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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

2017-07-26 | 江國香織



江國香織
『こうばしい日々』★★

「こうばしい日々」は平成二年九月あかね書房より、
「綿菓子」は平成三年二月理論社よりそれぞれ刊行された。

初読?
ラドクリフと混同してる?

古本の匂い。



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空が青くて、ほんとうに気持ちのいい朝だった。








僕は野球場が大好きだ。

野球場で僕がいちばん好きなのは空なのだ。夕方からゆっくり夜に変わっていく空。夜は、野球場のかたちに、まぁるく降りてくる。選手も、観客も、球場ごとすっぽりと夜に抱かれる。

「いつかホエールズの試合をいっしょにみようぜ。横浜でさ、しゅうまいべんとう食いながら」








「男の子っていういのはきかれたことにこたえるだけかと思っていたわ」
「どうして」
「どうしてって、どうしてかしらね。女の子がよけいな質問ばかりするようにできているから、男の子はこたえるだけですむんじゃないかしら。昔からね」
昔って、どのくらい昔だろう、と僕は思った。








「白夜」

「でも子どもなんてつまらないわねぇ。みんな遠くへ行っちゃって、よこすのはバースディカードとクリスマスカードだけだもの」
「ふうん」








「小春日和だな」

午後一時の海はいちめんに光りのつぶをたたえ、さらさらとおだやかにかがやいている。

「海って素敵よねぇ」


すでに暗緑色になってしまった海は、西日をいっぱいうけて、鏡のくずを散らしたようにみえる。







「タイミングって、とても個人的なものなの」








つめたくて深くて清潔な、空気の匂いがした。



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目がさめるとばかみたいに晴れた夏の朝で、私はぐったりくたびれていた。


ごはんのあと、たたみにうつぶせになって虫の声をきいていたら、おばあちゃんがそばに来てすわった。たたみは、さらさらして気持ちがよかった。

「女って、哀しいね」
私が言うと、おばあちゃんはびっくりした顔をした。








「誰かをほんとに好きになったら、その人のしたこと、全部、許せてしまうものなのよ」



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ジャスティン来日中止・・
このPV目が離せなくなる https://www.youtube.com/watch?v=RqcjBLMaWCg

 


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S

2017-07-26 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 19 中国・江南のみち』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/19/index.shtml

結構なスピードで進む。
最近始発に味をしめてしまい座って通勤読書
朝の冴えわたる時間
没頭30分
先週なんて降りる駅を通過するぐらい世界にハマり込んでしまった。

司馬遼太郎


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「呉服」
という日本語も、もともと蘇州の絹織物ということをさした。はるかに歴史の遠い春秋のころの呉の国の服ということでは、なんとも時間感覚として大がかりすぎる(ここで、書きもらしたことを大急ぎで言い足しておく。中国史にあっては、春秋の呉国以後、同名の国が二度あらわれる。よく知られるように、三国時代の呉国と五代十国の呉国である。いずれも揚子江下流地方を本拠としただけで、蘇州を国都とはしなかった)



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古代日本が、漢をもってアヤと和訓していたのも、まことに微妙である。古語のアヤ(綾・文)は、絹織物からきた。織りでもって模様を縦横に表現したのをアヤという。またその紋様をもアヤという。そういう豪華なものはみな海外の文明の源泉からやってくる。その源泉が漢であり、かつ漢がアヤなのである。

アヤは『古事記』『日本書紀』『万葉集』などのふるい言語例において、形容詞(あやし)、副詞(あやに)、動詞(あやしぶ)にもなった。アヤは、最初は綺麗なという感じからはじまって、やがて、霊異なほどに、また現実(うつつ)とも思えぬほどであるために怪しむ(怪しぶ)というように変化する。
古代日本人が、アヤである漢の文物(とくに絹織物)に最初に接するのは、朝鮮半島経由によってである。古朝鮮の南部の小地域に伽羅(伽耶ともいう)国があり、古日本では任那(みまな)とよんでいた。伽羅はしばしばアラと発音され、伽耶もしばしばアヤと発音された。綾織の絹織物は当初「アヤ(伽耶)の物」とよばれたのではないか。アヤ(伽耶)の文化の源泉は漢にあることから、漢という文字もまたアヤとよばれたと考えるのは、ごく自然である。



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六朝文化の本質は、秦・漢以後の中国では例外的なほどに貴族文化であることだった。遊情の風をもち、漢民族にはめずらしく政治をもって至上価値とする精神が乏しかった。むしろ政治を野暮とし「風流」を重んじた。風流という語と思想と態度が、やがて百済経由で日本に定着する。風流至上、政治は野暮という六朝の気分はのちのち平安朝の文化を染めあげ、こんにちなお日本人の政治観に投影しているのではないか。



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「海を見ようよ」


「ね、張さん、海を見ようよ」



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…その気持ちわかる(笑)
それに対して応える張さんの思いもがけないおもてなし。
ジャンク!!




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