ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

気になる「道州制」と「愛国無罪風暴言コメント」

2008年06月30日 | 政治
 橋下知事のNHKスペシャル見ましたが、ますます落ちこみます。
どうも今のままでは救いのない借金まみれの大阪、やがて道州制になっていくことの「予告編」みたいな番組でした。

おそらくこのままでは財政再建はキビシイと思います。

銀行の合併よろしく近くの県が寄り合って「道州制」になると、国防や外交は国、その他直接生活に関わることは「道州制」で解決しようと、するわけですね。

これについてはいいのかどうか、論議されていくことでしょう。
私も疲れてしまいました。
でも、これだけは止めてほしいこと・・・ヤフーさん、ヤフーニュースの橋下さんについての「コメント欄」を見ると、フィレンツエの落書きもここまでは、というひどいもので、「コメント」などというより、チンピラの落書きに等しい!デス。

ヤフーさん、これは氷山の一角ですが・・・
(コメント一部紹介します)
①公務員がクズばかりだからこうなった。
②役立たずの公務員どもを自衛隊に送りこんでイラクに派遣して「もう帰ってくるな」
③大阪の職員を一度全員解雇して、まともな人だけ再雇用できないものか。

書き出したらキリがありません。
こんな「言葉の暴徒」を放し飼いにしておいていいのでしょうか。
下品な言葉を撒き散らし、暴言・落書きのようなものをどうして受けつけるのでしょうか。これが建設的な意見でしょうか。中国の「愛国無罪」を真似たものでしょうか。
悪意に満ちたこれらの言葉に近いようなことを、普通の人も何気なく流行のように言って、心無い「ウサ晴らし」をしているような雰囲気がたまらなく心配です。

せめて「コメント」欄がゴロツキのようにならないよう、堂々と意見を交換し、互いに啓蒙できるようにしたいものです。
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ささやかな家出

2008年06月19日 | 生活・介護
 昨日の夕方、疲れてフローリングの上に寝てしまいました。
介護ってきれいごとじゃないなあ、体力が限界!と思いました。

時にはどうがんばっても、どうにもならない、出口もない絶望感があります。
ついに!「ささやかな家出」をしてしまいました。

いろんな気持ちがからんで、不安定になっていたと思います。            朝のニュースで橋下知事が40~50代の府職員を自衛隊体験をさせたい、というのにイライラしました。

朝日テレビの「おはようコール」は外人さんのコメンテーターで、この意見には否定的でした。府職員を戦いの訓練のような体験をさせることがプラスにはならない、40~50代の人は体力的にもきつい、もし犠牲者が出たら橋下さんはどう責任をとるのか、外国でもこのようなことをした企業があったが、うまくいかなかった、という感想。

「朝ズバッ」では、ゲストが「いいんじゃないんですか」というと、みのもんたも賛成していました。(風見鶏が!)
こんなにいいかげんなことを言っていいのでしょうか。
これでは府職員をまるごと誹謗中傷しています。真面目な人がやりきれないでしょう。
人権も何も思いやらず、一方的に集団で非難する・・・これは卑怯です。
「税金を払っているんだから」というのも卑しい表現です。
その税金を搾取しているんだったらともかく、まるで罪人扱い、これでは人間の尊厳を侵しています。
社会保険庁など、いいかげんで許せない事件も重なってこうなったのでしょうけれど。

このことで「法律のくすりやさん」が明快に書いて下さっていたので、救いはあったのですが。
公務員=バカという決め付けかたは、ある種の暴力です。それも集団の・・・。
民間もいろいろな問題がありますし、困った人も困ったトップもあります

そう考えて、疲れてフローリングの上でゴロ寝してしまいました。
ボカッと父が私の頭を蹴ったのです。前の日ははゲンコツで私の頭を殴った・・・もういやだ、と家を出ました。

「もういや!私は自分の人生がある!」と心の中で叫びながら、書店に行き、本売り場でウロウロしました。
「時計なんか見なくてもいいじゃないか、私はもう、これ以上我慢しなくてもいいんだ」と一時間過しました。
でも「外に出ていないか」「トイレで困っていないか」と気になってきて・・・ここで私の家出は終りました。

