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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

Y

2018-02-07 | 山と渓谷社、関連本




山野井泰史
『垂直の記憶 ―岩と雪の7章』★★★★★


やっぱり本人直筆だと臨場感ある・・
極限の世界
ブレない信念
世間の欲にまみれることなく完全に自立している。
その精神構造は計り知れない・・
生まれ持ったものを感じずにはいられないし、
それを理解し分かち合う生涯のパートナーとの出逢い
満たされささやかな生活の中での生きがい
読んでいる途中今までにない感情にしびれてしまった。
茫然自失

思わず今は生きているのか?検索してしまった。
山野井通信 http://www.evernew.co.jp/outdoor/yamanoi/



http://www.magic-mountain.jp/yamanoi/index.html

「山野井泰史 山野井妙子 究極の登山家は聖人か?狂人か?」なるタグまで。
それはまずこの本を読んでからよね。

講演があったら是非本人の話を聞いてみたいなぁ



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「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」
僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。
いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。
かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。
僕だって長く生きていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりした。こうした平凡に生きていても幸せを感じられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。
ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。



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まだまだ読みたい本がたくさん。

先日からの目標に関して「考える」から 過去「考えろ」と親身になって「考えて」くれたコへつながる。


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H I K Y

2018-01-18 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治、飯田肇、金田正樹、山本正嘉
『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』★★★★


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E5%B1%B1%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85

真夏でも発症する低体温症のメカニズムが明らかにされ、
世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。
2009年7月16日、北海道のトムラウシ山で15人のツアー登山パーティのうち8人が死亡するという夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。
2010年には事故調査委員会による最終報告書が出され、今回の事故がガイドによる判断ミスと低体温症によるものと結論づけられた。
1年の時を経て、同行ガイドの1人が初めて事故の概要を証言。
世間を騒然とさせたトムラウシ山事故の詳細に迫り、検証したノンフィクション
また「気象遭難」「低体温症」「運動生理学」それぞれの分野の専門家が執筆にあたり、多方面から事故を分析・検証している。

読み進めていく内にうーん・・うなってしまった・・まさか・・
捉え方は人それぞれだけど「死人に口なし」です。

低山登山がもっぱらだけど、急な気温変化は身を持って分かってる。
冬の富士山の寒さが半端ないことも・・それも2合目深夜
過信はせずに経験談を活かし、自分の身は自分で守る。
他力本願は山では捨てる。うむ。


今後の予定としては高川山、陣馬山からの縦走、男体山、
ゆるめの鎌倉アルプス
そろそろ地図を買って登った山に印つけると楽しいかも♪









キラキラ
ダイアモンドダストが消えぬまに
もぅあれから一年なんて*


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M

2017-12-31 | 山と渓谷社、関連本




丸山直樹
『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』★★★



http://blog.goo.ne.jp/bookook/c/08e0f63c9043721d69c51607b790c75b
あれから気になっていたアルパインクライマー山野井さん
その行動と思想を追ったドキュメンタリー




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「痛がったり寒がったりしても、何の解決にもならないじゃないですか」とさらりと言ってのける。
まだ十七、八歳の年齢にして、この強靭なものの考え方はどこから来るのか。

「普通の人生は歩みたくない」「将来は自分の好きなことをしたい」「周囲に何か与えられるのではなく、自分の力で何かをしたい」と考える、まだ淡い自意識があった。

いわば山野井は“何物にも束縛されない奔放なまでの自由”を、子供ながらに請い望んでいた。たとえその願望が、世 間の常識や既成の価値観とは、相入れないものだと知ってはいても……。




「乖離」




根は素直で我慢強く、自分の不幸を他人のせいにしない。しまも強い目的意識をもって生きている。

成功か、死か。
言うなれば「見えざる生と死の境界」は、常人には決して超えられない。

クライマーならだれしも、最高度のエクスタシーを求めて極限の登攀に挑戦する。
この意味でソロこそは、最も危険かつ困難であるだけに、エクスタシーの極致を得られることになる。だが甘美なエクスタシーに正比例して、死の恐怖も皮膚感覚で迫ってくる。だから一流のクライマーは、必ずやある段階で「エクスタシーか、死か」という絶対矛盾に襲われることにな る。そしてこの段階で、死の恐怖を乗り越えられる精神力をもつかもしくは、すっぱり山をやめない限り、クライマーは壁以外に打ち込む対象がないだけに、袋小路の閉塞感にとらわれて行く。
『完結された青春』から伝わってくる、息苦しいまでの閉塞感は、おそらくこうした状況の反映にほかならない。
ソロはこうした状況に加え、絶対にミスを犯さない完璧な自己コントロール、何が起こってもパニックに陥らない自制心、さらには決して諦めない闘争心など、いわば経験や訓練でいかんともしがたい「驚異的な個の強さ」が求められる。むしろ極限のストレスを「快感」とまで感じるくらいの強靭さが必要になる。そしてこれは言うまでもなく、だれにでも決して身につくものでは ない。なぜなら強
固な自己が、経験や訓練で培われるのなら、クライマーのだれもがソロを志向するだろうし、しかしあれほど多くの人間は死なないはずである。だから私は思うのだ。「ソロは、だれにでもできるものではない」と。そして真のソロ・クライマーとは、本人の意欲や努力とは別に「特別な何かが備わっていなければならない」と。

資質かな、とも私は思う。



無酸素登山のリスクを、山野井はこう指摘する。
「(無酸素の場合)ヒマラヤ経験者の六割が経験すると思うんだけど、よく『横になるのが怖い』って言うよね。あれは体を横にすると、酸素が肺に入って来なくなるからで、だから夜、寝るのが怖いんだ。酸素が体に入りやすい順番は、歩く、立つ、座る、寝るの順番だから、寝ているときが一番呼吸が苦しいんだ。」

酸欠状態が度を越すと、思考が鈍り、ときには目が見えなくなり、やがては高山病を併発して死にいたる。たとえ高山病にかからなくても、注意力が散漫になってミスを犯しやすくなり、滑落などで命を落とすことになる。

「(酸欠で頭がぼけると)恐怖心がなくなるんだ。これがヒマラヤでは一番怖い。ヒマラヤの滑落例をよく見ると、叫び声をあげて落ちていくのは意外に少ないよね。みんな、スゥ~ッと消えていく。おそらく落ちる瞬間は、本人は意識がもうなくなっている状態だと思うんだ。これに対して、ヨーロッパ・アルプスなどの事故例は、ものすごい声をあげて落ちていく。なかには落ちながら、必死にザイルをつかもうともがく奴もいる。それだけ意識がまだあるんだよね。でもヒマラヤは、スゥ~ッと消えていく……。これは怖いよね」

「山に登るのに、なぜ安全を求めるのか」
山野井のこの問いかけは根源的な意味をもつ。
言うまでもなくこの対極に、山野井がいる。



山に溶ける



「登りはじめて数時間後のことだったろうか。とりわけ傾斜の立った壁を登っているときに、こんなイメージが想像できたんだ。『今、2200メートルの巨大な壁のなかに自分がいる』と。何もかもが冷えきっていて、それに夜だったせいかもしれないけれど、背後に広がる闇の空間と、足元に広がる高度感が、とてつもないスケールに感じられたんだ。『そこを今、小さな自分が登っている』と」

