ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

Tito Schipa - La Cumparsita (1930)ティト・スキーパの歌う「ラ・クンパルシータ」

2011年02月28日 | 歌曲
Tito Schipa - La Cumparsita (1930)


ティト・スキーパは戦前、イタリアの名テノールとして世界を魅了した。
何と美しい声だろう、この歌を聴いたのは、「あらえびす」(別名、野村胡堂・・・銭形平次の作者)の編集したレコードをLPで再発売した全集を買った時、私は20歳だった。

「あらえびす」というのは新聞記者で音楽評論家の名前だった。
本職の音楽評論家ではなかなか食べていけず、内職?として「銭形平次」という小説を書き、これが当って映画に舞台に上演され、ほとんどこれでお金持ちになり、その儲けたお金でクラシックの演奏会へ連日通い、レコードを集め、評論を書いていた人。

この「あらえびす」の評論集は文庫本で上下2巻で出ていたが、なかなかの名文だった。
「あらえびす」の集めたレコードから特にすぐれた演奏、ピアノのシュナーベル、コルトー、ヴァイオリンのティボー、クライスラー、チェロのカザルス、指揮のフルトヴェングラー、トスカニーニ、オペラのカルーソ、シャリアピン、ガリ・クルチ、ダル・モンテ、歌曲のエレナ・ゲルハルト、ロッテ・レーマン、などなどそうそうたる顔ぶれだった。

その中でティト・スキーパの名前を見つけた。
この名テノールは私が小学生の時、書店で立ち読みした時、当時の五十嵐喜芳さんが、スキーパのことを書いた文を思い出したのだった。

そして、彼が歌っているのはオペラのアリア以外にタンゴがあった。
「ラ・クンパルシータ」、これをイタリア語で歌っていたのだ。
上品なタンゴで魅力的な歌だった。
美の極致だと感動した。

そしてこのスキーパこそ、Ken様のヨーロッパでの恩師の恩師、つまりKen様は孫弟子にあたる。
ベルカントの美しさ、明るさ、そして言葉の美しさを存分に味わえる名唱である。
 
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やはり中国も・・・デモを封じ込められるのか?

2011年02月28日 | 政治

日本ではほとんど報道されていないが、中国では確実に「民主化」の波が広がっているようだ。
経済成長が著しい今、騒ぎは起こりにくいという見方はどうも違うようだ。
中国政府が躍起となって「民主化封じ込め」をしている。
産経新聞の記事をご覧下さい。





海外総合中国韓国中国の20都市以上で集会 日本人カメラマンら10人以上を連行
産経新聞 2月27日(日)20時15分配信


 【北京=川越一、上海=河崎真澄】北京、上海、新疆ウイグル自治区ウルムチなど、中国の20都市以上で民主化などを求める集会が呼びかけられた27日、中国当局は重慶などリスト外の都市でも厳戒態勢を敷き、反体制の動きを徹底的に封じ込めた。日本人記者を含む少なくとも10人以上が当局に連行されたもようだ。


 民主化集会の呼びかけは20日に続き2回目。前回の13都市に、2009年に少数民族住民らによる大規模暴動が起きたウルムチなどが追加され、当局側の締め付けも厳しくなった。

 公安関係者によると、上海市内では前回の5倍近い警官ら千人以上が動員されたという。午後2時(日本時間同3時)過ぎ、集合場所の人民広場付近に集まった数百人の群衆を警官が笛を吹いて解散させた。警官らを撮影しようとした中国人の若者や、日本のテレビ局の邦人カメラマンら少なくとも6人が連行された。

 北京で集合場所に指定された繁華街、王府井のファストフード店前には工事用防護壁が設置された。散水車が何度も往復して人の集合を封じた。制服、私服警官に加え、清掃員に変装した警官も人の動きに目を光らせた。記者とみられる白人男性が警官に抵抗すると、清掃員が男性を組み伏せ連行。その様子を撮影した中国人男性が私服警官から暴行を受けたほか、日本や欧米、香港、台湾の記者らが連行された。

 また、ウルムチからの情報によると、氷点下13度まで冷え込んだ市内では警官が観光客の撮影した記念写真までチェック。集合場所付近では、立ち止まることも許されなかったという。香港でも民主派がデモを行い、2人が連行された。

 当局はインターネット規制を継続するなど、情報の拡散に神経をとがらせている。温家宝首相は27日、3度目となる市民とのインターネット対話を実施し、生活改善などに積極的に取り組む姿勢を強調。当局が民主化機運と一般市民の不満の結合を警戒していることをうかがわせた。実態が不透明な「中国ジャスミン革命」に当局が踊らされている感もある。

   

 
これで中国は平静だと言うのか?
そして拉致されたジャーナリストはどうなるのでしょう。
もう、隠せないところまできているのではないでしょうか。
テレビはリビアのことはよく報道していますが、すぐ近くの中国のことはなぜ報道しないのでしょうか。