父に食事をさせ、薬を飲ませて、いつもの生活に戻りました。
ヘルパーさんとコーディネーターさんに、若き日の父の戦争体験や勉学に対する情熱など、子供として誇り高く思って話していたのに・・・自分が情けないです。
父は父なりに在宅酸素をして、一生懸命がんばっていると思います。
私が瞬間的に我慢できなかっただけのこと・・・。

いつもだったら五分も父をひとりにしていなかったのに・・・。
しかし、橋下は許せん!「尊敬などできないよ。中国での買春もODAと言った人格なんだから!そのうちに若者達も自衛隊体験を教育の一環に!と言うつもりだな」と思うのです。
また怒りがこみあげてくるようでした。

「ささやかな家出」で危機脱出。
こうして自分自身の精神的バランスをとっているのかも知れません。
突然、耐えられなくなる、という危うさがあり、最近めったにない「敗北感」でした。
でも、父がかわいい、血がつながっているというのは理屈ぬき?
時には自分をいたわってやらないと・・・無理がきていたんだなあ、と思います

コメント (2)
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介護者にも優しいヘルパーさんの存在

2008年06月17日 | 生活・介護
 老親が認知症で夜もウロウロ、風邪をひかせてはいけない、転んではいけない、と夜も介護をする私の神経は休まりません。
朝になってうっかり寝過ごすこともあります。
ヘルパーさんはあきれていらっしゃるだろうなあ、と自己嫌悪におちいることも多いです。

でも、ヘルパーさんが来られることによって、市場に買物に行ったり、外回りの掃除もできます。それよりも、こうした私の情けない気持ちがほぐれてきて、有難いことだと感謝しています。

私はもう進歩なんかない、その時その時の生活をして自分のことなんてできない、それにどんなに優しく丁寧に世話しても、わけのわからなくなった父にカンシャクを起こされ、叩いたり蹴ったりされて「出て行け!」と怒鳴られ、私の気持ちなどずっと後回し、どうしたらいいのかわからない、自分の至らなさにも愛想がつきることもあります。

一番つらいのは母がとっくに亡くなったことを忘れ、「どこに行った?」と聞くことです。母を失ったということは、何年たっても心が癒されず、ぐっと気持ちをこらえたまま、気持ちを押し殺して、今しなければいけない用事をすることで今まで紛らわせてきています。
母への思慕は何年たっても増えるばかり、でもその気持ちを出せば、もう何も出来なくなるように思うのです。

「竹馬の悪友」であるパンダ夫人もそうです。大切なご両親を亡くし、心のうちは痛いほどわかります。
ふたりとも、お互いの気持ちがわかりすぎているだけに、決して涙を見せません。
それがエチケットというか、精一杯の思いやりのように感じるのです。

「もう会えない、声もきけない」こんな悲しいことを毎日気持ちを押し殺しながら、私は父の介護を、パンダ夫人は猛烈に仕事に打ち込んでいます。
また、パンダ夫人はヨン様に、私はカップッチルリに・・・。

でもあの「ちりとてちん」これはコタエルのです。
どらえもんの「のび太」も「ちびまる子ちゃん」も母親が元気に活躍しています。
・・・しあわせなマンガも、少しコタエマス。
そして、母の日、もうこれは自分の至らなさをいっぱい感じて・・・そしてコラエル以外はありません。その日もカーネーションは赤です。

何もなくても、家族が揃って無邪気に笑えた日々は幸せでした。
今は私が懸命に家を支え、笑って暮らすことが大切です。そしていつも「今のしあわせ」を感じて暮していこう、と思っています。
そして優しいヘルパーさんによって、介護を受ける父だけでなく、私も確実に心を癒されているのです。いつもいつも感謝しています。
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男の嫉妬!