想像してみるがいい。何もかも凍りついた厳寒の深夜、小さなヘッドライトの明かりが、巨塊を登りつめていく様を。音はない。青黒い闇は動かない。ただ中天に、月光が無言でたゆたっている……。
そんな緊迫と静謐のなかで、演者は自分がたったひとり。観客もまた、自分ただひとり。神々しくも温もりもない、ざわめきも気配も感じられない天空の舞台を、山野井は淡々と攀じていった。

山野井は壁に「溶け込んでいった」


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https://matome.naver.jp/odai/2136559108981901601


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Y

2017-12-24 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治
『ドキュメント生還-山岳遭難からの救出』★★★



もはや何作目なのか分からず・・
ハマりにハマってしまったドキュメントシリーズ
今回「生還」にスポットをあてているから「遺体となって発見」がないから救いがある。
でも遭難は遭難
死と隣り合わせの極限状態を体験した人達

しかし大山での遭難!?その現場を歩いているからドキッとした。
さすがにそれはないと思っていたから冷や汗モノ。。


『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』
お次はこれかしら




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*北アルプス 南岳

「このときは最初からちょっとおかしかったんですよ」

「春山と秋山は油断ならない」という認識があった。
それでも事故は起こるのである。

「たら」「れば」が通用しないのは、なにも勝負事の世界だけではない。

山では人一倍慎重だったはずの男が陥った、エアポケットのような落とし穴。おそらくは無意識的な行動だったのだろう、としか言いようがない。とにかく、ボタンは最初からかけ違えられていたのである。

「おかしい、やっぱり変だ」「でももうちょっと下ってみよう」――その際限ない繰り返し。山で道に迷う典型的なパターンである。

ビバーク中いちばん困ったのはトイレの問題だった。

「そんな冷たい世界に閉じこめられてしまっていたらどうしよう」
考えはどうしても悪いほうへいってしまう。

昨日のヘリはかなり遠くのほうを飛んでいたが、この日のヘリは自分のほうにまっすぐ向かってぐんぐん近づいてきた。
間違いなく気づいてくれたようだった。「助かった」という思いが、初めて沸き上がってきた。



*福島 飯森山

「うつくしま百名山」

登山口には登山者カードがあり、これに住所、氏名、年齢、電話番号、行程、それに「五時下山予定」と書き込んでポストに入れた。
「そのときはたまたま書いたんだよね。入れるときと入れないときがあるんです。なんとなく、気分ていえば気分だね、カード入れるのは」
“たまたま”という不思議

ヤブ蚊、光る虫、雨、雷、そしてクマの恐怖に悩まされながら過ごす夜は、ひどく長く感じられた。時計を見るたびに、「なんだ、まだこれしか時間が経っていないのか」と、重くため息が口をついて出た。結局、その夜は一睡もできなかった。

「これは幻覚だ」

「地図も持たず、下調べもせず、沢というより厳しい谷川を強引に下ったことは無謀、いや自殺行為にも等しいものであり、自己過信であったと反省の気持ち、途中からででももどる勇気があったならと後悔の念でいっぱいになりました。そして、どんな山でも気象の変化など自然界は厳しく、侮ってはいけないと、改めて今後の教訓にしなくてはとも思いました」
たしかに山の遭難事故のなかでも、「道を間違えて沢に迷い込み、その沢を下 ろ うとして滝や崖から落ちて死傷する」というケースは非常に多い。

引き金となったのは、やはり“酒”ではないだろうか。

「山ではよく、励ますつもりで『もうすぐですよ』とか言ったりするけど、実際にはけっこう時間がかかったりするでしょ。だからあんまり安直なアドバイスはしないで、『ちょっと大変だよ』ぐらいに言ったほうがいいかもしれないね。」

「犯罪者は現場に立ちもどるって言いますけど、やっぱり行ってみたいんです」



*北アルプス 西穂高岳

フラッシュが救った命

「待て、落ち着け、もっとよく状況を把握しろ」

「自分にしてみれば『まさかこんな場所で』っていうのがあったし、やっぱり遭難ていうのは考えたくなかったんでしょうね」

『あっ、落ちた』と。
落ちながら、『これはもうダメだな。あとは運にまかせるしかないな』
落ちていくときには声も出なかった。岩にぶつかりながら回転しているのがわかったが、自分ではどうすることもできなかった。

落下して数秒後に、軽いショックを受けて体が雪の斜面に投げ出されたのがわかった。一瞬、「ああ、助かった」と思ったが、今度は体が雪の斜面の上を滑り始めていた。今、滑り落ちていっている斜面の下はどうなっているのかわからない。もし滝か絶壁でも現われて、そこから投げ出されたら、もう助からない。それを思ったときに、初めて恐怖が全身を貫いた。

つけっぱなしにしていたラジオからは、自分に関する遭難のニュースは一度も流れなかった。それがいっそう不安を募らせた。

ヘリの音が聞こえたのは、昼も過ぎたころだっただろうか。ガスで機体は見えなかったが、ヘリは上空を旋回しているようだった。
「来たっ」と心のなかで叫んだ山本は、音のするほうへ向かって夢中でカメラのフラッシュを焚いた。
フラッシュを焚いて合図を送るというのは、その場で思いついたことだった。

「ほんと、あれは奇跡としか言いようがない。ふつう、あそこから落ちたら間違いなく死んでいるはずなんだから。でも、足の骨を折りながら安全な場所まで移動して三日間持ちこたえた精神力、とっさにカメラのフラッシュを焚いて自分のいる場所を知らせた機転はすごい。あれがなかったら、まず発見できなかっただろうな。絶対生きて帰るんだという執念だね」

その年末年始は、山での遭い難事故が続発していた。そのひとつひとつが、山本にとってとても人ごととは思えなかった。事故を伝えるニュースを病室のテレビで見ながら考えたのは、「今、この瞬間にも俺と同じ思いをしている人がいるのかなあ」ということだった。

「危ないところに魅力があるというのはたしかだと思います。だから僕が感じるのは、山のリスクを超えていくおもしろさといったところですかね」

「相手任せの山登りはしない」
 


*滋賀 岩菅山

十七日間の彷徨

「おい、あれは人間じゃないか」
「ええ、たしかに人ですよ」

オロク(死人)

「時間がかかるなあ」とは感じたが、まだ「おかしいな」とは思わなかった。

「自分ではコースどおりに歩いていたつもりだったんですけど、どこかで外れてしまったんでしょうね。それでもおかしいなとは思わなかったんですよ。登山道を外したと思っていたら、どこかの時点でもどろうとしていたでしょうからね」

とにかく、すべては時間的な余裕のなさから生じたことなのである。

翌日には下山できるものと思っていた。よもや十七日間も山のなかを彷徨うことになろうとは想像もしていなかった。

いったい自分が今どこにいるのか、まったく見当もつかなかった。

マスコミが報道したように、たまたまマヨネーズという高カロリー食品を持っていたから生き延びることができたというのは事実であろう。

沢のほとりにたたずんでいると、せせらぎの音が人の声や音楽が聞こえたりすることがあった。夫婦の登山者が山道を歩いてきたと喜んだら、それは錯覚であった。

山好きの父親に「山で食べられるうちは絶対に平気なんだ。ほんとうにダメになったときは食べ物がのどを通らなくなる」

指摘すべき問題点は装備についてである。いくら日帰り登山とはいえ、コンパス、ストーブ、ライターあるいはマッチ、ヘッドランプを持っていなかったのはお粗末と言われても仕方あるまい。まして雪のある時期のこと、万一のことを考えてツエルトや着替え一式ぐらいは持って当然である。



