「私には老後もプライベートもない。国の立て直しのことを考えている」と強く言われていたことを思うと、一支持者として感謝あるのみでした。だから私は一生懸命応援し強く支持する、これが何よりも喜びでした。


・・・三宅先生の笑顔最高!!




フリッツ・ヴンダーリヒが歌う「わすれな草」(ドイツ語歌詞)

Fritz Wunderlich: Non ti scordar di me

ドイツ在住のクライン孝子さま、三宅先生への哀悼のお言葉ありがとうございました。
ドイツ語で「わすれな草」を。


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三宅博先生ご逝去、謹んでご冥福をお祈りします。

2017年04月24日 | 政治

国士、三宅博先生が本日ご逝去されました。






謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



・・・三宅先生がよく語られた美しい風景・・・

先生をずっと支持してきました。いつも三宅先生の応援で幸せでした。・・・悲しみのベッラより

今はこれだけでお許し下さい。




「三宅博前衆議院議員」のお通夜とご葬儀の日時と式場のお知らせです。

通夜 4月27日(木) 19:00〜
葬儀・告別式 4月28日(金) 11:00〜

式場 八尾市・八光殿南植松(はっこうでんみなみうえまつ)
   八尾市南植松町4-141 (JR八尾駅徒歩15分 Tel 072-940-7196)

喪主 三宅育子様(夫人)

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