2008年06月16日 | 中国文化・歴史
 『史記』に出てくる范蠡(ハンレイ)という賢人が乱世での生き方を身をもって示したのが「明哲保身」であったと本で読みました。また彼は戦乱のどさくさにまぎれて、絶世の美女西施を妻にした、といううわさが・・・

NHKテレビで「嫉妬」のシリーズ、しかも男の嫉妬ですが、権力・野望から恐ろしい争いになる史実(これは映像よりテキストのほうが良かったですが)劉邦と韓信、東條英機と石原莞爾など、そうそうたる顔ぶれでした。
そして最後はいかにしてそのいわれなき嫉妬をかわすか、など実例をあげて説明していました。わあ、嫉妬をかわすためにそんなに気をつかわなければいけないの?とそのほうが大変、と面倒に感じたりもしました。でもそれで命拾いができるのなら!

でも、『史記』のヒーロー、っていうより、渋い脇役ですが苑蠡はそれを予期しうまくかわした賢人、彼は残念ながらそのテレビ番組には登場しませんでしたが。
彼の示した生き方、「明哲保身」というのは、鋭く深い洞察力(明哲)で乱世を生き抜く(保身)という意味で、さすが素晴らしい言葉、保身といえば姑息なように思っていましたが、もとはこんな意味だったのか、とひとつ賢くなりました。

また、『史記』の時代に生きた筍子の「青はこれを藍よりとりて、しかも藍より青し」という美しい文があり、色彩まで鮮やかに私の心に響いてきました。

でもそこにも「嫉妬」はあるようです。師匠より才能に恵まれた弟子を嫉妬し、したり顔で陥れる、ということが・・・。
「師匠」というのは大変大きな存在で、「師」だけでなく「匠」という字もつくのですから。優れた才能を目にして実際にくすぶる気持ちもあるでしょうけれど、弟子にさらに良い方向へと指し示す高潔さが、才能や技術という面を大きく乗り越え、弟子が仰ぎ見るようになると思うのです。

実際に「師匠」の名に値しない小人がどれほど有為な才能を貶めてきたことでしょう。
私に文才でもあれば、このテーマで小説を書きたいですが、残念ながら才能のある作家の本でも探すことにしましょう。
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烈士暮年、壮心やまず・・・父の日

2008年06月15日 | 生活・介護
 今日は父の日です、といっても私の父は毎日「父の日」と「お正月」ですが。

レイテ戦での生き残り、終戦を知らず、やっと12月に投降し、米軍の捕虜になるもかつて学校で学んだ英語が通じ、米軍側との交渉に役立ち、同じ捕虜仲間に感謝されたとききます。
そういえば、私が小さい頃、商店街でアメリカの人に何か尋ねられたのか、流暢な英語で談笑していたことを思い出します。

父は私と違い、よくできて特待生で法学部を出たのですが、検事になるよりはやく家族(親や妹)を養う為に商社に入りました。その試験の論文はドイツ語で書いた、といいます。

私も声楽ですので、高校時代からドイツ語を勉強しましたが、とてもとても。
人から譲り受けた古い辞書しかないのに、どんな勉強でマスターしたのかわかりません。
「本当は検事になりたかった」といつも言っていました。

そして今、父は一切忘れたように「認知症」になり、私がすべて世話を引き受けています。
食べたことを忘れたり、自分の家であることもわからなくなったり、夜は寝ないで玄関の鍵を開けに行ったり・・・私はそんな父をいとおしく、かわいいとも思うようになりました。
父がしっかりしていたころは、私を「楽隊が!」と軽くみていたのに、そして私も強く反発していたのに。
ごめんね、と今親孝行しています。育ててもらった何万分の一も恩返しできない、永久に負債?は残りますが、音楽家の私は、父と正反対の考えを持っていたし(強い父だった)今は父の世話をすることが楽しくて、そして可愛くてなりません。

父は石原莞爾が好きで、私が父の為に買った「その時歴史が動いた」のDVDを繰り返し見ています。この時は信じられないほどの集中力です。
また、よいヘルパーさんにもお世話になってコミニュケーションもでき、介護が楽しいのです。

戦争やその後の仕事に打ち込んだかつての自分の話をする時はしあわせそうです。
「烈士暮年、壮心やまず」・・・今日は三国時代の英雄、曹操のことばでしめくくります。
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