*南アルプス 仁田沢

カメラのシャッターが下りたままになったかのように、突如、すべては闇に包まれた。とにかく覚えているのはそこまでだ。

それはぐっすり眠ったあとの目覚めのようだった。

ガタガタと震えながら木の枝の間から空を見上げれば、一面に星が広がっていた。
「今日はダメだったけど、明日こそは見つけてもらわなければ」

「あれ、あんなところで釣りをしている人がいる」と思って大声で「助けてくれ」と叫ぶのだが、もちろん枯れ木がそれに応えるはずはない。しばらくして「ああ、枯れ木だったんだ」と気づいた。

「早く助けられたい」と願う気持ちが、幻覚を生んだのである。

<置かれた状況のもとで死を直感し、昨日、今日のうちにあきらめがしぜんに生まれたのか、あるいは、自分で気づいていない体力がまだ充分あって、絶体絶命の状態でないことは体はわかっているのか、悲しみや恐怖のようなものがわいてこない。泣き、もがき、叫ぶこともない。なにかを恨むこともない。ただ家族に対し、ひと言でいいから書いておきたいと思ったが、書くためにものもなにもない。このことだけは残念に思った。眠くなると、手についた雨水を目の周りに塗ってがまんした>

「ひと言書き残したとすれば、『すまなかった』という言葉でしょう」

動いていると、折れた骨が擦れてクキッ、クキッと音を立てた。それでも痛みはない。脳内に痛みを麻痺させる物質が出ているのだろう。移動しながら、ぼんやり思った。神様というのはうまく人間の体をつくったものだなあと。

「なにを考えても途中で終わっちゃうっていうか、深く考えられないんですね。こういう状態でだんだん衰弱していくんだろうなと思いました。救助が来ると信じていたんだけど、もし来なかったら、たぶんこのまま逝っちゃうかもしれないな、と」

いずれにしても、七日間の極限状を耐えさせたのは「必ず助けに来てくれる」という確信であり、それは事前に詳しい行動計画を家族らに知らせておいたとから生じている。そういう意味では、第三者への行動計画の提出がいかに重要かを再認識させられる一件であったといえよう。

「杖を持って歩くべきです、中高年登山者は。下るときに杖を使うことによって、筋肉の疲労度が違いますし、バランス保持も違ってきます」
加えて「道に迷ったら絶対谷を降りるな」「遭難したら動くな」



*大峰 釈迦ヶ岳

結局、登ったり下りたりを三時間ほども繰り返すうちに、どこにいるのかまったくわからなくなってしまった。時刻は午後三時。時間的にまだ早かったが、あまり動き回って体力を消耗するのはまずいと思い、樹林の斜面に平らになった場所を見つけてビバークの準備に入った。

不安な気持ちがなかったわけではない。が、それほど深刻なものではなかった。明日になればなんとかなるだろう、そう思いながら眠りについた。

沢にはたくさんのオタマジャクシがいた。食べられそうなものは、ほかに見当たらなかった。飢えをしのぐために、その網でオタマジャクシをすくって食べた。
「さすがに噛み切る勇気はありませんから、飲み込んでました。踊り食いですよ。その沢にはサンショウウオもいたのでトライしてみましたが、ダメでしたね。口に入れてすぐ、もどしてしまいました」
それからというもの、この網でオタマジャクシをすくうのが毎日の日課となった。

「人間、日ごろなんの気なしに暮らしているんですけど、国だとか地方自治体だとか、会社だとか家庭だとかに守られているんですよね。意識していないところで。そういった何重ものバリアで守られているということを、つくづく感じました。ところが、ああいう状況になると、まったく違う世界に放り出されたという感じがするんです。個人は無力だなあって思いましたね。だから早く人間の世界にもどりたいなあって」

死ぬか生き延びるかの確立は半々。

しかし不思議なもので、偶然というのは重なるときには重なるものである。

「同じ日に同じコースを歩いているほかの三人の方は迷わずに通過しているのに、私だけが迷ってしまったんですから、やはり注意力が足りなかったのだと思います。その伏線に、最終バスに間に合わせなければという気持ちがあったことは確かでしょう」
もうひとつの反省点は、道を間違えたあとのリカバリーのまずさだ。迷ったことに気づいて引き返そうとしたときに、下ってきた方向がわからなくなっていたのだから、漫然と行動していたと思われても仕方あるまい。



*北アルプス 槍ヶ岳

みぞれはいつしか雨に変わっていた。気温はかなり高いようだった。しとしとと降る、嫌な感じの雨だった。
真冬の2000メートル地点で雨に降られるというのは、そうそうあることではない。

「冬山は行き慣れたところ以外へは行かないという、自分なりの信念があったんです。単独行ですから、万一遭難したときを考えるとね。慣れたところであれば、どこに逃げ場があるとかわかりますから。」

事前の念入りな調査と万全の装備、そして無理のない計画。そこには遭難という危険因子が入り込む余地はないように思われる。だが、行動中にわずかな油断と判断ミスが生じた。そこからほころびは大きく広がっていくことになる。

「まさかそんな短時間の間に天気が激変するとは考えてもいませんでした」

雪に閉じこめられた暗闇のなか、朝を待ちながら思うのは、昨日のちょっとした油断のことばかりであった。

テントでは寒さが厳しかったので、この日は雪洞を掘ることにした。

とにかく救助を待つしかなく、持久戦に備えて雪洞内の居住性をよくするため、足を伸ばして横になれる程度にまで穴を広げた。

水分は雪を食べて補給したが最小限にとどめ、常に口の中がニチャニチャとする状態に保っていた。完全に渇きを癒すことよりも、雪を食べることによって体温が低下することを恐れたからだ。体温が下がっていくことを抑えられず死に至るという遭難のケースは、書物なので何度も目にしていた。だから絶対に体温を下げてはならない。始終それだけを心がけていた。

「たしかマタギの教えだと記憶しているんですが、本で読んで以来、ロウソクとマッチと新聞紙はどんな山行のときでも持っていくようにしていたんです。それが初めて役に立ちました。新聞紙は靴が濡れたときなどに水分を吸収させるために使うんです。そのときは使いませんでしたけど。ロウソクは灯にもなるし暖房の代わりにも使えるし。そのロウソクに火をつけるのも、マッチじゃないとダメなんです。ライターだと、気温が零度ぐらいになると火がつきませんから。マッチならどんなに気温が下がっても火がつきますからね。真っ暗闇な雪洞の中では、ほかの装備がいくらよくても、このロウソクとマッチがなければどうすることもできませんでした。だからロウソクとマッチを持っていたことが、私が生き残れた最大の要因だと思います」

だが、できるだけ節約しながら使っていても、ロウソクは日に日に短くなっていった。そしてもしロウソクが尽きてしまったら……。そのときは自分の命もなくなるときだろう と 思っていた。

両手の凍傷はかなりひどい状態になっていた。

松濤明『風雪のビバーク』



*丹沢 大山

「今から引き返したら、今日中に帰れないんじゃないか。だったらもうちょっとがんばって歩いて、下に下りたほうがいいだろう」

「このまま行っても大丈夫かなあ。もどったほうがいいんじゃないの」

夜の寒さは思いのほか厳しかった。焚き火を絶やさないように、女性三人が約二時間ごとに交代で火の番をした。くべる薪がなくなってきたら、ヘッドランプを点けて交代で拾いにいった。

