オペラのプリマドンナの演技力について徒然なるままに、書いてみます。
演技力で絶賛されているのは、カラスとステッラが双璧でしょう。共通点は音楽と演技が密着している、そして顔の向き、手の表情、ただそれだけで大きくドラマをアッピールしています。
違いはカラスが全体の中のひとりとしての動きより、能でいうと「シテ」としての、絶対的な主役として存在感を示していることです。「ノルマ」「トスカ」などの映像から、仇役、恋人役などいつも彼女の動きが中心です。来日時のディ・ステファノとのリサイタルでもそう思いました。彼女はソロでも舞台を彷彿とさせる雰囲気を、強烈にだしてきます。
一方のステッラは登場時、華麗でそこはかとなく美しい雰囲気というエッセンスを香らせながら、その場のドラマにとけ込みます。決して「私が!」という強烈な主張はしませんが、聴衆はそこでただごとではない緊張感で引きこまれます。
さらに相手の歌を包み込み、受けとって自分の気持ちをごく自然に、音楽と共に出していきます。ヴェルディのヒロインの「理想的な」演技が憂いを含んだ声とマッチして、他をたてながら、自分の持てる魅力で包み込むのです。
トウッチは発声を助けるための演技、テバルディは女王として毅然たるものですが、お色気ゼロ、人畜無害の善良なプリマドンナです。
スコットもそう、カラスに「じゃがいも」といわれたそうですが、そのじゃがいも夫人で歌に全力投球、ダイエットしてからは60歳を過ぎてバレエのレッスンに通い、演技力に磨きをかけました。努力の人でしょう。
フレーニはオペラの東海林太郎、いつもまっすぐ前を向き、声をどこに響かせるかを考えています。彼女は自分の声質より大きな役を歌うことも賢明ですから知っています。声を響かせることが、まず第一なのです。それと正直に申し上げて「演技的センス」はゼロに近い、です。華奢だからわからないだけで、同じ位のゼロに近い演技力なのに大損をしているのがカバリエです。出てくるだけで「ごくろうさま」ですが、全盛期は声のツヤで受けいられていました。「大物然」にも見えました。
ところで、似たような体格なのに、わりときめの細かい女性らしさを感じさせるのが、ノーマン。彼女のジークリンデは良かったです。
オペラ歌手、テノール編、バリトン編も書いてみたいですね。つぎの機会にぜひ。
演技力で絶賛されているのは、カラスとステッラが双璧でしょう。共通点は音楽と演技が密着している、そして顔の向き、手の表情、ただそれだけで大きくドラマをアッピールしています。
違いはカラスが全体の中のひとりとしての動きより、能でいうと「シテ」としての、絶対的な主役として存在感を示していることです。「ノルマ」「トスカ」などの映像から、仇役、恋人役などいつも彼女の動きが中心です。来日時のディ・ステファノとのリサイタルでもそう思いました。彼女はソロでも舞台を彷彿とさせる雰囲気を、強烈にだしてきます。
一方のステッラは登場時、華麗でそこはかとなく美しい雰囲気というエッセンスを香らせながら、その場のドラマにとけ込みます。決して「私が!」という強烈な主張はしませんが、聴衆はそこでただごとではない緊張感で引きこまれます。
さらに相手の歌を包み込み、受けとって自分の気持ちをごく自然に、音楽と共に出していきます。ヴェルディのヒロインの「理想的な」演技が憂いを含んだ声とマッチして、他をたてながら、自分の持てる魅力で包み込むのです。
トウッチは発声を助けるための演技、テバルディは女王として毅然たるものですが、お色気ゼロ、人畜無害の善良なプリマドンナです。
スコットもそう、カラスに「じゃがいも」といわれたそうですが、そのじゃがいも夫人で歌に全力投球、ダイエットしてからは60歳を過ぎてバレエのレッスンに通い、演技力に磨きをかけました。努力の人でしょう。
フレーニはオペラの東海林太郎、いつもまっすぐ前を向き、声をどこに響かせるかを考えています。彼女は自分の声質より大きな役を歌うことも賢明ですから知っています。声を響かせることが、まず第一なのです。それと正直に申し上げて「演技的センス」はゼロに近い、です。華奢だからわからないだけで、同じ位のゼロに近い演技力なのに大損をしているのがカバリエです。出てくるだけで「ごくろうさま」ですが、全盛期は声のツヤで受けいられていました。「大物然」にも見えました。
ところで、似たような体格なのに、わりときめの細かい女性らしさを感じさせるのが、ノーマン。彼女のジークリンデは良かったです。
オペラ歌手、テノール編、バリトン編も書いてみたいですね。つぎの機会にぜひ。