そして日本では与野党の攻防が続いています。
媚中の民主党、中国の様子をしっかり見て下さい。
日本が日本として考えることが必要なのです。

☆ そして今日は父の誕生日、東京から妹もきて姉妹二人でお祝いしました。
 妹は先程東京に帰りました。



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ビルギット・ニルソンが歌うワーグナー「神々のたそがれ」よりライヴ録音

2011年02月27日 | オペラ
Birgit Nilsson "Brunhilde's immolation" Bayreuth


戦後最大のワーグナー歌いのソプラノといえば、ビルギット・ニルソンであることは間違いないと思う。
スウエーデン出身のドラマティック・ソプラノ。

彼女の声は美しく澄みきって、声量の凄さは空前絶後だった。
オーケストラをわけもなく圧倒し、劇場のすみずみまで響き渡り圧巻だった。
ワーグナーだけでなく、イタリアオペラでもドラマティック・ソプラノとしてずばぬけており、あの名テノールのコレッリと声を競い合い、聴衆をわかした。

この曲はワーグナーの「神々のたそがれ」から<ブリュンヒルデの自己犠牲>の一部分であるが、実際の劇場で聴こえてくる生の声に近い。
彼女の実演は4度聴いたがどれもが名演だった。

ワーグナーを書いてきたが、ニルソンの美声でいったん締めくくりたいと思う。
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漂泊の旅人様のエントリー・・・樋口季一郎のこと

2011年02月26日 | 漂泊の旅人さま

漂泊の旅人様の本日のエントリーを転載させていただきました。どうぞご覧下さい。



北方領土を調べているうちに一人の日本人に出会うことができた。

樋口季一郎である。

彼は大東亜戦争終戦時、北方軍・第5方面軍の司令官として北東太平洋陸軍作戦を指揮していた。

8月15日、大日本帝国陸海軍が連合軍に対して全面降伏を受け入れた後、8月18日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が千島列島に進軍して占守島に迫ってきた。これに対し、樋口は徹底抗戦を指令した。

この戦いは最後の大日本帝国軍の戦いとなった。

勇猛果敢な我が帝国軍戦士はソ連軍に対し、3000人の死者という打撃を与えた。

しかし、やんなるかな・・・武装解除を命じられソ連の軍門に下ることとなる。多くの戦士はその後、シベリアに抑留され極寒の重労働を課せられ多くはシベリアの露となった。

一方、ゼネラル樋口は終戦後、占守島の戦闘で煮え湯を飲まされた、ソ連によって戦犯としての処断を画策される。

戦犯となれば、絞首刑となるのは必定…しかし、そんな樋口に手を差し伸べる人たちがいた。

世界ユダヤ教会である。

ユダヤと日本人と言えば思い浮かべるのは杉原千畝であるが、ここにもユダヤ人にして命の恩人と感謝される人物がいたのである。




以下ウィキペディアより(漂泊の旅人様のエントリー内)

オトポール事件

1937年12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口(当時陸軍少将)らを派遣した。この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と、間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。日独防共協定を推進したヨアヒム・フォン・リッベントロップ駐英大使は、このことを知ると、ヘルベルト・フォン・ディルクセン駐日ドイツ特命全権大使を通じてすぐさま抗議したが、上司に当たる関東軍参謀長・東條英機が樋口を擁護し、ドイツ側もそれ以上の強硬な態度に出なかった為、事無きを得た。本来・親独派である東條が樋口を不問にした背景には、ユダヤ人人脈を通じた対米関係の修復の模索との見方もある。

1938年3月、ユダヤ人がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連〜満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅まで避難していた。しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めを食らっていたのである。樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った(オトポール事件)。樋口は「彼ら(ユダヤ人)の何千人が例の満洲里駅西方のオトボールに詰めかけ、入満を希望した」と書き記しているが、芙蓉書房は彼の手記にある数字を勝手に2万人に改竄している。樋口がナチスの人種差別政策に激しい憤りを抱いていた背景には、かつてポーランドやドイツに駐在武官として赴任していた頃寄宿しようと一般家庭に尋ねて行くと、東洋人であると言う理由でことごとく拒否され続けていた。しかしあるユダヤ人の一家庭だけが樋口を温かく迎えてくれたという、彼自身の体験が根底にあったためである。



戦後イスラエル建国功労者として安江とともにユダヤ人にしか与えられない「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。また、樋口が終戦前後まで指揮をとっていた部隊内では、捕虜の虐待や戦争犯罪とみなされる事件はただの一件も起きていない。
  



日本人の誇りは地球規模でのものである。慈愛は人種を越えてこそ意味をなす。



白豪主義者で差別主義者のオーストラリア人!!お前ら日本人の爪の垢でも煎じて飲め!!(以上)





≪ベッラあとがき≫

私はこの一週間、ワーグナー漬けであった。
今のバイロイトでのワーグナーではなく、「あの時代」、ナチスの時代のワーグナーの演奏であった。
あのころの演奏家、指揮のフルトヴェングラー、そしてヘルデン・テノールのローレンツ、ソプラノのフラグスタート、フリーダーライダーなど・・・彼らの戦いは、泥にまみれ、戦後の糾弾にも何の弁明もせず、ただ音楽のみでのコメントだったと思う。
特にローレンツなどユダヤ人の妻をもったことで「同性愛者がカクレミノとしてユダヤ人の妻を持った」と言われたり、人権なんてどこにもない、一つ間違えれば命はなかったはず。