「今からでも引き返していけば、大山の頂上まではもどれる。そうしたら確実に家に帰ることができるんだから」

疲労から幻覚を見るよう に なっていた。「あそこに人がいる」「あっちに道路がある」などと言っては、そちらのほうへ走っていってしまうのだ。
「そんなものはないから、お願いだから私たちといっしょに行動して」と泣いて説得した。このときがいちばん怖かったと、彼女は振り返る。

「私たち、どうなるんだろう」と言って泣いた。
誰かが不安に押しつぶされそうになったときには、ほかの者がそれを受け止めた。
優しく抱きしめながら、「大丈夫だから。絶対に帰ろうね」と励ました。

無情にもヘリは通りすぎていった。
「今まででいちばん近いところまで来たのに気付いてもらえず、すごくショックでした。遺書を書こうと思ったぐらい落ち込みました」

「これからはヘリをあてにせず、自分の力で下りよう」

場合によってはベテランゆえのプライドや面子が判断を間違った方向に導いてしまうことがある。「パーティのリーダーがベテランだから」と過信してすべてを任せきりにするのではなく、メンバーのひとりひとりがしっかり計画を把握し、もし山行中に「おかしい」と思ったことがあったら、それをはっきり指摘することだ。



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写真は秋の大山
         景色がちがって見える・・












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H

2017-12-10 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治
『ドキュメント 単独行遭難』★★★★



衝撃的なシリーズ四作目

山の寒さの厳しさを肌身を持って実感した昨日(in富士山)
深夜1時で御殿場はマイナス4℃
さすがにボードで身体を動かしていても本当に寒かった。
吐く息の白さと耳の冷たさ
ピーンと張り詰めた空気にくっきり見えたオリオン座
半月にぼんやり浮かぶ白い山頂










今朝の完璧な富士山



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*奥秩父・唐松尾山

「たぶんこっちでいいのだろう」と、あまり深く考えないで再び下りはじめた。

生まれて初めて幻覚を経験したのはこのときだ。20~30メートル先に人がいるのが見えたので、思わずストックを振りながら、「そこに誰かいますか?」「おーい、こっちだ。助けてくれ」と叫んだ。人は成人のハイカー二人であったり、少年と老人であったりした。しかし、いくら叫んでもこちらに気づいてくれない。よくよく見てみると、それは老木やガレであった。
そんなことが何度かあり、併せて幻聴も聞こえてくるようになった。沢水の轟音が、人の会話や子供の声、童謡のように聞こえてくるのだ。耳に入ってくる音はきわめて明瞭で、童謡は歌詞が聞き取れるほどであった。

ちょうど標高1900メートルあたりのところを登っているときだった。たまたまクマの住処の穴の前出てしまい、突如その穴から体調1メートル弱のクマが飛び出してきた。距離はわずか3、4メートル無我夢中でストックを頭上に掲げながら「ワーッ」と怒鳴ると、クマは一目散に逃げ出していった。

通い慣れた山域でも過信

「遭難の要因は、ひとことで言えば過信だったと思います。この年は例年にない残雪で、山頂付近の登山道が雪で隠されていてわかりにくかったということもありますが、それにしれももっと慎重にルートを確認すべきでした」

地図とコンパスは、道に迷ってから初めて取り出したのでは遅い。本来は、道に迷う前に活用すべきアイテムであり、そのためには地図とコンパスで現在地を確認しながら行動する必要がある。それをしなかったのも、とどのつまりは過信に起因する強い思い込みがあったからにはほかならないのだが。
その結果、道迷い遭難のタブーとされる沢を下っていくことになってしまった。



*北海道・羅臼岳

予想以上に急な雪渓

「ほんとうにこのルートでいいのだろうか」
「さっきの分岐点までもどったほうがいいんじゃないのか」

このときも「すぐに止まるだろう」と思っていた。だが、一度滑りだしたらあれよあれよという間に加速していき、止めようにもまったく止まらず、雪渓の上を勢いよく滑り落ちていった。

トレースを失い沢を下る

「急がなければ」という焦りもあったのかもしれない。

携帯電話での連絡

「クマが寄ってくるから、食べ物は食べるな」

本来、遭難者が残置したザックは回収しないのだが、ザックの中に入っている食料が羅臼岳周辺に棲息するクマを引きつけてしまう恐れがあるため、回収を決めた。

判断ミスと技量不足








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*秩父・両神山

多田純一(30歳)

「時間に迫られて、深く考えずにチョイスしてしまった」

登山届のポストが設置されているが、多田はこれを見落としてしまう。これまでの山行では、ポストがあるところでは必ず登山届を提出していたので、もし気がついていれば同様にしていただろう。そのことを、のちに多田は深く悔やむことになる。

予定を変更して沢コースへ

「山に来られる時間もなかなかとれなかったので、せっかくだから登りと別のルートで下ってみようかと思ってしまったんです。」

「それがほんとうに道だったのかと言われると、自信がありません」

40メートルの滑落

落ちている間はなにがなんだかわからず、「やばい、このまま死ぬかもしれない」「まだ転がるのか」といった思いが頭をよぎった。
滑落している時間はずいぶん長く感じられた。
真っ先に思ったのは、「とてもまずいことになった」ということだった。

「これは間違いなく骨が折れている」

パニックに陥りそうになった。しかし、ここでパニックになったら取り返しのつかないことになってしまうと思い、まずは冷静になって考えなければと、自分自身に言い聞かせた。
「いちばん恐怖を感じたのがこのときでした。ふだんの生活のなかでは、『死ぬかもしれない』なんて目にはまず遭わないじゃないですか。ふつうに歳をとって、病気か老衰で死ぬだろうという漠然としたイメージを、私は持っていました。それが、『ひょっとしたらこのまま死んじゃうかもしれないんだなあ』と思ったら、すごく怖くなったんです。死に対する、どうしようもないほどの恐怖でした」
その恐怖を懸命に抑え込んだ。

「ケガの痛みはそうとうひどかったと思います。でも、不思議なもので、時間が経つと痛みの記憶って薄らいでしまうんですよ。状況が状況だったので、痛がってる場合じゃないという気持ちも強かったんだと思います」

生き延びるための苦闘

「発見されるには、このまま動かないほうがいいのか、それとも上に登っていったほうがいいのか、ものすごく葛藤がありました。でも最終的に、まだ体力があるうちにトライすることにしました」

わからない足取り

両神山で行方不明になった登山者は、これまでもケースならだいたい3日以内、長くてもせいぜい5日のうちに発見できていたという。
山での遭難事故で行方不明者を捜査する場合、長くて一週間ほど捜して見つからなければ、通常は捜査が打ち切られてしまう。

死を考える

遭難6日から10日目までは、その場から動かず、ただ横になっているだけだった。

長い一日のなかで、覚醒している時間とまどろんでいる時間が短いスパンで交互に繰り返された。

幻覚は見なかったが、幻聴は体験した。沢の音がヘリコプターの音のように聞こえてきて、ヘッドライトを上空に向けたり、笛を吹いたりしたことが何度かあった。

一週間過ぎたあたりから、「このまま発見されないで死んでしまうのも仕方ないのかな」と思うようになった。

増水に流されそうになった10日目以降は、ほとんど体の自由がもきかなくなり、苦しさのほうが先に立つようになっていた。いっそ死んだほうが楽なのではないかという気がして、自分で命を絶つことができるのだろうかと何度か考えた。だが、舌を噛み切ることなんてとてもできそうになかったし、目の前の沢に身を投げることもためらわれた。

生存だぞ!

遭難から二週間近くが経過しようとしても、多田は発見できなかった。

遭難して14日目の午後3時過ぎ、意識が朦朧とした状態で、レジャーシートを羽織って寝そべっていたときだった。
「人の声が聞こえる」と思ってうっすらと目を開けたが、「どうせまた助かる夢を見たんだろう」と思ってすぐに閉じてしまった。すると再び声がした。
「多田さんですか。大丈夫ですか」
もう一度目を開けてみると、すぐ目の前に二人の男の人が立っていた。ずっと捜索を続けていた埼玉県警の救助隊員が、多田を発見した瞬間だった。
「これは現実ですか」と尋ねると、相手は「もう大丈夫ですよ」と言った。それを確かめるために「手を握ってもらえますか」と言って、差し出してきた相手の手を握りしめた。
人の体のぬくもりが手を通して伝わってくると、感極まって涙がこぼれ落ちた。

増水のなか、間一髪の救助

まさにギリギリのタイミングでの救助だった。

左足切断の危機

この事故を通して多田がつくづく感じたのは“生きていることのありがたみ”だ。
もうひとつ痛感したのは、自然のなかにぽんと放り込まれたときの人間の無力さである。
今、あらためて思う。人はいろいろなものに守られて、やっと生きていけるものなのだということを。







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*北アルプス・徳本峠

通行止めの登山道

いろいろな情報を集めて検討してみたところ、なんとかなりそうだという感触を持った。

転落

「まずいな」と思ってもどろうとしたときに、草付きが崩れた。落ちた高さは3メートルぐらいだっただろうか。もっと長かったような気もする。
落ちていく途中、橋の支柱や岩もいっしょに崩落していくのがわかった。なぜだかわからないが、このとき足が折れたことを実感した。

最初に口から出た言葉は「どうしよう」だった。実際に大きな声でそう言った。
人が通りかかることなど、まったくといっていいほど期待できない道だ。

今回の事故は、ふつうなら起きない場所で起きており、もし救助される前に自分が死んでしまったら、それを説明できず、関係者は「なんで?」と思うだろう。

捜査開始を待つ

心のどこかで、ダメなときはダメだという開き直った気持ちと、それでも誰か通ってくれないかなあという都合のいい気持ちがせめぎ合っている。

痛みに耐える夜

背後のほうで、なにかががさがさ動く気配がする。シカやタヌキだったら問題ない。いちばん怖いのはクマだ。クマだけは困るなあと思ったが、来たら来たで仕方ない。

救出

単独行のリスク

「無理をしないこと」と肝に銘じながら、これからも山登りを続けていくつもりだという。



*加越山地・白山

通い慣れた山の未知のコース

油断

「『しまった。やってしまった』と思った次の瞬間には、バランスを崩して転倒していました」

勘違いしていたコースタイム

地図上には「2:00」と記されている。ところが、それを「20分」だと思い込んでしまっていたのだ。完全なうっかりミスである。

「このまま痙攣が収まらなかったらどうしよう」
いちばんの不安だったのはそのことだ。最悪の場合、救助を要請するしかないという考えが頭をよぎったが、なるべくならそれは避けたかった。

数時間が経過しても痙攣はいっこうに収まらない。

診断の結果は「熱中症」であった。
筋肉の痙攣が熱中症の症状のひとつだとは、思ってもみなかった。

単独行には単独行のよさがある。行動の意思決定ができること、時間に追われないことは、単独行ならではの醍醐味だ。高山植物を愛でながらウイスキーを飲んで昼寝をする、なんてことは、パーティを組んでいたら絶対にできやしない。



*北アルプス・奥穂高岳

ひとりの山の魅力

「たとえば仕事で嫌なことがあったときなどは、ひとりで山に行くとすべて吹っ飛んでしまいます。それが単独行のいいとことでしょうか。」

強気の計画変更

「先に進む」という選択をしてしまう。

「今から考えると、軽い気持ちで『行っちゃえ』って決めちゃったと思います」

岩尾根から転落

「激痛のあまり、ギャーッと大声で叫んだのは、生まれて初めてのことでした。でも、心のどこかに冷静な部分もあったようで、あわよくばその叫び声が誰かに聞こえてくれればいいなと思っていました」
激痛に耐えながら、しばらくその場でうずくまっていた。自分でも気が動転しているのがわかった。

行動不能とまでは至っていないが、体に受けたダメージは大きく、自力下山はできそうになかった。このときすぐ救助要請しなかったのは、目印になるものが周囲になにもなく、ヘリコプターでの捜索・救助は難しそうに思えたからだ。また、もう少し自分でどうにかしなくちゃという気持ちもあった。とにかくこのままここにいたら、誰にも発見されずに死んでしまうだろうと思い、この場からの脱出する方法を考えた。

厳寒のビバーク

息子からいきなり「山で遭難した」と言われ、母親はどれだけ驚き、心配したことか。

見上げれば、満天の星が広がっていた。その美しさは、かつて見たことのないほどだった。「なんでこんなときにかぎって」と思うと笑いがこらえきれなくなり、ひとり声を出して笑ってしまった。

朝を待つ間、最も辛かったのは寒さだ。とにかく寒さが厳しく、ずっと震え続けていたため、あとになって全身筋肉痛になった。

落石に怯え、ガタガタ震えながら明るくなるのを待つ間に、二回ほど意識を失った。

『絶対に死なないぞ』

「やっぱり山をナメていたと思う」



*尾瀬・尾瀬ヶ原

トレーニング山行

降り続く雪

「尾瀬でこんな雪の降り方をしたのは、何年かぶりぐらいだったんじゃないでしょうか」

想定外の積雪に、つい溜め息が漏れた。

激しい積雪により、視界は20メートルほどだっただろうか。立ち木がかすかに見える程度で、その木がみんな同じように見えた。たどっているルートには緩い傾斜がついているのだが、ホワイトアウトに近い状況のなかで、傾斜がついているのかどうかもわからなくなるぐらいだった。

「同じような景色が続いているなあ」

登山計画書と下山予定日

予備日の設定は答えの出ない厄介な問題
自分ひとりで考え、決断しなければならない単独行の場合はとくに。

「ほかに人がいると、その人との関係にエネルギーを使わなければならないじゃないですか。基本的に人間嫌いなのかもしれませんが、人がいっしょだと要求されることが多くてうるさく感じてしまうんです。」

「単独行はやめましょう」という呼びかけは昔からいわれていることであり、今も単独行に対する風当たりは一部で強い。

単独行に限った話ではないが、山に存在するリスクについての対処がすっぽり抜け落ちたまま山を歩いている人たちが少なからずいることはたしかだと思う。



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単独行についての考察


危機的状況を招く転滑落事故

登山届と下山予定日

「これを遭難といっていいのか。単なる下山遅れではないか」

山に“絶対”はない。

やはり登山届は提出するべきだ。誰も山で遭難したくて遭難しているわけではない。アクシデントは決して人ごとではなく、突如として自分の身に降りかかってくる。そのときに登山計画書の有無が生死を分けるとしたら、それでもあなたは提出しないほうを選ぶだろうか。