ワーグナーを堂々と演奏する中で、いつのまにかナチスの「高揚感」に利用されていたことは否めない。
しかし、どれだけの人を救ってきたことか・・・そのことは明らかにされていない。

戦後、ナチスとの関連を問われ、世界中から演奏する場を失ったバイロイトの名演奏家に演奏依頼したのは、あのミラノスカラだったこと、指揮者のフルトヴェングラー、ソプラノのフラグスタート、テノールのローレンツを「全部ひっくるめて」面倒をみたという話・・・これ、信じられないほど・・・ファシストのムッソリーニ関連の演奏家は追い出したのに・・・。
それは、聴衆がフルトヴェングラーらの「音楽性」を信じたことだたっと思う。
これで彼らは救われたのだった・・・。


ところで漂泊の旅人様の本日のエントリーをご覧下さっていかがでしょうか。
「あの時代」の日本人とユダヤ人のことを書いて下さっていました。

漂泊の旅人様の文章で、ほとんど政治家の容姿などをネタにして責めることがなかったこと、すべてその政策にあったことなど、見事なものだと感嘆していたのです。
政治記事によくある「マニュアル文」もなく、前原の口が曲がっているなどということもなく、ただその「政策」だけで批判なさいました。大変ノーブルな見地と思っています。
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今日は2.26事件の日~西村真悟氏のメルマガから抜粋

2011年02月26日 | 政治

私はこのところ、ずっとワーグナーをはじめ、ドイツリートを聴いたりして過ごした。
私のワーグナーについての「心情的なこと」はまだそのままだけど、イタリア語ではない、ドイツ語の歌を聴き続けた一週間、
これらは今までの私にはあまりなかったことであった。

「たちあがれ日本」の西村真悟氏のメルマガが届いた。
私は時々、西村氏の強烈な考えに戸惑うところがある。
どこかで私はバランスを取らざるを得ないのだが・・・この文は2.26事件についてその当時の雰囲気を伝えるものでもあり、転載した。


                    本日は、2・26
                         No.605 平成23年 2月26日(土)

 本日未明、目が覚めた。午前4時、時計で時刻を確かめてまた眠ろうとした。すると、今2・26事件の時刻ではないかという思いがわきあがった。
 昭和十一年二月二十六日未明、歩兵第一連隊四百名、歩兵第三連隊九百名そして近衛歩兵第三連隊五十名の将兵は、青年将校に指揮されて、三十年ぶりの大雪の帝都で行動を起こし、高橋是清大蔵大臣、斉藤実内務大臣そして渡辺錠太{カ教育総監を殺害し、首相官邸等永田町、霞ヶ関一帯を占拠した。
 フランスの特派員が、霞ヶ関の官庁街の街路に集まっている人に尋ねた。「クーデターか」。すると紳士が振り返って答えた。「天皇の国にクーデターはない」
 以上、寝床の中で思った2・26事件の情景である。

 起床後、昭和五年に三上卓海軍中尉が作詞作曲した
「昭和維新の歌」を観た。
1、泪羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く
2、権門上に傲れども 國を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし
3、ああ人栄え國亡ぶ 盲たる民世に躍る ・・・

 この「昭和維新の歌」の歌詞、今の世情とそっくりではないか。
 この歌詞が書かれる三年前、徳富蘇峯翁が次のように書いている。
「夫れ、国家興隆するときは、国民は理想を以て生活とし、国家衰退するときは、国民は生活を以て理想とする」
 
 ああ、二年前から「生活第一」を掲げて政権にありついた「盲いたる民」が「世に躍っている」、この者達が栄えて國亡ぶのか。

 まさに今、「義憤に燃えて血潮湧く」だ。
 また「身に老少有るも、心に老少なし」だ。
 年齢を超えて、全ての国民は祖国日本への愛を以て義憤に燃える時がきた。
 本日、東京の山手線各ターミナルで、チャンネル桜、「頑張れ日本、全国行動委員会」の呼びかけによる街頭演説とアピールが行われる。私は、午後から上京し、有楽町の街頭に参加する。
「6、天の怒りか地の声か そもただならぬ響き有り 民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ
・・・
9、功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう」(抜粋)




<ベッラのあとがき>
今朝のテレビでも「北方領土のことは自分には関係ない」「偉い人で勝手にやって下さい」などというタワケタ街頭インタビューが流れていた。
あまり興味のない国民・・・どうしてこうなの?

それと、今「維新~」という新党のようなものがマスコミとつるんで出来つつあるようだが、これなど無責任極まりないと怒っている私である。

1は屈原、9は「人生意気に感ず」という魏徴ですね。他にもあるかもしれないけど、西村さんほどのインテリなら出典をしっかり書くべき、西村さんについていけないのはこうしたところ、ちょっとしたところなのだけど、私にはイヤなのです。
いいことも書いてあるのですが・・・。
     

 
 
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