単独行の通信手段

リスクマネジメントの点からすれば、ひとりで山に登るときには、なんらかの通信ツールを携行すべきである。

最も多い道迷い

「おかしいな」と感じながらも引き返さず、間違った道をどんどん進んでしまい、「しまった」と思ったときには完全に道に迷っていたというパターン

ひとりだと、間違えたことを認めたくないという心理が働き、引き返す踏ん切りがなかなかつけられないのだと思う。

命にもかかわる熱中症

単独行者の“自由と責任”



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奥多摩に消えた高齢登山者・・・

認められない「特別失踪」・・・

適用されない社会保障制度と下りない保険金



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http://www.media-paradigm.co.jp/~hatoma/


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H

2017-12-05 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治
『ドキュメント 滑落遭難』★★★



次から次へと・・
シリーズ三作目

山が恋しい。

完全復活までまだかなぁ

             やっほー   



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*富士山

富士山は雪上訓練や春スキーのメッカであるが、その反面、滑落事故が多発する山でもあるのだ。

「富士山は巨大な滑り台みたいなもの。一度滑り出したら止まらない」

「危険に対する認識不足」

「いちばんの原因は油断だと思う」

登山届の未提出



*北アルプス・北穂高岳

「ちょっと意地になってあとを追っていた」

事故への備え

「事故はなんでもないところで起きる。本当に危険なところでは起こらない」

転滑落事故では致命傷に至ったり重傷を負ったりするケースが非常に多い。
とくに危険というわけではない場所でうっかりつまずいて数メートル転げ落ちただけでも、打ちどころが悪ければ命を落としてしまうことだってありえるのだ。

ストックの携行
“転ばぬ先の杖”

山岳保険



*大峰山脈・釈迦ヶ岳

「登山ツアー」

「山岳会ではない」

メンバーの力量

山登りは“自己責任”で行なうのが大前提であり、万一事故が起きた場合も、その責任は当事者が負うというのが原則である。

リスクマネジメント

ガイドレシオ(ガイドひとりあたりに対する参加者の適正人数)

百名山と世界遺産
訪れる観光客や登山者のなかに、その歴史的背景を理解して来ている人がどれだけいるか。

せめてその山とその地域を広く理解しようと努め、また「登らせてもらっている」という謙虚な気持ちを忘れないようにしたい。



*赤城山・黒檜山
(上毛三山 赤城山、榛名山、妙義山)

ルート・ファインディング

「誰も足を踏み入れていない雪面に自分のトレースを印していく楽しみを」

リスクマネジメントのための装備
携帯電話、地図とコンパス、ツエルトや防寒具、ヘッドランプ、コンロや非常食

「道迷いから滑落に繋がった」

<たとえば遭難事故に遭遇しても死なないで「生き延びる知識と技術を身につけて」ほしいと心から感じるのである>



*北アルプス・西穂独標



登山の技術や知識は、低山から中級山岳を経て3000メートルの山へ、あるいは無雪期から積雪期へと、徐々にステップアップしながら習得していくのがセオリーとされている。

「たとえるなら、スキー場の上級コースを体で滑り下りていっているようなものです」

<滑る滑る、落ちる落ちる、次々へ下の谷へ下の谷へ何段階も落ちていき、身体をどうすることもできない>

「さすがに『死んでしまう』と焦りました」

重すぎたザック

「山のレベルがちょっと高かったかもしれない」

さまざまなリスクを想定し、それらに対処するためにいろいろな装備を持ちすぎてしまうというのはよくある話

携帯電話 予備の簡易充電器

いちばん大事なのは「絶対に生きて帰るんだ」という強い意志を持ち続けることであり、諦めたらおしまいである。



*南アルプス・北岳



キタダケソウ
(南アルプスの北岳のみに特産するキンポウゲ科の高山植物)

「ピッケルとアイゼンはあったほうがいいと思います。」

雪渓を見たときに「ここは気を引き締めて通過しないとヤバいな」

「キタダケソウの時期の北岳は花見登山のなかでも最もハイグレードな山行のひとつです」



---



道迷いからの転滑落

*甲武信ヶ岳

沢を下っていこうとしたのが間違いだった。

*酉谷山(天目山)⇔*熊倉山

山で行方不明になった場合、通常一、二週間で捜査は打ち切られるという。

「もしかしたら沢に入った釣り人が見つけてくれるかもしれませんよ」

道迷い一日目にして早くも幻覚を見ている。

*雲取山 *武甲山 *和名倉山

埼玉県内の遭難事故では、登山者が行方不明になったまま、なかなか発見されず、発見されたときにはすでに・・・


散々言われていることであるが、山へ行くときに誰かに行き先を伝えておかなければ、万一なにかあったときに捜しようがなくなってしまう。それは残された家族や捜査する人たちに大きな負担を強いることになる。簡単なメモのようなものでもかまわないから、少なくとも家族だけには行き先と行程を伝えて山へ向かうようにしたいものである。




*両神山

「下山中になんでもないところで転んだりバランスを崩したりして落ちてしまうという事故が非常に目立ちます」


転滑落事故を予防するトレーニング
登山靴を履いて石がゴロゴロしている河原を歩く。


悪天候下の沢登り

滝川



---

文庫化にあたっての追記がまた衝撃的・・
事故はなくならない ね。

ホント、ひとりでも多くの登山者に読んでほしい。









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H

2017-12-03 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治
『ドキュメント 気象遭難』★★★+


前回のシリーズ続2
気になってしまって・・(山が呼んでいる)
                     かっこう


---



*谷川岳

雪崩発生

雪崩に流されながらも、気持ちは不思議と落ち着いていたという。

「ほかの山ならともかく、谷川についていえば、雪崩注意報というのはあまり意味のないことです。そもそもが雪崩の巣みたいなところですし、常に雪崩注意報が出ていてもおかしくないですからね。要は、クライマーが直感的に雪崩が起こるかどうかを判断するしかないわけです」



*伊那前岳

突風

<稜線は強風で、「吹き倒される」ことはあっても、決してホコリのように空中に「吹飛ばされ」て死ぬことはない>
が、この事故に関して言えば、遭難者は強風に吹飛ばされて亡くなったとしか考えられない。断定はできないが、事故当時の状況からして、おそらくその可能性が最も高い。

「春一番」「春の嵐」

下界でさえそんな状況だったのだ。まして標高3000メートル近い山の稜線上がどんなだったか――。

「あのときは、風がやんだのかなと思った瞬間に、ドーンときた。それまではいろんな方向から絶えず風が吹きつけていたんですけど、突然、千畳敷のほうから爆風のような風がドーンと来たんですよね」

「状況を聞いて、『ああ、あの絶壁だな。だったらもうダメだ』ということはすぐにわかりました。」

そもそも中央アルプスでは、3月半ばから4月にかけて猛烈な風が吹くことが多いのだそうだ。そのなかでも2911メートルピークから伊那前岳にかけての稜線上は、とくに風の強いところだと言われている。

「たとえば同じ場所、同じ時期でも、山の状況は気象条件で全然違ってきちゃう。だから山で自分の安全を確保するためには、まず気象の変化による山の状況の変化に自分の技術で対応できるかが大事になってきます。昔の登山者がいちばん恐れたのは気象ですよ。今の登山者は、気象の変化に対する危機感を全然持っていない。気象の変化から自分の身を自分で守るための危機管理の意識が、間違いなく薄れてきています。」



*塩見岳

落雷

立木などに落ちた雷の電流が、その周りにいる人に再放電して流入する現象を「側撃」という。側撃が起こるのは、木より人体のほうが電流が流れやすいからだ。このときも、木から周囲にいた数人に側撃が起こり、大小の傷害を与えた。

「雷が体内の入ると、組織の損傷と神経の損傷が起こる。組織の損傷はすぐ反応が現れるが、神経の損傷は一週間ぐらい経ってから出ることもある。なにか異常を感じたら、すぐ病院へ行って手当てを受けるように」

「体内の電流が流れると、体の内部が損傷します。それを再生しようとする際に腎臓に負担がかかって腎不全に陥ります。そのほか白内障になる可能性もあり、神経障害もあとに残ります。とりあえずは腎臓の治療をすることにしましょう」

山での雷の恐ろしさは、理屈としては誰もが承知しているが、「まさ自分たちには落ちないだろう」と思っている登山者は多いのも事実だ。




*トムラウシ山(大雪山 旭岳~白雲岳~平ヶ岳、五色岳、化雲岳を経て)

低体温症

台風

「あなたたちが今こうして生きているのが不思議なくらいだ」

悪天候のなかを行動したことについては、結果論で言えば「行動すべきではなかった」と言える。

北海道の山の気象は本州の山の常識では推し計れるものではない。それを本州の登山者は知らない。本州の山も北海道の山も同じだろうと思っている。そして痛い目に遭う。実際、この年の遭難者のほとんどは北海道以外からの登山者であった。

大雪山の山々の標高は2000メートル前後である。だが、たとえ標高が同じぐらいであっても、大雪山と奥秩父では自然のありようはまったく異なる。




*立山

凍死

中高年登山ブーム
日本の大衆登山史上および山岳遭難史上に残る、極めてシンボリックな事故であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E9%AB%98%E5%B9%B4%E5%A4%A7%E9%87%8F%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85

天気の急変

「明日はすごく天気が荒れるようだから、行動は控えたほうがいい」
それが翌朝はまさかの快晴であった。

「きっかりと時間を計ったように、9時になったとたん天気が荒れだしたんです。ふつうだったら徐々に悪くなるんですけど、あのときは快晴の天気からいきなり悪くなりました。私も山に入って20年近くなりますが、あれほど急激に変わったというのはあのときだけで、ほかには記憶にありません」

山での厳しい状況下では、装備の差が最終的に生死を分けることがある。だが、そういう状況に追い込まれる以前に引き返していれば、なにも問題は起こらない。
いちばん重要なのは、天気がどんどん悪化するなかで、しかも装備が不充分な状況下では、いかに早く、“引き返す”決断ができるかどうか、なのだと思う。




*剱岳

異常降雪

冬型の気圧配置といえば、西高東低が有名だ。

日本海側、北アルプスの北部に位置する剱岳は、国内でも有数の豪雪の山として知られている。実際、冬の剱を知る者は、その厳しさはハンパではない、と口をそろえる。

こうした厳しい自然条件を踏まえ、富山県は冬の剱岳における遭難事故防止のため登山条例を制定し、12月1にちから翌5月15日までの間に剱岳一帯の「危険地区」に登山する者に対して登山届の提出を義務づけている。もし登山届の内容が不適切な場合には「勧告」がなされる。要するに、「あなたたちの実力では冬の剱岳に登るのは無理です。おやめなさい」と言われるわけである。
冬の剱岳では、ひとたび天候が崩れたら十日や二週間吹雪かれるのは当然のこととされ、登山者もそれを想定して計画を立て、また準備を整える。「冬の剱に登ろうとする登山者は、体力も技術も国内トップクラス」という認識は、今も昔も山男たちの間に広く浸透している。逆に言えば、選ばれし登山者のみに許された世界が冬の剱岳なのだ。

「ヘリで助けられるというのは、山ヤにとっては屈辱的なこと。ヘリがない時代だったら、みんな死んでいた。しかも、こういう難ルートに死ぬ気で行っているわけだから、世間様に言わせれば『この期におよんで命請いをするんじゃない。人為的な手段に頼るくらいだったら、死ね』ということになる。だから救助要請を出すに当たっては、侃々諤々であった。」

日本のトップレベルの登山者の目さえ欺く冬の剱岳。いや、自然が人間を欺くのではない。人間の勝手な思い込みが自然に欺かれるのだ。


*剱岳

暴風雪

晩秋から早春にかけて、日本海側と太平洋側にある二つの低気圧が日本列島を挟むようにして北東に進み、北海道付近や三陸沖でひとつにまとまって台風並みに発達した低気圧になるものを二つ玉低気圧という。この二つの低気圧が通過するときには、日本列島は全国的に大荒れの天候となる。とくに山岳地では猛烈な暴風雪が吹き荒れ、通過直後から強い季節風が吹いて気温も一気に下降する。
二つ玉低気圧は、山や海ではしばしば遭難事故の原因ともなることから、登山者や漁師にはひどく恐れられている。例えて言うなら、気象的な災いのすべてももたらす悪魔のような低気圧といったところだろうか。

二つ玉低気圧が厄介なのは、その通過中、場所によっては一時的に天気が回復したように見えるということだ。
いうなれば、台風の目のようなものだと思えばいい。

「まるで地獄。目も開けられなかった」




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H

2017-10-11 | 山と渓谷社、関連本



羽根田治
『ドキュメント 道迷い遭難』★★★★


本格登山はしないけど(富士山に登る気もさらさらないけど)
2000M弱登山はしているので参考として ね☆

この筆者は遭難のエキスパートらしい。

ヤマケイ文庫
(山と渓谷社)
ラインナップを見るとほぼ山関係
題名を見ただけでも読みたくなる本がたくさん。



もぅお勉強する気は全くなし(来週試験・・)



---



*南アルプス・荒山三山

「遭難して助かった皆さんは、もう一度、その場所に行ってみたいとおっしゃいませんか?」
その問いに対し、私は「人によります」と答えた。

窮地に陥ったときの人間の心理とは、えてしてそんなものなのだろう。自分ではよく考えてベストの選択をしたと思っているかもしれない。しかし、のっぴきならぬ状況のなかで、自覚しないまま平常心は失われ、いつしか冷静な判断ができなくなっている。それが道迷い遭難のいちばん怖いところだと思う。




*北アルプス・常念岳

重度の凍傷

「やばい……。これが遭難なのか」
嫌な思いが頭をよぎった。
 
「このままでは死んでしまう。なんとかしなければ……」

「道に迷ったら沢に下るな。尾根に上がれ」という鉄則
冬山を知る者ならば、絶対に沢を下ったりしない。

行けども行けども、雪、雪、雪だった。

「指はあきらめなければならないな」と、

「あまりにも自分勝手だったなあというのは自覚しました。いろんな人に迷惑をかけてしまい、やっぱり自分ひとりだけで生きているんじゃないってことを強く感じましたね」



*南アルプス・北岳

体力不足 思い込み 山の経験

今だったら「このとき引き返すべきだった」と言うことはできる。

「なんとかなるさ」と不安を打ち消し、自分を勇気づけた。

選択肢は、「さらに沢を下る」「引き返す」「左岸の尾根を登っていく」「右岸の尾根を登っていく」の四つ。
「どれを選べば生還できるのか。“神様、教えてください”という心境でした」

想定外の状況に追い込まれパニックに陥り、冷静な判断がでいなくなっていたことは明らかであろう。

<この蟻地獄から、もはや出られないのではないかという絶望感>

生と死の境

「なんで引き返さなかったのかって盛んに言われたけど、そのときになるとやっぱりできないですね。引き返すポイントはいくつもあったんですよ。だけど、だいぶ下ってから上を見たら、『あんなところまでもどらなきゃいけないのか』と思ってしまい、だったらとにかく下ろうと。結局、体力がなかったから、それを実践できなかったんだと思います。同じところを行ったり来たりして、『どうしようか、下に行こうか上に行こうか』と、それだけですよ。そのうちに足がいうことをきかなくなる、沢の水量も増えてくる、クマにも遭う。三日目、四日目あたりはもうパニックでした。とにかく決断できませんでした。」

地図とコンパス

山に登る者は、誰もがそのリスクを抱えていると自覚したほうがいいだろう。



*群馬・上州武尊山

道迷いの自覚

下山途中で道に迷った。だが、迷ったことに気づいたときは、コースを外れてまだそれほど時間が経っていなかった。「あ、これ違う」と思ったときにすぐ引き返せば、正しいルートにもどれたはずである。

「すごくきれいな川があったんです。新緑と川の流れが美しく、ほんと天国みたいなところでした。そこがまた遊歩道のようになっていて、しばらく歩いていけちゃうんですよ。ええ、道を間違えてることはわかっていました。自分でも『あ、これ、はまってるはまってる』って思っていましたから。でも、引き返せなかったんです」

立ち止まると気が狂いそうになるので、がむしゃらに前へ前へと突き進んだ。

一般ルートを見落とし、稜線を越えて反対の斜面に迷い込んでいて、主稜線を越していないかもしれないが、本人がどこをどう歩いたのかわからない以上、そのことを確認する術はない。

幻覚

遺書

「このときはちょっとだけ『死んでもいいかな』と思いました」

登山地図 ライターと発炎筒とツエルト
迷いそうなところにはテープ



*北信・高沢山

「それが運命の分かれ道になってしまったわけです」

「ヤバイ、これで死ぬんじゃないか」

朦朧とした意識が幻覚を生んだ
「やっぱり幻覚だったのか」

幻覚だけではない。幻聴にもまた悩まされた。木の葉が擦れ合う音が人の声や車のエンジン音に聞こえ、そのたびあたりを見回した。

『助かったんだ』という安堵と『生きているんだ』という充実感

軽い低体温症と脱水症状

山で遭難して死ぬか生還するかほんとうに紙一重の差

「たかがハイキング、されどハイキングですよね。山を舐めちゃいけないってことですよね」

山の中で見られる赤いリボンやテープは、一般的に登山ルートを示すものだと思われているが、それは絶対ではない。
リボンやテープの過信は禁物



*房総・麻綿原高原

中高年登山者の大量遭難

重なった判断ミス



*奥秩父・和名倉山

自力下山

「ほんとうに踏み跡だらけなんですよ。もうぐちゃぐちゃでした。誰かが歩いているんだから、どこかにたどり着くはずだってふつうは思うじゃないですか、でも、どこもぶつ切り状態なんです。あの山で、どれだけたくさんの人が迷ったのかと思ってしまいました」



---



山岳保険への加入



歳をとるほど遭難しやすくなる



「~過去の体力 過去のもの~」



もともと人間は楽観的にできており、物事を悲観的ではなく楽観的にとらえる傾向にある。



人は誰もが「自分は安全だ」「自分は守られている」と思いだがるものだという。それは山に行ったときでも同様で、多くの登山者が「遭難事故は他人事」「自分は遭難しない」と思っている。
だが、現実は思っているほど安全ではない。



---



下手なホラーを読むよりリアルな現実話は 本当に 怖い。


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I+N

2017-03-05 | 山と渓谷社、関連本



文+池田奈津美 写真+西田省三
『ときめくヤマノボリ図鑑』★★


表紙に惹かれて。

現在坐骨神経痛・・
歩くのに自然と支えるよう手を添えて歩く姿はおばあちゃん。。

今年は御岳山と安達太良山に登る。
あと牧場ハイクもね。


100名山リストを眺める。
行ったことあるところは結構ある気がする(自力で登ったのは別として)

北海道は記憶が遠くて不明

12 八幡平 1613m(未だに記憶くっきり)

16 月山 1984m(スキー場まで)

18 蔵王山 1841m(樹氷ね)

20 吾妻山 2035m(喘息になった)

21 安達太良山 1700m(子供の頃のスキー)

22 磐梯山 1816m(自力で2度)

24 那須岳 1917m(二股)

30 谷川岳 1977m(ボードで)

32 苗場山 2145m(同上)

37 日光白根山 2578m(同上)

40 赤城山 1828m(また行きたい)

41 草津白根山 2171m(完璧なお天気)

44 筑波山 877m(かるハイク)

45 白馬岳 2932m(ボードで肋骨折った。。)

富山~長野も記憶曖昧

61 美ヶ原 2034m(好き!)

62 霧ヶ峰 1925m(エアコン)

63 蓼科山 2531m(霧氷が幻想的だった)

72 富士山 3776m(眺めるものです)

73 天城山 1406m(ループ)

87 白山 2702m(スーパー林道)

97 阿蘇山 1592m(お釈迦様)

思ったより記憶になかった。。






























日曜の夕方の関越の下り
もちろん逆方面は渋滞の長蛇の列
それを横目に奥利根へ向かってクルマを飛ばす。
正直にんまり。
びゅんびゅん120、130で適度に追い越し。
上空は強風なのか流れる雲の早さで夕焼けの光が雲間から時おり射しこみ、
冬のグレーな風景が明るくなったり暗くなったり幻想的な風景を作り出していた。
ちょうど高崎の手前の直線から見える山の稜線があまりにも綺麗で。
群馬の個性的な山並みとゆるやかな稜線
空気が冴え渡っているのも一つの要因なのか遠くの雪山もくっきり見えた。
運転って(特に高速は)ストレス発散になる。

隣にいるけど、その目線はPC画面でお互いが独りに。

この時間を与えてくれてありがとう。

普通だったらこの時間この場所を運転していないでしょ
そこがあなたのおもしろいところ。

常識にとらわれない考え方。
たくさんのアイディアがまだまだ埋まっている。

近くにいるけど遠い人
離れているけど身近に感じる人

心はあなたのもとに。
龍の小説だね。

わたしの観察眼

言っても仕方のないことを口にするべきではない?
でもそう伝えればよかったという後悔は嫌
2年前あんなにガーガー言うだけ言って切り捨てたのに。
もぅ心底うんざりだった。
二度と逢うことはないと思った。
それなのに・・
時の経過でその記憶が薄れてなつかしさが前面に出てしまった。

まさかの偶然の出逢いに胸がどきどきした。


ぜんっっぜん勉強していない。
懲りない。

変わらないスタンスでふわりと受け止めてくれた。
やわらかい。

そうなるべき方向へ。そのひとことで。

満たされた?



無臭(笑)
遺伝子を信じるならば未知な領域



眠っているふりじゃなく落ちる寸前だった。
おでこに感じた。
そうなんだ。2度・・


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